東沙諸島
台湾海峡危機の潜在的発火点 |
小笠原 欣幸 | |
中国の台湾への軍事的威嚇が強まっている。現時点では,中国が台湾侵攻作戦を敢行することは困難である。しかし,習近平としては,2021年の共産党百周年あるいは2022年の党大会を控え,台湾問題で何らかの「成果」を示したいであろう。そこで浮上してくるのが,台湾本島への武力行使ではなく,離島を奪取して内外に習近平の意志と力を見せつけ,「台湾統一が近づいている」という宣伝戦を展開する可能性である。合わせてバイデン政権の出方を試すことができる。それが東沙諸島である。台湾海峡危機の潜在的発火点として注視が必要だ。(2020年12月1日) |
1.中国の武力行使の可能性 中国の台湾への軍事的威嚇が強まっている。中国は台湾の「平和的統一」を主張しているが,武力を使わないと約束したことは一度もない。台湾統一が実現すれば「祖国中国の完全な統一」の最後のピースを埋めることになり,習近平国家主席にとっては,毛沢東,鄧小平に並ぶ大きな業績となるので,任期中にどうしても統一の実現か,少なくとも統一の道筋をつけたいと考えているであろう。 中国は「どんな犠牲を払ってでも」という条件付きなら,台湾上陸作戦を遂行できる軍事力はすでに備えている。しかしながら,中国もそこまでではない。現時点では,中国が台湾侵攻作戦を敢行することは困難である。中国の武力統一を抑止しているのは,次の3つの要素である。 (ⅰ)台湾軍の抵抗が予想される。これら3要素が弱まれば中国は台湾の武力統一へと動くであろうが,3要素がすぐに変わるわけではない。中国側は(中国がこの先ますます強国化するので)「時間は自分たちに有利」という認識なので,いまリスクの大きい軍事的冒険に出る必然性は低い。 ここで習近平の時間軸で考えてみたい。日本の中国専門家はほぼ全員,習近平が2022年の党大会で三選すると見ている。2032年とか35年まで続けるという見方も多い。習近平の頭の中では「任期中に台湾問題に決着をつけるチャンスが十分ある」ととらえているであろう。他方で,すでに8年間権力の座にありながら台湾統一がいっこうに近づいていない「不都合な真実」がある。政権継続の正当性を示すためにも,2021年の共産党百周年あるいは2022年の党大会において台湾問題で何らかの「成果」を示したいであろう。 加えて,中国は,台湾の有権者が再三の警告を無視して蔡英文を当選・再選させ,その蔡政権が米国との関係を深めていることに腹を立てている。「環球時報」は「台湾に懲罰を与える」「教訓を与える」という主張を繰り返している。中国国内向けにも「台湾を痛い目に遭わせる」何らかの行動の必要性が高まっている。 そこで浮上してくるのが,台湾本島への武力行使ではなく,離島を奪取して内外に習近平の意志と力を見せつけ,「台湾統一が近づいている」という宣伝戦を展開する可能性である。合わせて米のバイデン政権の出方を試すことができる。それが東沙諸島だ。 2.東沙諸島の戦略的位置 台湾の中華民国が実効支配する東沙諸島は,南シナ海の北東に位置する環礁で,東沙島だけが「島」である。飛行場があるが,島の大きさは約2800m×860mしかない。台湾の海巡署職員や研究者が常駐しているが,住民はいない。 東沙諸島は,以前はほとんど顧みられなかったが,南シナ海の戦略的重要性が高まったことで注目度が増してきた。中国はすでに南沙諸島・西沙諸島のいくつもの島礁を軍事基地化した。東沙諸島は,艦船や航空機が太平洋からバシー海峡を通って南シナ海に入る入口に位置するので,中国が東沙を支配すれば南シナ海に蓋をする形となり,東沙はその門番の役割を果たす。台湾にとって東沙島は,南シナ海で実行支配するもう1つの島太平島への重要な経路に位置する。台湾が東沙を失えば,太平島への補給ルートに穴が開くことになる。 中国が東沙島を掌握する可能性は,潜在的に高まっている。東沙は地理的に中国沿岸から近く,台湾本島からは距離がある。台湾本島からは約410kmあるが,香港からは約320km,広東省の汕頭(スワトウ)からは約260kmしかない。現在は,台湾の海軍陸戦隊約500名が守備についているとされる。地下壕も作られているがまったく平坦な地形で,基本的に防衛は不可能な島だ。 東沙への関心を大きく高めることになったのは,2020年5月12日の「中国軍が東沙諸島の奪取演習を計画」という「共同通信」のスクープ記事である。同年8月以降,中国軍は東沙と台湾本島の間の海空域で活発に活動し,台湾の補給路を断つ演習を集中的に行なったと見られる。上陸演習は別の場所でやっている可能性が高い(例えば海南島)。 10月には,東沙島に補給物資を運ぶ台湾の航空機が高雄から離陸したが,香港の航空管制から「安全を保障できない」と通告され,やむなく引き返す事件があった。