フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪ フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪    蔡英文政権論 3

蔡英文政権の1年

― 満意度低下,反転攻勢はできるのか ―
東京外国語大学
小笠原 欣幸

 蔡英文政権がスタートして1年と2か月になる。蔡政権が手掛けた国内改革はどれも抵抗勢力の強い反対に遭い,適切な人事配置ができていない政権の側も推進力を欠いていた。蔡総統は出だしからつまずき,満意度(満足度)は就任半年の段階で早々と下落した。政権1周年の民意調査はいずれも蔡政権に対し厳しい数字が並んだ。
 しかしここにきて,立法院の過半数を使って制度改革を一つ一つ実現させる動きが本格化してきた。激しい反対行動を押し切り年金改革法案,そして,大型インフラ整備法案が通過した。一定の譲歩を絡めているので派手さはないが,実績はしだいに積みあがっている。蔡政権はここから反転攻勢に出たいところだが,離れかかった民意がどう反応するのか楽観視はできない。蔡政権のゆくえを占う大きな山場にさしかかっているといえる。


大型インフラ整備計画の予算案審議を妨害する国民党立法委員 2017年7月13日
(出所)呉思瑤立法委員Facebook


1.低下する満意度

《図1》蔡英文総統の満意度と不満意度の推移

(出所)TVBS民意調査を参照し筆者作成

 《図1》はTVBSの民意調査で示された蔡総統の満意度と不満意度の推移をグラフにしたものである。就任から1か月後の2016年6月の蔡総統の満意度は47%で,よい数字がでていた。不満意度は18%,意見なしは35%であった。しかし,蔡総統の満意度はその後下がり続け,就任から半年後の2016年11月には 30%の防衛線を割り込んで26%に下落した。不満意度は大幅に増加し46%,意見なしが29%であった。高い期待を背負って当選した蔡英文は,就任半年後には期待の貯金をほぼ使い尽くした。
 それ以降は,蔡の満意度は26-29%の狭いレンジの中にあり,低空飛行状態が続いている。今年6月,底を割るかのように21%に急落したが,翌7月にはもとの低空飛行レンジに戻った。しかし,不満意度は50%を超えた状態にある。グラフを見ると非常に危険な状況に入ったといえる。
 参考までに,馬英九総統の8年間の満意度の推移を見ておきたい。《図2》はTVBSの馬総統満意度民意調査(2008年4月から2016年5月まで)をグラフにしたものである。馬政権一期目は満意度の上下動が激しかった。2009年の八八水害の際には16%にまで落ち込んだが,そこから持ち直して2012年1月の再選にこぎつけた。しかし,政権二期目に入ると,満意度は11-18%のレンジ,不満意度は63-74%のレンジに入って,動かなくなった。こうなると回復は不可能で政権交代という流れになる。

《図2》馬英九総統の満意度と不満意度の推移

(出所)TVBS民意調査を参照し筆者作成  【拡大図】


2.つまずきの原因

 蔡英文政権のつまずきの原因は人事にある。行政院の閣僚は「老藍男」(年齢が比較的高く国民党系の男性が多い)であるとして台湾メディアで繰り返し批判的に取り上げられた。
 政権スタートの直前の5月12日のTVBS民意調査では,行政院長に林全が指名されたことについて「適合」と考える人が44%,「不適合」と考える人は8%であった。この数字は悪くはない。この時の蔡英文の満意度は40%であった。
 しかし,同時に,行政院の閣僚名簿については,「満意」が28%,「不満意」が20%であった(政権発足前であるから「意見なし」が当然多く52%であった)。さらに,この名簿で「耳目一新という感覚があったか」という質問には,「あった」が22%,「なかった」が39%であった。
 この数字がまさに,「老藍男」を選択した蔡英文・林全の発想が「耳目一新」を期待した選挙民の発想とズレていたことを示す。国民党系のベテランを起用することによって政権の継続性と安定性および社会的亀裂の修復を図ろうとした蔡・林の意図はほとんど評価されなかった。ここに失望の種がまかれた。
 そして,実際に何人かの閣僚の不適切な言動があり,また,本来しっかり政策を説明すべき担当閣僚が十分な説明をせず,政権へのネガティブな印象が広がった。しかし,これがすべてではない。

