フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪
日本における李登輝評価とイデオロギー構造

小笠原 欣幸

 李登輝元総統が逝去された。日本でも多くの報道があり,追悼の言葉が聞かれた。日本での李登輝に対する関心・評価の度合いは人によって異なる。李総統の逝去に心から悲しむ人もいるし,何とも思わない人もいる。李登輝への好感度は,「右派・保守」と「左派・リベラル」という日本政治のイデオロギー構造と連動している。

1.李登輝評価の理由
 日本人で李登輝に好感を抱く理由は大きく分けて2つある。1つは,台湾の民主化の推進者だからであり,もう1つは,いわゆる親日家だからである。李登輝が台湾の民主化に寄与したことについては左右問わず評価するのが通例であり,これ自体を否定する人は日本の言論界ではまずいない。
 しかし,評価の程度はやはり異なる。非常に高い評価かそれほどでもない評価かの違いがある。李登輝が進めた民主化のプロセス・問題点を詳しく見ているのは一部の学者・評論家に限られるので,一般的にいって台湾政治への日本人の理解が深いわけではない。評価の違いは,民主化そのものではなく,その結果が台湾の自立を導いたと見るか中台関係を悪化させたと見るかの対中国の立場が関係している。反中意識の強い人は李登輝を英雄視する傾向があるし,親中意識の強い人は李登輝を否定的に見る傾向がある。
 親日家という部分については,親日を「日本に友好的」という一般的な意味で使うなら,日本に対し称賛を含むポジティブな評価を発する李登輝に好感を抱く日本人が多いのは不思議なことではない。李登輝は日本の思想・哲学をよく理解し,それを日本語で語ることができた。李の思想・哲学は戦前に源流がある。これが保守派には歓迎され,リベラル派には歓迎されない理由となる。リベラル派でそれを口に出す人は少ないが,李に不快感・違和感を抱いている人は少なくない。
 さらに日本統治時代の台湾に関する李登輝の発言が,日本における歴史認識論争と連動する。コアのリベラル派は日本の植民地支配は100%間違っていたと考え,コアの保守派は日本の台湾統治は100%正しかったと考える。両極の間はグラデーションのようになっている。日本統治下の台湾がどうなっていたのか実証的に理解したいと考える人もいる。多くの人はこのグラデーションのどこかに位置する(図参照)。

2.李登輝がもたらした変化
 李登輝が日本の植民地支配を肯定的に語ることについて,コアの保守派だけでなく,韓国と中国による長年の日本批判にうんざりしていた人たちにも李登輝は強くアピールした。李の話を聞いて「戦前の日本=すべて悪」から「戦前の日本=すべて善」に大転換を遂げた人がどれほどいるのかは知らないが,少なくとも,「戦前の日本=すべて悪」の絶対的価値から離れて戦前・戦後の様々な出来事を相対的に見ていく方向に動いた人たちに影響はあったであろう。
 台湾の民主化以降,言論・報道の自由が保障され,それまで沈黙を守ってきた日本統治時代の生き証人たちが次々と口を開いた。日本から多くの記者・作家が台湾を訪れ,彼ら・彼女らの「記憶」を引き出し,日本で次々に発表した。研究者の間では,それらの回想は事実関係や時代背景などを検証して参照するのが常識だが,一般的には当事者の回想は「真実」として受容されていく。それは韓国や中国の「記憶」と同じことだ。
 こうした動きはかなりの時間をかけながら日本人の台湾認識を変えていった。李が総統に就任した1988年の時点では,台湾に関する報道も情報も限られていた。また,日本の官僚機構は「日中友好」という政府の外交方針に規定されていたから,李の言動に対し冷ややかな見方も多かった。
 それから30年以上が経過し,台湾に関心を抱く日本人の比率は大きく上昇した。例えば,台湾に行ったことがある人,台湾を旅行したいと思っている人の比率は1980年代よりかなり多い。台湾関連本も増え,雑誌でもよく「台湾特集」が掲載されるようになった。「日中友好」の政府方針は変わっていないが,その枠組みの中で台湾との交流の方法を探るなど様々な変化が生じている。
 日本において台湾との交流に熱心なのは明らかに保守の方であり,日台関係への影響力は保守派の方が圧倒的に大きい。そのことが,リベラル派があまり台湾に関心を抱かないという循環につながる一因でもあった。李登輝の在任中と退任後の日本への働きかけがこの構造に一定の寄与をしたと見ることができるが,問題の根源はイデオロギーで台湾を見る日本側にある。
 李登輝という人物も李登輝が生きた時代の台湾も,「あれかこれか」ではとうてい割り切れない複雑さと矛盾を抱えている。その広がりは保守・リベラルの枠を超えるのだが,その議論がどうしても後景に退いてしまう。結局,李登輝への好感度の差異は日本のイデオロギー対立の縮図となっている。

3.李登輝後の台湾
 台湾では,李が推進した「民主化し台湾化した中華民国」のもとで「台湾アイデンティティ」がすでに定着している。それは李登輝の逝去によってもびくともしない。「中華民国の枠組みを使って台湾のアイデンティティを固める」という李登輝が総統在任中に考えていたことは,20年の曲折を経て蔡英文に継承された。
 一方,日台関係についても双方の交流の当事者は,戦後生まれ,そして若い世代へと引き継がれている。蔡英文は,日本の歴史認識についてほとんど語らないという点と,リベラルな価値観の持ち主であるという点で李登輝と異なる。では,日本のリベラルの台湾観は変わるのであろうか?
 日本と台湾の主要政党のイデオロギーはねじれがある。民進党はリベラル志向で,日本のリベラル派とは本来話が合うはずだが,対中政策・対中観が異なる。国民党はイデオロギー的には保守志向(保守的な家族・国家の価値観,企業重視,同性婚に批判的,原発推進)で,自民党とは話が合うはずだが,対中政策・対中観がやはり異なる。
(注:ただし,台湾の総統選挙で問われるのは「台湾のあり方」であり,この左右のイデオロギー的要因は台湾では副次的なものになる)
 台湾は友好や人道援助に価値をおいているが,それだけではなく,国際的孤立と中国の統一圧力という切羽詰まった事情がある。台湾から見ると,日本のリベラルはあまりあてにならない。日本のリベラル派が台湾について語ることは少ないし,台湾のために声をあげることはもっと少ない。声をあげるのは保守派であって,リベラル派の多くは台湾をなるべく見ないようにするか,あるいは台湾について批判的な評論を書くかである。もちろんリベラルで台湾を正面から評価する人は何人もいる。日本社会が,台湾の民主主義の営みそれ自体に関心を寄せる方向に変化することを期待したい。
 中国の習近平政権は台湾への圧力を強めている。中国に統一されれば,台湾がいま享受している自由と民主主義は抑圧される。それは香港を見れば明らかである。自由と民主主義を実践しそれを守ろうとしている台湾に「日本社会はかくも冷淡なのか?」というのは台湾の問いかけである。日本社会が台湾の現状をどう受け止め,どう準備するかは,李登輝が置き土産として残していった日本の宿題であろう。

改めて李登輝元総統のご冥福をお祈りします。(2020年8月5日)


(出所)筆者作成

 OGASAWARA HOMEPAGE