2012年台湾総統選挙 選挙後のコメント

東京外国語大学
小笠原 欣幸

 台湾の総統選挙が事件・事故もなく平和裏に終了し,第13期中華民国総統が選出されたことを祝福したい。
 馬英九総統再選の最大の要因は,中台関係改善の実績,および,統一も独立もしないという現状維持路線が評価されたことにある。選挙戦中盤で馬総統が中国との和平協定の可能性に言及し支持率を下げる局面もあったが,発言が「ブレた」と言われても和平協定の可能性を事実上否定した選挙戦術が功を奏した。
 蔡英文主席の対中政策は「92年コンセンサス」(注)を一貫して否定したことに見られるように原則重視で,中国との交渉をうまく進めていけるかという懸念を払拭することができなかった。選挙戦終盤では馬英九を「究極の統一派」と決めつけ対決姿勢を強めたが,結果として中間派選挙民に支持を広げることに失敗し,12月下旬以降馬総統に突き放される展開となった。これで優位に立った馬総統が宋楚兪主席の票も奪って再選を確保した。
 格差問題では,蔡主席が福祉政策を強調し,経済成長の恩恵が限られた層にしか行き渡っていないという南部・中部の地方の不満をある程度取り込むことに成功した。馬政権は大企業・富裕層を優遇しているという印象を与え,苦戦する原因となった。このことが12月中旬まで接戦が続いた要因である。
 蔡主席は民進党の代表的政治家とは異なるタイプの候補者で高い期待を集めたが,陳水扁政権の負の印象から完全に脱却するには4年という時間は短すぎ,選対本部も陳水扁時代のスタッフが中心で旧来の思考の枠を超えず蔡英文の個人的特性を十分引き出すことができなかった。
 台湾の圧倒的に多数の人々は,台湾が事実上の国家として運営されている現状を維持することを求めている。この点では馬英九総統も蔡英文主席も一致している。中国共産党の言う統一を支持する人は台湾にはほとんどいないし,台湾の法的独立を支持する人も少数である。
 他方,台湾の民意は,中国との関係改善・経済交流拡大も望んでいる。両者のバランスがどこまで保てるかは,中国の次の指導部の方針にもかかわるので不透明な要因がある。馬政権2期目の中台関係は1期目ほど順調にいかない可能性もあり,馬総統は台湾の主体性と繁栄を維持するため中国との交渉でいっそうのしたたかさが必要になるであろう。
 4年に1度の大統領選挙は台湾の人々が台湾アイデンティティを確認する場である。台湾では民主政治がきちんと機能し,大統領選挙という制度を通じて人々は現状維持への強い決意を改めて表明したというのが今回の台湾総統選挙の最大のメッセージであると言える。




















小笠原ホームページ掲載コメント
2012年1月15日
(注) 「92年コンセンサス」は,1992年の中台双方の窓口機関の間で事務レベルの折衝過程で形成されたとされる。日本のメディアの中には「92年コンセンサス」を「一つの中国を確認した合意」と簡略化した説明をつけているところがあるがこれは不十分である。これは中国側の解釈である。台湾側は「一つの中国の中身についてそれぞれが(中華民国と中華人民共和国と)述べ合うことで合意した」と解釈している。中国側は中華民国の存在を認めていないので,江沢民時代はこの台湾側の解釈を否定してきたが,胡錦濤時代になって台湾側の解釈を否定も肯定もしない方針に切り替え国民党と共産党との連携に道を開いた。国民党の側も解釈のズレをあえて質さないようにしている。「92年コンセンサス」は中台間の解釈の違いを棚上げするという効用も持つ。これを「一つの中国を確認した合意」としてしまうと,中台間の政治的駆け引きもわからなくなるし,江沢民政権と胡錦濤政権の対台湾政策の違いも見えなくなる。


OGASAWARA HOMEPAGE