《図3》蔡英文総統と林全行政院長の満意度の推移

(出所)TVBS民意調査を参照し筆者作成

 《図3》は昨年6月から今年6月までの蔡英文と林全の満意度のグラフを重ねたものである。当初は林全の満意度が先に低下し,それに引きずられるように蔡英文の満意度も低下したことがわかる。しかし,1年後に両者は並んでしまった。もはや「行政院が総統の足を引っ張っている」という状況ではない。蔡総統の政権運営全般に不満が表明されたのである。

3.改革志向と継続惰性の混在

 この1年の動きを観察すると,蔡政権は改革志向政権と規定して間違いない。まず,2016年選挙戦の流れからして,蔡英文は馬英九国民党政権の8年を停滞と批判し,大きな変革を唱えて,それで支持を集めて登場してきた政権である。次に,蔡英文の著書を読むと,その政治思想はヨーロッパ社会民主主義に近く,市場経済を活性化させつつ市場の偏りを積極的に是正する社会政策を追求する政治思想の持ち主である。
 そして,政権発足後1年あまり,《表1》のように改革を推進する方針・政策を次々に打ち出している。これらは,週休二日制や年金の問題のように馬政権が投げ出した課題から,脱原発のように民進党のイデオロギーがかかった課題まで幅広い分野に及んでいる。

《表1》蔡政権の重要政策
時 期項 目法案・方策備 考経過
2016年
6月
移行期正義「促進転型正義條例」提出条例は権威主義体制時代の公文書の公開,真相究明,社会的和解などを目的とする。未成立。
2016年
7月
不当党資産処理「不当党資産処理条例」成立行政院に「不当資産処理委員会」が設置され,国民党の党資産解体のプロセスが進行中。
2016年
8月
原住民への謝罪原住民への談話発表総統府に「原住民族歴史正義と移行期正義委員会」が設置され,原住民の権利回復の道筋を検討中。
2016年
11月
司法改革総統府に「司法改革国是会議準備委員会」設置「司法改革国是会議準備委員会」が,意見聴取・専門家会議・コンセンサス形成・包括的司法改革案作成の作業を進めている。
2016年
12月
福島周辺4県食品輸入規制解除輸入規制解除の方向を示したが,反対が強く先送り日本との関係で非常に重要な問題であるが,民衆の食の安全に対する不信感,放射能汚染に対する恐怖感が非常に強く,理性的な議論が困難な状況にある。×
2016年
12月
同性婚合法化民進党の立法委員が民法改正案を提出民進党の立法委員が議員立法の形で民法改正案を提出。しかし蔡政権の指導力が見えず審議は停滞。2017年5月,大法官会議が「現行民法の規定は憲法違反」との憲法判断を示し,2年以内の立法措置を求めた。×
2016年
12月
変則的週休二日制導入「労働基準法」の改正案成立雇用者側は労働コスト増になるとして,完全週休二日制を求める労働側は不十分だとして反対。法令が複雑で,多様な雇用現場に対応しきれていない。早くも再修正の声が与党内から出ている。
2017年
1月
脱原発エネルギー政策転換「電業法」改正案成立2025年に原発をやめグリーンエネルギーに切り替えることを決めたが,電力不足・電力料金値上げを招かず実現できるのかは不透明。
2017年
6月
年金退職制度改革年金関連3法案成立公務員・教員,そして次の改革の対象である軍人の関係者が激しい抗議を続けている。
2017年
7月
大型インフラ整備計画「前瞻基礎建設特別條例」成立8年間で8825億台湾元(約3兆3000億円)の予算規模の大型公共事業計画。審議の過程で,4年間で4200億台湾元の基礎計画が認められた。
(注)「経過」の〇は一定の成果があったことを示す。△は進行中,×は現時点で不透明。
(出所)筆者作成

