一〇年ひと昔と言うが、わが身を振り返れば一〇年で何ほどのことができるかはおぼつかない。あっという間である。自分の考えや仕事は遅々として進まないのに、世界の方がどんどん進んでいってしまう。だが、そんな思いさえ吹飛ばしてしまうほど、この一年余りの世界の変動はドラスティックだった。


 二〇世紀とともに「戦争の世紀」が過ぎ去ったのではなく、冷戦後、唯一のスーパーパワーとなったアメリカは、その軍事力を平和な秩序の守りとするのではなく、自国の圧倒的優位を独占的に維持するために、新たな世界大の戦争(「テロとの戦争」)を作り出す挙に出したのである。


 このスーバーパワーをいかに活用するか、西洋の近代が特異な経緯で生み出した「人工的」なこの国家の権力者たちは、以前からそれを周到に考えていた。一九九七年に発表された「アメリカ新世紀プロジェクト」というグループの宣言がある(http://www.newamericancentury.org/statemento fprinciples.htm)。ディック・チェイニーやポール・ウォルフォヴィッツ、ジェブ・ブッシュやフランシス・フクヤマといった、現在「ネオコン」と呼ばれてブッシュ政権の中核を固める面々が署名するこの宣言は、超大国のさらなる軍事力強化を訴え、アメリカ的価値やその国家的利害に敵対する体制への対抗を掲げて、「わが国の安全、繁栄、諸原則に友好的な国際秩序を維持し拡大するという、アメリカの無比の役割を責任をもって担わなければならない」と謳っている。


 まさにそのような姿勢こそが、がアメリカ国家への反発を生むのだが、今ではどんな国家もアメリカとことを構えることはできない。だからこそ、どこでも政府はアメリカの政策に追従することになり、それがまた民心との乖離を引き起こす。そしてそこに生じる欺瞞や弾圧が、またもやアメリカへの反発を増幅し、各国の政府とは別の闇の勢力に吸引力を与えることになる。


 アメリカ政府は危機を訴える。テロリストたちはいつ生物兵器や核兵器で攻撃してくるかわからない。危険は迫っている、と。そうして危機感を煽ることで、アジアや中東地域への軍事行動を正当化しようとする。けれども、ひとつの攻撃が、たとえばイラク攻撃が、さらなるテロリストを生み出すことになるだろうとは誰もが予想する。するとそれに備えるためとして、史上最強の軍事大国であるはずのアメリカは、さらなる軍事増強を図ろうとする。だが一方、軍事行動によって守られるはずのアメリカ社会では、人びとが顕在化しないテロに脅え、イラク攻撃を控えてドアや窓の目張りのためにガムテープを買い込み、ディスコの諍いで催涙スプレーが撒かれれば、すわテロかと入り口に殺到して、多くの圧死者を生み出す状況だという。


 だが、この事態を滑稽だと笑えないのは、アメリカの指導者たちがみずからのヴィジョンを本気で追及しているからである。彼らは自ら煽り立てている社会の脅えを後ろ盾に、圧倒的な量と最新技術兵器による「敵」の殲滅を夢見ている。そして一日数百発打ち込まれる予定というトマホークが・ミサイルの向こうでは、またしてもなすすべもなく大国の意に翻弄され踏みにじられる人びとの死と流謫が演じられることになる。


 戦争と平和、抑圧と自由、正義と独善、あらゆる言葉の意味は反転させられる。そして「戦争の世紀」が煉獄のなかで鍛えてきたあらゆる思想や教訓は、すべてこの倒錯的な「力の正義」によって反故にされようとしている。そのとき、言葉や思想には何ができるだろうか。(了)

 

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