軍事専門家は「中国軍がいつでも東沙の補給路を断つこともできるし,奪取しようと思えばできる状況にある」と見ている。 3.中国の東沙掌握のメリット (1)台湾と国際社会に対し中国の台湾統一の意志と力を見せつける。中国としては,東沙諸島を掌握するメリットはいくつかある。 (1)は,常識的には,台湾および日米など国際社会の対中警戒と反中感情が高まり,逆効果になると考えられる。だから「そういうことはしない」と筆者もこれまで考えてきた。しかし,習近平指導部が香港で見せたように,香港や台湾の民衆の声にかまわず中国の論理で動く可能性がある。 (2)は,南シナ海で中国がすでに環礁を埋め立て軍事基地化し,アメリカも国際社会もその既成事実をどうすることもできなかったという前例がある。習指導部には同じ発想があると考えられる。 (3)は,米の台湾防衛の意識の中に東沙防衛があるかどうかは疑問で,米の世論も南シナ海の無人島のために中国と戦争するとはならず,バイデン政権は動けず,米軍の派遣には至らないと習指導部が計算する可能性がある。他方,中国にとっては過去4年間,トランプ政権によって忍耐を余儀なくされてきたという思いがある。米中関係の主導権を取り返そうと考えるのが自然である。習指導部には,まずバイデン政権の出鼻を挫いておいて,そのうえで,米民主党が重視する地球温暖化対策,コロナワクチン提供,貿易の国際ルール作りなどで米の顔を立てるといった高等戦術もありえる。 (4)は,東沙に手を出すことで「台湾は本島の防衛をいっそう固め,国際世論も中国に厳しくなり逆効果」というのが一般的な見方だが,習近平には時間があるので,一時的に逆効果になっても,「台湾統一の流れに逆らっても無駄だ」という印象が広まる方が好都合だと考える可能性がある。 4.中国の軍事的オプション (a)奇襲攻撃で上陸,台湾軍の守備隊を捕虜にする。東沙への軍事行動といっても,上陸・奪取とは限らない。ここで重要なことは,(e)の演習の常態化から(a)の上陸作戦までの間にいくつものオプションがあることだ。「あれかこれか」で考えることは適切ではない。日本でもアメリカでも中国への警戒感が高まっているので,いま中国が台湾本島を攻撃すれば米軍が動くであろうし,日米で強い反中感情が巻き起こるであろう。 しかし,台湾本島と東沙諸島では反応が異なる可能性がある。日米で,東沙諸島の場所を知っている人はまずいない。「東沙の有事は台湾有事と比べると日米の世論の反応はそれほどでもない」と習指導部が計算する可能性がある。 中国としては,まず(e)のオプションでバイデン新政権を試してみる手がある。バイデン政権の反応が弱いと見れば(d)から(c)へとエスカレートすることもありえる。南シナ海の無人島と聞けば,アメリカの世論も「米兵を死なせるには値しない」と受け止める可能性がある。実際,オバマ政権時代に中国による南沙諸島の軍事化は成功している。 バイデン政権が強く出れば,中国は(e)か(d)のあたりで止め,対米協調のような発言をすればよい。中国が「エスカレートさせない」と約束すれば米政権は「ほっと一息」となるかもしれない。それでも台湾には大きなプレッシャーになる。これで台湾社会にパニックが起これば,習近平にとって「棚から牡丹餅」となる可能性もある。 離島の奪取といえば,以前は金門島や馬祖島の可能性が語られた。しかし,両島は住民が住んでいるし,台湾と中国大陸を結びつける地理的・歴史的効用がある。中国の対台湾政策部門では,「中国が金門・馬祖を奪取すれば台湾独立意識が高まるだけでメリットは薄い」という認識が1980年代以降広がっている。また,両島の住民は統一を支持する比率が台湾本島の住民より明らかに高い。中国が武力行使をすれば,それらの親中的な住民に危害を加えることになる。一方,東沙諸島には台湾を引き留める歴史的絆というものがない。 5.まとめ 中国にとっては,東沙諸島で何らかの行動を起こすことで一石何鳥のプラスを得られる可能性がある。つまり,やり方とタイミングをうまくすれば,米軍は動かず,国際社会の中国批判もたいしたことにならないし,なっても一時的という計算を習指導部がする可能性がある。これは要注意だ。 実際に何も起こらなければ,それが一番よい。日本の政府も国民も危機感を持っておくことが戦争の予防につながる。万が一,中国が台湾本島およびその実効支配島嶼へ武力行使するようなことがあれば,日本で強烈な反中感情が巻き起こり「日中関係は10年も20年も正常化できなくなる」という見通しを,日本政府だけでなく日本の社会が発信する必要がある。日中友好と平和を願うのであれば,まず「中国に武力行使をさせない」という決意を固めなければならない。 (出所)片倉佳史氏撮影(使用許可を得ています) 東沙島の飛行場 (出所)片倉佳史氏撮影(使用許可を得ています) 東沙島の風景 (出所)片倉佳史氏撮影(使用許可を得ています)
|