2004年台湾総統選挙コメント

混迷する台湾政局
NHK ラジオジャパン(2004年4月6日)
 陳水扁総統は,3月30日,国民党の連戦主席など野党側による「当選無効」の提訴を受け,早期再集計実施のための同意書に署名,高等法院(高裁)に提出しました。高等法院は,票の数え直しを行なうかどうかの審理を開始しました。近く裁判所の判断が示される見込です。一方,4月3日には,銃撃事件の責任をとって内務大臣が辞任しました。3月20日の総統選挙後混乱が続く台湾政治について,東京外国語大学の小笠原欣幸助教授に解説してもらいます。 (聞き手・ジョナサン・シアー/局リポーター)

【原文は英語です。英語ページをご覧ください。】
【インタビューの音声ファイルは準備中です。】


@ 小笠原先生、ありがとうございます。まず,台湾の総統選挙後の混乱について解説してください。

 陳水扁氏の票差はほんとうに紙一重の小ささでした。しかも,銃撃事件という予想外の事件が発生し,有権者の投票行動にも影響が出ましたから,野党陣営が敗北を認められないことはある程度理解できます。開票結果が発表された日の夜から,総統府前での抗議行動が1週間続きました。野党の一部からは選挙のやり直しを求める声も上がり,抗議行動がエスカレートして混乱が拡大することが心配されましたが,少数のけが人が出ただけですみました。これは,抗議活動が合法的手段から逸脱することを望まない台湾社会の強い意志が働いたためと考えてよいと思います。陳水扁氏の支持者が控えめな姿勢でいたことも指摘しておきたいと思います。与党民進党は,党員にたいして,当選の祝賀活動など野党支持者の感情を刺激する活動を禁止する通知を出しました。この民進党の自制が混乱の拡大を防ぐ一助となりました。

A 裁判所が票の再集計を行ないますが,選挙結果が変わることはあるのでしょうか?

 台湾では選挙の投開票のプロセスは厳格に管理されています。選挙事務は,各地の公務員や教師が選挙管理委員会の委託を受けて,事前の講習を経て任務についています。また,すべての投開票所には,両陣営の監視員がいて,無効票の認定を含む投開票のプロセスを監視しています。ですので,組織的な不正工作を行なう余地はありません。裁判所が票の再点検を行なった時に,有効票・無効票の認定上の一部の誤り,あるいは選挙管理者のケアレスミスが発覚する可能性はありますが,選挙結果を覆すことはありません。

B 銃撃事件の真相解明は進んでいるのでしょうか?

 警察・検察が全力をあげて犯人を捕まえようとしていますが,手がかりはつかめていません。テレビカメラが回っていましたし,警備の警官も多数現場にいて,陳水扁氏の支持者が大勢沿道に出ていたにもかかわらず,目撃証言はまったく得られていません。銃撃した正確な位置もまだ明らかになっていません。このように捜査が進んでいないことに野党陣営はいらだっています。 野党陣営は,銃撃事件そのものだけでなく,事件後国防治安の警備態勢が強化されたため,多くの軍人・警官が投票できなくなったことを問題にしています。軍人・警官には国民党の支持者が多いため,野党陣営は自分達が不利になったと言っているわけです。しかし,投票できなかった軍人・警官が何万人なのか,政府の説明と野党の主張は食い違ったままです。

C 台湾社会を構成するエスニック・グループについて説明してください。

 台湾社会は,ほとんどが中国大陸から移民してきた漢民族で構成されています。しかし,清朝の時代に移民して日本統治が始まる前にすでに何世代も台湾で暮らしてきた人々(本省人)と,第二次大戦後に蒋介石と共に台湾に渡ってきた人々(外省人)との間には,歴史認識や台湾の存在に関して大きな認識の違いがありますし,台湾人意識と中国人意識というアイデンティティの持ち方も異なります。ですので,同じ漢民族ですが,両者は異なるエスニック・グループとして存在していると考えたほうが適切です。清朝の時代に移民してきた人々(本省人)は,福建省から移民してきたミンナン(閩南)系住民と客家の二つのエスニック・グループに分かれます。さらに,漢民族の移民が始まる前から台湾に住んでいた先住民がいて,台湾には合わせて4つのエスニック・グループが存在しています。権威主義体制の時代にはこのエスニック・グループの問題は公式に議論することは許されませんでした。民主化により言論の自由が保障され,エスニック・グループの感情を自由に表明できるようになってから,それぞれのグループの対抗意識が刺激されるようになったという側面があります。

D 選挙戦が激しかったと聞いていますが,今回の選挙は台湾社会にどのような影響を及ぼしたのでしょうか?

