挑発の演劇 南アジア
わたしたちは罪深い女(ウルドゥー語、キシュワル・ナーヒード)
女性と開発に関するセミナー 2003年ラホール         .
 (英語、フォウズィヤ・アフザル=ハーン)
モノトーン/モノクロ、もしかすると…(英語、ヒマー・ラザー)
 
わたしたちは罪深い女 - キシュワル・ナーヒード

わたしたちは罪深い女

そう、わたしたちは罪深い女
富と名声を自慢する男どもに
恐れをなすこともなく
生命を売ることもなく
頭を下げることもなく
赦しを乞うこともない

そう、わたしたちは罪深い女
この体にたかる男どもは
名誉と名声を
ほしいままにし
物質界の指導者となる

そう、わたしたちは罪深い女
真実の旗を掲げて通りに繰り出すと
大通りには欺瞞があふれかえり
戸口には迫害の物語がうごめいている
しかし、物を言うべき舌はことごとく切断されている

そう、わたしたちは罪深い女
夜の闇が迫ろうとも
盲目になるのはよそう
破壊されつくした無知の壁を
立て直そうと躍起になるな!

そう、わたしたちは罪深い女
富と名声を自慢する男どもに
恐れをなすこともなく
生命を売ることもなく
頭を下げることもなく
赦しを乞うこともない

(ウルドゥー語から翻訳:麻田 豊 Copyright ASADA Yutaka 2004)
 
女性と開発に関するセミナー 2003年ラホール - フォウズィヤ・アフザル=ハーン

女性と開発に関するセミナー 2003年ラホール

わたしの生まれた町、ラホール
カルマ*十字路のそば
フィーローズプール通りから脇へ入った
シルカト・ガー**に隣接する
大講堂で
指は天空の神を指し示した

わたしは髪をかきむしる
旋回し続けながら
踊り狂う哀れな少女
スーフィー聖者の歌と
宗教心を持った
軍人の命令の
はざまで

独裁者、原理主義者
好きなように呼ぶがいい
奴らはわたしの人格を引きさらった
その心のよりどころである聖者廟から
人格は叩きのめされ
罵倒を浴びせられ
強姦され
罪人として投獄された

踊り狂う少女
空腹の状態で
天界の律動に合わせて身体を揺らす
よくもそんなことを!
このイスラーム国家で

坊主***と立派な口ひげを蓄えた軍人だけが
内輪のパーティーで酒を飲み踊ることができる
だが、国民はこの事実を知ってはならない

そしてまた
あれから20年後
わたしはここにいる
女性と開発に関する
セミナーの会場に
わたしが生まれた町に
あの時のように
同じ年老いた売春婦を
演じながら

ラホールはまるで変わっていない
講堂で
目に入るもの
それは馴染みある顔、顔、顔
年を重ね
白髪が混じったものの
基本的人権を
やかましく要求している
自らのために
娘たちのために
貧者のために
マイノリティのために

パキスタンはまだ
国際通貨基金と
世界銀行に負債を抱えている
坊主の言いなりになった
別の軍事独裁者に
交代しただけのこと

20年前
両者は、この世で
「最大の非宗教的民主主義」
に祝福されていた

ご覧のとおり
われわれは、まだこの種のセミナーを必要とする
女性と開発に関するセミナー

発展途上世界にある
生まれ故郷へ帰る旅の途中
わたしは再び
旋回して踊り狂う修行者****の役を
演じようと思う
それはわが青春期の女性
年老いた女優の
心を和ます最上の考えではないか

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* 固有名詞。意味は「イスラームの信仰告白」
** 女性情報センターの名称
***「ムッラー」の訳
****「ダルヴィーシュ」の訳
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(英語から翻訳:麻田 豊 Copyright ASADA Yutaka 2004)
 
モノトーン/モノクロ もしかすると・・・

モノトーン/モノクロ

色・・・
非存在物の色 全存在物の色

わたしが黒く見えるか
黄みがかった茶色に見えるか

疑問符ばかり
紙の種類にもよるではないか

わたしと家族
それに植民地時代の亡霊たち
白黒に映る
不協和なままのアイデンティティ


もしかすると・・・

至福に満ちた静寂

不思議な歌

あいだで
天使たちが口説き合っている
目に見えないため息を
つきながら


詩人:ヒマー・ラザー
詩集「Left-Hand-Speak」(Alhamra Press, Islamabad, 2002)」より

(英語から翻訳:麻田 豊 Copyright ASADA Yutaka 2004)