1998年度 インターネット講座

メディア・情報・身体 ―― メディア論の射程

第10回講義 註

註1:
ドイツにおける教養市民(知識人)の形成については、例えば、フリッツ・リンガー『読書人の没落−−世紀末から第三帝国までのドイツ知識人』(西村稔訳)名古屋大学出版会、1991年、参照。
註2
ドイツにおける「精神性」「教養」「文化」vs「技術」「文明」という二項対立は、ナチズムの思想的な前段階としてしばしば言及される「保守革命」の思想においてとりわけ顕著に見られる。しかし、保守革命における近代技術に対する態度は、技術を礼賛するものと、批判するものとの両極に分かれていて、簡単に類型化することはできない。(例えば、ジェフリー・ハーフ『保守革命とモダニズム ワイマール・第三帝国のテクノロジー・文化・政治』岩波書店、1991年、参照。)
 20世紀前半のドイツにおける技術批判の例は枚挙にいとまがないが、典型的なものとして、ショーペンハウアー的な(「文化」に対立するものとしての)「文明」批判を受け継いだ社会学者A.ゲーレンの『技術時代の魂の危機』法政大学出版局、1986年や、ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』岩波書店、1990年の中の「文化産業」に対する批判を挙げておく。
註3
Karl Kraus, Der Fortschritt. In: Die chinesische Mauer. Frankfurt/M. (Suhrkamp)1987. このDer Fortschritt「進歩」と題されるエッセイは、もともとクラウス自身の発行する『ファッケル』Die Fackelという雑誌に、1909年に掲載されたものです。
註4
スヴェン・バーカーツ『グーテンベルクへの挽歌』(船木裕訳)青土社、1995年、13頁。
註5
W.-J.オング 『声の文化と文字の文化』桜井直文他訳、藤原書店、1991。とりわけ第4章「書くことは意識の構造を変える」(165頁以下)
マーシャル・マクルーハン 『グーテンベルクの銀河系――活字人間の形成』森常治訳、みすず書房、1986、参照。
註6
例えば、W.-J.オング 『声の文化と文字の文化』58頁; マーシャル・マクルーハン 『グーテンベルクの銀河系――活字人間の形成』42頁; J.D.ボルター『チューリング・マン』みすず書房、1995年、209頁; J.D.ボルター『ライティング・スペース』産業図書、1994年、187頁以下; ウンベルト・エーコ「本vsコンピュータはニセの対立だ――本の未来と解放された社会」、季刊『本とコンピュータ 7』1999冬、37頁、参照。
註7
プラトン『パイドロス』(藤沢令夫訳)岩波文庫、132頁以下。

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