沖ノ鳥島沖台湾漁船拿捕事件

― 日台関係に激震 ―

小笠原 欣幸


 4月25日の沖ノ鳥島沖での台湾漁船拿捕をきっかけに日台関係に激震が走っている。対立をエスカレートさせる馬英九政権の行動は強く批判されるべきであるが,日本側に台湾の政権交代目前という微妙なタイミングで台湾漁船を拿捕する必要があったのか,警告などにとどめておくことはできなかったのか疑問を抱かざるをえない。台湾漁船の拿捕は,任期切れの前に一矢報いたいと挙動を続けてきた馬政権に主権擁護のパフォーマンス(=騒ぎ)を起こす絶好の口実を与えたと言える。

 水面下では不信感

 日台関係は「1972年以降最もよい状態」と言われながらも,昨年来,水面下で馬政権と安倍政権との間で不信感が蓄積しつつあった。馬政権側は,総統選挙が近づく過程で,安倍政権関係者(岸信夫議員)が民進党・蔡英文と関係を深め,安倍首相自ら蔡英文の当選に祝意を表したことに不快感を抱いていた。
 日本側では,馬総統の度重なる慰安婦発言,日本食品輸入規制解除を進めないこと,馬英九習近平会談で中国寄りに舵をきったことなど,この1年ほどの馬英九の言動に安倍政権がいらだちを強めていたと見ることができる。
 その現れとして,台湾の選挙の翌日の今年1月17日,訪台した交流協会(日本の対台湾窓口機関)の大橋会長が民進党本部に蔡英文主席を訪ねたにもかかわらず,総統府への表敬訪問はしなかった。交流協会会長が訪台し,総統府を表敬訪問せず野党党首に面会したのはおそらくこれが初めてだろう。これには馬政権側が「非礼」という反感を抱いた。
 大橋会長は3月16日にも再度訪台し蔡英文主席と面会したが,この時,馬総統は中南米外遊で不在であった。これも馬政権からすると,あたかも馬英九の留守を狙ったかのような意図的日程に見えたであろう。(大橋会長は,4月11日に今年三度目の訪台でようやく馬総統と面会した。)

 南シナ海問題で島か岩かの論争

 一方,馬政権は任期切れを前に,主権擁護のパフォーマンスを繰り返した。これは台湾内部で「無能」の烙印をおされた悔しさから「破れかぶれ」の行動に出たもので,陳水扁政権の末期にも見られた台湾ならではの政権末期症状である。アメリカの反対を押し切っての太平島(台湾が実効支配する南シナ海の島)への上陸はその一例だ。
 南シナ海で対立するフィリピンの出張の一部に,「太平島は島ではなく岩」とする説があり,馬政権は,本質の問題である11段線・9段線の問題には向き合わず,総統を先頭にメディアや学者グループを使い官民挙げて「島か岩か」を焦点とする議論を展開してきた。東シナ海でも保釣活動家を連れて尖閣諸島に近い彭佳嶼に行くなどのパフォーマンスをしたが,日台漁業協定がありそれ以上の行動はとれずにいた。

 台湾漁船拿捕

 そのような状況で,沖ノ鳥島沖台湾漁船拿捕事件が発生した。日本は1996年に沖ノ鳥島周辺200海里に排他的経済水域(EEZ)を設定した。2003年以降,中国,韓国が,「沖ノ鳥島は島ではなく岩礁なのでEEZを設定できない」として日本のEEZ設定に異議を唱えている。台湾の外交部は「(島か岩か)国際法上の地位について争いがある」としていたが,岩だとの明言は避けていた(「台湾総統「沖ノ鳥島は岩」 漁民逮捕受け対日硬化」『朝日新聞』2016年4月28日 http://www.asahi.com/articles/DA3S12332216.html)。
 実は,沖ノ鳥島沖で海上保安庁が台湾漁船を拿捕したのは2005年10月と2012年6月にもあった。2回とも台湾側が日本側に「保証金」(本来は裁判への出廷を保証する金だが,実際には出廷せずに没収されるので「罰金」に近い)を支払っている(「我漁船在沖之鳥礁海域作業遭日方扣押 至今已3起」『自由時報』2016年4月27日 http://news.ltn.com.tw/news/society/breakingnews/1678229)。2012年は馬政権であるが,外交部が書面で抗議しただけであった。
 今回,海上保安庁は過去2回と同じように沖ノ鳥島沖の排他的経済水域内で操業していた台湾漁船を発見し拿捕した(4月25日)。漁船の船主は翌日「保証金」170万台湾ドル(約600万円)を支払い,台湾人船長ら乗組員が保釈され船も返還された。
 馬政権は「突然」「日本が一方的かつ不当なEEZを設定し台湾漁船を拿捕した」と大騒ぎを始め,対日強硬路線に突き進み,「漁民保護」の名目で沖ノ鳥島周辺の日本のEEZ内に台湾の海巡署の巡視船を出航させた。馬総統が自身の功績と誇る「東シナ海平和イニシアチブ」の第一項目「対立行動をエスカレートしないよう自制する」を自ら破り,これも自身の功績と誇る対外関係でのサプライズ・フリー(意外なことをしない)の原則もかなぐり捨てた。
 馬政権,国民党,台湾メディアが連日,台湾世論をたきつけ日本を悪者にしたので,台湾在住の日本人,および日台の交流にかかわる人たちはいたたまれない気持ちになったであろう。これが事件の経緯である。