 4つのエスニック・グループの相互関係と対抗意識は非常に複雑です。また,人口数が最も多いミンナン系住民は,民進党支持と国民党支持に分かれています。日常生活においてはエスニック・グループの認識の違いが表面化することは少ないのですが,大統領選挙となると台湾の将来がかかってくるので,このエスニック・グループ間の対抗意識が刺激されることになります。自分たちの投票によって国の将来を決めていくことは民主主義の根幹であり,台湾は民主主義を実践していると言えます。しかし,選挙の結果によって国の方向ががらりと変わってしまう状況というのは,たいへんな緊張をもたらします。また,本来内面の問題である自分のアイデンティティが選挙の争点となり,他人からとやかく言われる状況というのも人間関係に亀裂を入れることになります。与野党の激しい選挙戦によって台湾社会が二分化しています。

E 12月の立法委員選挙の見通しをお話しください。

 台湾の政治制度はアメリカのような大統領制ではなく,フランス型の半大統領制です。立法府で過半数をもっていないと政権運営は非常に困難です。過去4年間,陳水扁政権はそれでたいへん苦労してきました。総統選挙では,与野党の差はほんのわずかでしたが,野党が選挙結果を認めないという強硬な方針を出したため中間層の支持を失っていると思います。野党陣営は内部の足並みの乱れも発生する可能性があり,12月の立法委員選挙は政権を握っている与党陣営に有利に展開すると思います。
 野党陣営には連戰氏が率いる国民党(KMT)と宋楚瑜氏が率いる親民党(People First Party)の二つの党があります。親民党は議席を維持する可能性がありますが,国民党は議席を減らすことが予想されます。一方,与党陣営には,陳水扁氏が率いる民進党(Democratic Progressive Party)と李登輝前総統が率いる台聯(Taiwan Solidarity Union)のふたつの党があります。両党とも議席を増やし,両党合わせて過半数を獲得することが予想されます。

F 陳水扁総統の政権運営はこれまでと同じなのでしょうか,それとも何か変化が予想されのでしょうか?

 陳水扁総統は4年前,中間路線を掲げていました。しかし,超党派の全民政府を作る試みは失敗し,結局,台湾人意識を強調する選挙戦術で今回の勝利をつかみました。2006年の新憲法制定について,陳水扁総統は,中華民国(Republic of China)という国号,国旗は変えないと表明しています。しかし,今回の選挙戦を経て台湾人意識が高まったこと,また,陳水扁氏の支持基盤における独立派の存在感が高まっているので,陳水扁総統の政権運営は,中間路線より台湾アイデンティティを高める方向に向かう可能性があります。今後新憲法制定の議論が始まると,与野党の感情的対立が再び高まるかもしれません。そのとき中国がどのような態度に出るのか懸念されます。アメリカも日本も,台湾の動きから目が離せないと思います。

【視点】感情化していた総統選
朝日新聞掲載(2004年3月20日)
 4年前の前回選挙に比べ、今回の総統選の選挙戦では、有権者間の感情の高まりが格段に激しくなっていた。選挙が感情化しているという印象を受けた。前回は候補者が三つどもえだったが、今回は民進党と、国民党を中心にした野党連合とが一対一でぶつかり合う。職場でも家庭でも、立場を表明すると気まずくなったり、口争いになったりしていた。
 4年間の実績を問われた陳陣営は、実績という点では劣勢だったため住民投票により「台湾人意識」に訴える戦術で追い上げた。このため冷静な政策論争より、有権者の感情に訴える空気が強まってしまった。
 こうしたなかでの銃撃事件である。犯人像や背景がまだ不明な状況では、事件が選挙に及ぼす影響は見通しにくい。ただ、開票後、どちらが勝利しても敗れた側が感情的に収まりがつかなくなり、小競り合いなどの事態が発生することが懸念される。投開票をはさんでのこれからの一両日、台湾の民主主義の成熟の度合いが試される。(聞き手・永持裕紀記者)

感情対立で政界再編進む
共同通信(2004年3月21日)
 投票直前まで連戦候補が有利とみられていたが、投票日前日の陳総統銃撃事件に刺激された投票者が多く、陳氏が逆転した形だ。連戦氏も選挙無効を訴えるなど潔く退く様子は見えない。陳総統は国民和解を訴えるだろうが、感情的な対立が残り、与野党が協調するのは無理で、今年十二月の立法委員(国会議員)選挙に向けて政界再編が進むだろう。
 民主主義を固めるはずの選挙を繰り返すにつれ、台湾内の亀裂は深まっている。民主主義が未熟な地域では、選挙が社会の安定をもたらさないことが分かる。
 対中関係はすぐには変化しないが、陳総統が二○○六年に新憲法制定を提唱していることもあり、○六年に向けて緊張が高まり、三通(通商、通信、通航の直接開放)の実現は遠のくだろう。今回の選挙結果で米国、日本も陳政権の台湾を無視できなくなり、東アジアの中でどう位置付けていくか、厄介な問題を突きつけられた形になった。(聞き手・木本一彰記者)

台湾総統選挙と今後の中台関係
NHK ラジオジャパン(2004年3月22日)
 3月20日に投票が行われた台湾の総統選挙は、現職の陳水扁氏が勝利し、野党統一候補の連戦氏の挑戦を退けました。
 今回の台湾総統選挙は今後の中台関係の在り方を大きく左右することになると言われ、多方面からの関心が集まる中で行われましたが、開票の結果(投票率80.28%)は、陳水扁(民主進歩党)6,471,970票、連戦(国民党・親民党)6,442,452票で、現職の陳水扁氏が挑戦者の連戦氏に約3万票の差をつけて当選しました。
 そこで、きょうは、選挙のため現地台湾で取材をしている東京外国語大学の小笠原欣幸助教授に電話し、今回の台湾総統選挙の結果を踏まえ、予想される中台関係の今後と日本を含めた東アジアの情勢を展望し、解説してもらいます。 (聞き手・河野キャスター)


@ 小笠原先生、ありがとうございます。まず、今度の総統選挙の結果をどう見ますか?

