主権と人権はしばしば対立するものとして扱われるが、実際には立憲主義の枠組みの中で相互補完的に機能することが予定されている。問題になるのは、その立憲主義の枠組みの限界点で主権と人権が相克する状況が生まれたときである。本稿は近代初期の政治思想と国際法において、「立憲主義の限界点」の問題が「抵抗権」と「介入権」の問題として議論されていたことを、ロックやグロティウスを例に取りながら確認する。その上で両者に関する言説が19世紀耕の近代において消滅したことを、英国の憲法学におけるダイシーや国際法学におけるオッペンハイムに焦点をあてながら、指摘する。抵抗権や介入権が立憲主義の枠組みから排除されたのはあくまでも近代的な知の様態においてであり、現代世界でそれらの問題が重要になっているのは、立憲主義の破綻というよりも、その新しい時代に応じたさらなる充実が求められているためである。
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