 「オウンゴール」

 これは馬英九にとってまさに「棚からぼたもち」であった。パフォーマンスをしたくてたまらない時に絶好の口実が得られ,一定の成果をあげたのである。「沖ノ鳥島は島ではなく岩」と主張することで,太平島は沖ノ鳥島に比べよほど島らしいという主権擁護になるし,同じ主張の中国のお先棒を担ぎ退任後の中台フィクサーの地位確保(連戰に取って代わる)にもなるし,日米寄りの蔡英文政権の出鼻をくじくことができるし,一石三鳥かそれ以上の「おいしいぼたもち」となった。
 日本側にとっては正当な法の執行であっても,敏感な海域においては政治的な判断が必要なことは2010年の中国漁船衝突事件で中国人船長が処分保留になった経緯からも明らかである。5月20日の台湾の政権交代を前に,台湾情勢,中台関係の動向にもっと神経をとがらせるべきであった。台湾政治は与野党を問わずチャンスとみれば必ずトライしてくる。日本とは感覚が違う。
 また,台湾ではこの数年「台湾アイデンティティ」の高まりが著しいが,「台湾アイデンティティ」とは,台湾の主体性・尊厳を重視する潮流で,中国に対抗するだけでなく,台湾を軽視していると見れば日本に対しても向けられるものである。
 台湾漁船だからこらしめようと思って拿捕したということはなかったのか,台湾が相手だから大丈夫と考えることはなかったのか,このあたりは日本側の情勢分析が十分であったのか疑問が募る。
 違法操業の問題については,「日台漁業委員会」などの場を通じて,沖縄周辺の台湾優遇を取り消す可能性をにおわせながら沖ノ鳥島での漁業をしないよう台湾の漁業関係者への徹底を求めるなど,駆け引きの方法もあったと思う。
 日台の良好な関係は,民間レベルでの人々の交流の積み重ねに支えられている。今年2月の台南の震災に際しては,東日本大震災での支援へのお礼ということで日本から多くの義援金と励ましが寄せられた。4月の九州熊本地震災害に対しても台湾から多くのエールが送られていた矢先であった。
 この事件により台湾は沖ノ鳥島問題で公然と日本と対立する立場に切り替えた。今後日本の主張に反対する勢力が勢いづくなどの影響がでかねない。何よりも日台関係に亀裂が走り,大変なマイナス状況をもたらす事態となった。(2016年5月5日記)


  参考資料1 日本の排他的経済水域

出所:海上保安庁ホームページ http://www.kaiho.mlit.go.jp/

  参考資料2 台湾の海巡署ホームページに掲載されている図

出所:台湾の海巡署ホームページ http://www.cga.gov.tw/GipOpen/wSite/mp?mp=999

首頁> 海巡法規> 行政規則> 海岸巡防機關執行中西太平洋漁業委員會公海登臨檢查作業要點
http://www.cga.gov.tw/wralawgip/cp.jsp?displayLaw=true&lawId=8a8181d9281a990201283dc844480008
附件1(中西太平洋公約海域)pdf檔
http://www.cga.gov.tw/wralawgip/FileDownload.jsp?id=8a8181d9281a990201283dcfab5d000d
(2016年5月5日閲覧)

この図の元の出所は,台湾も加盟しているWestern and Central Pacific Fisheries Commission
(中西部太平洋まぐろ類委員会)


  

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