 ところが,細かく観察すると,蔡政権は多くの分野で従来の国民党政権の政策・体質を継続している。つまり,本来中台関係についての公約であった「現状維持」がいろいろな分野におよび,政権人事を含め継続志向あるいは惰性という結果になっている。これが中途半端な政権という印象につながっている。
 例えば,大型インフラ整備計画にはグリーンエネルギー推進やスマート学習環境の整備などの革新型の事業項目もあるが,鉄道建設のような従来型の公共事業が中心となっている。また,週休二日制導入問題では,従来の労働基準法と馬政権時代の発想である「一例一休」をそのまま使ったため,雇用現場の多様化に十分対応できていない。
 蔡政権が進める改革は,いずれも利害の対立や価値観の対立があり,非常に強い反対論が存在する。これらの賛成・反対の境界は通常の藍緑の支持者の境界とは必ずしも一致しない。民進党支持者の中にも特定の改革案に反対の人がいる。そのため,改革案がいくつか並べば,何か一つでも反対がある人が多数になりやすい。それが蔡総統の満意度の低さ,不満の高さにつながっている。改革をあまりやらず政権に座っているだけの方が満意度は今より高かったであろうが,蔡英文はそうしなかった。
 また,蔡総統は社会的亀裂の修復を重視しているので,改革に反対する人たちに対し,小泉流に「抵抗勢力」というレッテルを張って推進力にするという政治手法は避けている。それがかえって蔡総統のリーダーシップを見えにくくし,優柔不断という印象を与えている。民進党の熱血支持者が期待していたのは,おそらくトランプ米大統領がオバマ時代を否定し次々と逆の政策を推進しているのと同じように馬英九政権の政策を次々と覆していくことであったかもしれない。しかし、蔡英文はそういうやり方はしないタイプの政治家だ。
 そもそも担当閣僚が改革の理念を十分発信できないケースも少なくない。閣僚の任命は,制度上は林全行政院長の職責であるが,蔡総統の責任にならざるをえない。大統領制と議院内閣制を組み合わせた中華民国の政治機構は小さな台湾を統治するには巨大すぎるという構造的問題もある。これらの要因が複合し,多くの改革案を手掛けているのに惰性で動いているかのような印象が生じるのである。

4.中台関係

 蔡総統は2016年5月の就任演説で,「1992年に若干の共同認識と了解が達成されたという歴史的事実は尊重する」と表明したが「92年コンセンサス」そのものは語らなかった。中国は蔡英文政権が「92年コンセンサス」を認めていないとして,6月に中台間の対話の停止を一方的に発表した。それ以来,中台関係は膠着状態にある。
 これについて,台湾内部では蔡英文を批判する声があるが,現時点では中国の蔡英文批判に同調しているのは国民党支持者であり,中台関係が蔡英文政権の基盤を揺るがすという状況ではない。
 今年1月の『天下雜誌』の調査では,蔡政権の対中政策は一定の支持を得ている。「蔡政府が両岸関係の処理において『92年コンセンサス』を出さず現状維持を強調していることについて賛成するか否か」という質問の回答は,賛成(認同)57.4%,賛成せず(不認同)32.9%,回答拒否/わからない9.8%であった(「2017天下國情調査」『天下雜誌』2017年1月)。
 また,「台湾指標民調」を引き継いだ「美麗島電子報民調」の今年5月の調査で,「両岸関係を改善しようとするならどちらの側が政策を調整すべきか」という趣旨の質問をしている。その回答は,「蔡総統が調整すべき」が10.7%,「中国政府が調整すべき」が10.9%,「どちらも調整すべき」が63.7%,「どちらも調整する必要はない」が3.4%,「明確に答えない」が11.3%であった(「美麗島電子報2017年5月國政民調」)。
 つまり,この調査は,台湾の多数派の民意は中台関係の膠着状態を望んではいないが,蔡政権が一方的に折れる形での打開を望んでいるわけではないことを示している。
 蔡英文の当選は馬英九が進めた対中政策に対する批判・懸念の広がりを反映しているので,現時点で蔡政権が「92年コンセンサス」を認めることはない。中台関係の膠着状態はこの先も続くと考えざるをえない。
 蔡政権は「現状維持」政権であり,「建国独立」という動きは見せていない。独立派の不満を何とか抑えながらやっているのが実情である。「中国を挑発せず」と言っているとおり,蔡英文は中国に対しかなりの配慮をし,その言動はかなり抑えたものになっている。例えば,蔡総統は1月にトランジットで米国入りしたがローキーに徹した。李明哲事件(台湾のNGO活動家が中国で拘束された事件)についても蔡総統の発言は比較的穏便で,台湾内部から批判を浴びている。国際的ニュースになったトランプとの電話会談があったが,あれはトランプ側が公表したのであって蔡側ではない。
 一方,内政については,蔡政権は「台湾アイデンティティ」を固めるための政策を着々と進めている。大きな枠組みでいうと,「現状維持」とは「中華民国在台湾」の路線であり,それは蔡英文の就任演説からもわかるように馬英九とあまり違わない。しかし,「中華民国在台湾」の枠組みの中で「台湾」の要素を重視するか「中国」の要素を重視するかで,やはり両者は異なる。馬英九も「台湾アイデンティティ」を認めていたが,馬英九は中国とのつながりを重視し,蔡英文は中国と距離を置こうとする。
 「新南向政策」は,東南アジアなどとの経済関係を強化する経済政策として注目されているが,実は文化的な意味合いも大きい。長期的に「アジア太平洋の台湾」というアイデンティティを志向した政策といえる。蔡政権の文化・教育政策は,アイデンティティがからむ分野では「台湾アイデンティティ」の方向を向いている。
 中国は台湾に対する圧力を強めている。任期中に「台湾アイデンティティ」を固めたい蔡政権と,そうはさせたくない中国とのせめぎあいが今後熾烈になるであろう。

