1998年度 インターネット講座

メディア・情報・身体 ―― メディア論の射程

第8回講義 註

註1
電気の光はそれに「内容」がないがゆえに、コミュニケーションのメディアとして注意されることがない。そして、このために、それは人々外貨にメディアの研究をしにくいかを示す貴重な例となっている。電気の光はそれが何か商品名を描き出すのに用いられるまで、メディアであることが気づかれないからである。その場合、気づかれるのは光そのものでなく、その「内容」(すなわち、実際には別のメディアなるもの)である。電気の光のメッセージは工業における電気の力のメッセージに似て、まったく根源的で、浸透的で、拡散的である。電気の光および力はその用途から分離されてもなお、人間の結合において時間と空間という要因を駆逐するところ、ラジオ、電信、電話、テレビがまさしくやっているとおりで、深層の関与を引き起こすからだ。」(マクルーハン『メディア論』みすず書房、p.9)
註2
『コンピュータ半世紀』(ジャストシステム)の第一章(水越伸)では、マクルーハンの位置づけをさらに広い立場から相対化し、よりふさわしい位置づけを与えている。この本は、コンピュータ文化を「メディア論」、「計算機技術」、「人間機械論」、「認知科学」、「視覚芸術」という5つの視点から扱い、それぞれ重要な書物をあげながら概観しており、さまざまな視点を見渡す上で非常に有用である。

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