本稿は、ミシェル・フーコーの『言葉と物』における「エピステーメ」をめぐる議論の枠組みを用い、国家主権概念の変遷の分析を試みるものである。フーコーによれば、西洋文明において知の様態=エピステーメには歴史的に二つの大きな断層があり、それによって三つの大きな時代区分がなされる。ルネサンス、古典主義時代、そして近代である。ルネサンスのエピステーメの特徴は類似性であった。本稿はそこでルネサンス時代の主権者が「神の似姿」として表象されていたことに着目する。古典主義時代の特徴は機械論的秩序であるが、ホッブズの主権論はそのエピステーメを代表している。フランス革命期以降のエピステーメは「人間の登場」によって特徴づけられるが、主権論においてはヘーゲルの国民=国家の主権概念がそれに対応していると思われる。
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