5.反転攻勢はあるのか

 蔡総統の満意度の低下は危機的局面に入っているが,それで政権・与党内が動揺あるいはパニックになっているということではない。野党国民党が呉敦義を党主席に選出し態勢を立て直そうとしているが,まだ民進党を脅かすほどの勢力回復は見られないことから,政権・与党は比較的落ち着いていられるという事情がある。
 与党立法委員の側では水面下で不満は蓄積しているが,公然と蔡英文を批判する動きはない。来年11月の統一地方選挙はまさに剣が峰であるが,それまでにまだ手があるというのが民進党内の多くの見方である。
 蔡政権反転攻勢の基本は政策を実行していくことに尽きる。政権発足1周年を機に年金改革法案,大型インフラ整備法案が成立したのは明るい材料であろう。実際に,年金改革法案成立後の7月10日のTVBS民意調査で蔡総統の満意度は8ポイントも上昇した。蔡総統の地味な政治スタイルは変わらないであろうが,リーダーシップを発揮する局面は増えていくはずだ。
 反転攻勢の切り札は行政院長の交代である。林全から陳菊(高雄市長)または頼清徳(台南市長)に交代させるという説は台湾メディアで早くから流れている。陳菊も頼清徳も市政で高い満意度を得ており,民進党の支持者の期待も高い。
 2017年2月14日のTVBS「国内主要政治人物声望調査」で,陳菊の満意度は62%,頼清徳の満意度は58%で,満意度が29%の蔡英文,同27%の林全を大きく上回り,調査対象者の中で1位と2位であった(図4)。これは台湾全体を対象とした調査であり,陳菊と頼清徳は高雄市,台南市を超えて幅広い声望があることを示す。つまり,蔡英文はカード(王牌)を2枚持っている。

《図4》主要政治人物声望調査

(出所)TVBS民意調査を参照し筆者作成

 適切なタイミングで行政院長を交代させ,閣僚人事を一新すれば政権浮揚効果が期待できる。そのタイミングは年末から来年の春節にかけてであろう。来年11月地方選挙から逆算すると人事刷新の時期は絞られてくる。
 蔡総統としては林全続投が望ましいが,おそらく現在の満意度の推移からすれば政権人事改造を迫られるであろう。その時までに林全内閣は多くの改革法案を成立させ実績を積み重ね,段階的任務は十分果たしたことになるであろう。
 ただし,単なる首のすげ替えであれば効果は限定的である。閣僚には政策と方向をきちんと説明できる人物を任命するのは当然であるが,陳政権を見ても馬政権を見ても人材起用は簡単ではない。かなり難度の高い準備が必要となる。
 陳菊と頼清徳は行政院長候補としてよく並べて論じられるが,蔡英文の権力関係から見ると意味合いはかなり異なる。どちらのカードを使うかで蔡政権の性質も変化していく。
 この人事は,また,蔡英文の2020年再選戦略を左右する非常に重要なものになる。蔡英文は2020年の副総統候補,そして政権二期目の人事構想を胸にこの行政院長人事を考えねばならない。

(2017年7月16日)

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