 台湾社会を真二つにした非常にし烈な選挙であったと思います。基礎票で劣勢の陳水扁陣営は,中国への対抗意識を強め台湾人意識に訴えかける選挙戦術で激しく追い上げました。野党陣営も,陳水扁大統領が無能であるとか,腐敗しているとか激しいネガティブキャンペーンを展開してきました。4年前の選挙も激烈でしたが,4年前は3人の争いでしたので,まだあいまいな余地がありましたが,今回は完全な1対1の戦いで,有権者の選択が正面からぶつかりあう形になりました。こちらでインタビューした人々は,4年前より選挙戦は一段と激しくなったと言っています。職場や家庭で口論になったいう人も珍しくありません。

A投票日の前日に陳水扁候補銃撃事件がおきましたが、その影響はあったのでしょうか?

 投票日直前の情勢は連戰氏が有利であったと見ています。陳水扁政権の4年間の実績にたいする失望と不満はかなり広がっていました。大統領が銃撃されたことの衝撃が,投票に行かなかったであろう浮動有権者を投票所に行かせ,しかもその多くは陳水扁氏に票を投じたと考えられます。連戰氏の支持者にしてみれば,銃撃事件がなければ勝っていたという思いが強いだろうと思います。

B今回、勝敗を分けたのは何だったのでしょうか?

 銃撃事件の影響は確かに大きかったですが,この4年間で台湾人アイデンティティが広がっていたことも指摘する必要があります。4年前の陳水扁氏の得票率は約40%でした。銃撃事件がなければ陳水扁氏は当選しなかったかもしれませんが,それでも今回得票率が50%に近づいていたことは間違いありません。陳水扁氏の当選の背後にはこの台湾アイデンティティを持つ強固な支持基盤を築いていたことが指摘できます。

C連戦氏は選挙の無効を訴えていますが、台湾の政治はこれからどうなっていくと考えられますか?

 数千人の連戰氏の支持者が台北市内の総統府前広場に集まり,票の再集計を要求しています。しかし,台湾の選挙法から見て,選挙結果が覆ることはないと思います。
 陳水扁氏は国民和解を呼びかけるでしょうけど,感情的な対立が続き,与野党の協調関係を築くことは容易ではないでしょう。台湾政治は膠着状態が続くでしょう。次の焦点は,12月に予定されている立法委員選挙で陳水扁陣営が過半数を制することができるかどうかです。
 陳水扁の再選によって台湾アイデンティティが一段と勢いづくことが予想されます。台湾政治の方向は自立化傾向(中国から離れて行く傾向)が強まるでしょう。しかし,台湾経済は中国経済との相互依存をますます深めています。経済界からは中国への接近を望む声が強まることが予想されます。このように政治の力学と経済の力学は明確にぶつかり合っています。陳水扁政権はこの矛盾の上に乗っているわけで,近い将来にこの矛盾を解決するのはほとんど不可能な状況にあると言えます。

Dこの選挙の結果が今後の中台関係、さらに東アジア情勢全体に与える影響については、どうお考えになりますか?

 中台関係は,すぐには大きな変化は生じないと思います。しかし,陳水扁氏は2006年に新憲法の制定を表明しているので,今後,中台関係は緊張の度合いを増していくことが予想されます。陳水扁氏の再選によって台湾アイデンティティが一段と勢いづくので,台湾は国際政治においても自己主張を強めていくことが予想されます。台湾が,中国の主張する「一国二制度」を受け入れる可能性はまったくありません。
 これまでの東アジアの国際政治の構造は,台湾の存在を無視することで成り立ってきました。自己主張を強める台湾はこの枠組みから外れつつあります。台湾を東アジアの国際政治の構造の中でどのように位置付けるのかが問われています。アメリカは,戦略上台湾を保護していく姿勢は変わらないですし,台湾が民主的手続きを経て自立化傾向を強めていくことに理念的に反対はできないと思います。しかし,アメリカは911以降のテロ対策ならびに北朝鮮の問題があるので中国との協調を必要としています。その中国は,台湾の自立化傾向を決して許さないと表明しています。ですので, アメリカにとっても日本にとっても非常に難しい局面になってきたと言えます。 国際政治において台湾の適切な地位を認めること(例えばWHOへの加盟を認めるとか,その他の国際機関への加盟を認めること)が,台湾の極端な行動を防ぐことにつながるということを認識する必要があります。中国政府はこのことを認識すべきですし,日本政府は,中国政府に自制を求めていく必要があると思います。

OGASAWARA HOMEPAGE