小川英文ゼミ案内

キーワード:自然と人間、歴史、表象文化

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学部生向けゼミ・ガイダンスはいつも行っています
小川研究室(637)木5限(645)5限(428)のわたしの授業で実際にゼミを体験してください

《小川ゼミで学びたいひとへ、ちょっとアドバイス》+
大学での勉強は、自分で問題と格闘して、自分だけの答えを導き出すためのものだと考えています。
そのための格闘のしかたを、わたしのゼミではみなさんといっしょに考えていきたいと思います。

自分で問題を考え、本で調べながら、他人の考え方を学び、また同時にデータを集め、それらの料理のしかたを学んで、
文章に表現し、それをみんなで検討していく。同時になかまの書いたものから学び、教えあう。そういった相互性を確保しながら、お互いに研鑽を積んでいくことが理想です。このような道場がわたしのゼミです。

しかしはじめは、みなさんに、竹刀の握り方や防具の付け方から始め、攻撃と防御のしかたを、道場のみんなで教えます。
それは論文作成技術ですが、まずはじめの3ヶ月はその修行のために、いくつかのレポートを書いてもらいます。
でもいまは「論文テンプレート」や「レジュメテンプレート」もありますし、「図解Word書式設定」もありますので、かなり楽ですね。

文章で自己表現をめざそうとするひと、大学での学びを体現したいひとは、いちど研究室や授業をのぞいてみてください。

考古学を学びたいと思っているひとへ:大学院へ行かないんだったら、わたしのゼミでもOKです。大学院に進学して、考古学を学ぼうという希望をもっているひとへは、進学をあまり勧めていません。職がないからです。しかし「それでもいい!」という先輩は何人かいますので、絶対ダメ、というわけではありません。ともに学びましょう。


考古学演習(担当:小川英文

 

 考古学をやっていると「いやぁ発掘大変ですねぇ。でもロマンですよねぇ」とよく言われます。たしかに子どもの頃、考古学をやろうと思ったきっかけはロマンだったかもしれません。でもフィリピンで考古学をやるようになってわたしの関心は、現在の状況に左右されながら考古学が過去をどのように復元してきたかという問題に移ってきました。考古学が復元する過去はけっして客観的に存在するものではなくて、今日のわたしたちの願望が反映されているという問題です。最近、日本の考古学でスキャンダルになっている「捏造」事件もこうした問題と深くかかわっています。

 70万年前も昔から日本列島に人間が住んでいたという証拠が各地で発掘されましたが、昨年暮れ、その多くが捏造されたものであるという報道がなされました。新聞やテレビで連日報道されていたので、みなさんもよく記憶しているでしょう。わたしも知人の多くがこの事件にかかわりをもっていたので大きな衝撃を受けました。しかし同時に、これまで発掘でめずらしいものが発見されるとすぐに新聞の一面を華々しく飾ることに、なにか危ういものを感じてきました。日本のどこかでめずらしいものが発見されると「日本人はこんなにすごいものを昔から造っていたんだ」とか「こんなに古くから日本人はこの列島に住んでいたんだ」とか、なんでも日本や日本人に結びつけてしまう風潮に、考古学が学問であることをやめてしまったのではないかという危惧を憶えていました。また「民間の考古学者」という呼び方には「学会の中心にいる考古学者ならそんなことはしないんだ。アマチュアだからいいかげんなんだ」という含意があります。このような日本考古学の体質に「ああ、もう考古学に未来はない」と溜息がもれると同時に、強い不快感を感じます。

「捏造」事件で垣間見えたのは、日本列島で発見された何万年も前の歴史の断片ですら、日本という近代にできた集合体の大きな物語に回収しようとする問題です。考古学は単に過去の遺跡を掘って「歴史的事実」を明らかにするのではなく、現在の願望を過去に投影し、そこで造り出した過去のイメージを現在の社会で機能させようとします。過去の事件の解釈がアジアの政治問題へと発展した教科書問題のように、日本人の起源をめぐる考古学も今日の政治やわたしたちの願望と切り離すことはできません。

 

 このような問題はわたしがもしフィリピンで調査していなかったら気づかなかったと思います。フィリピンの過去は現在の政治経済的な勢力図のなかで解釈され、60年代まで「人類の文明に寄与してこなかった地域」としてイメージされていました。学問の世界でもこうですから、一般には現在でも価値のない過去として見られています。ここでもあからさまに現在が過去に投影されています。むかしのフィリピンが現在の世界の勢力図とどんな関係があるというのでしょうか?そこでこの疑問は、現在を見て過去を判断する価値観のもとになっている「文明」へと向けられることになります。そして「文明」をさぐっていくと、考古学の誕生と同時に国民国家の理念として「文明」概念も生まれたことがわかります。

 

 こんなことを考えていくゼミです。文化の今日的問題を考えるゼミとでも呼びますか。ですから一般に考えられている考古学とはちょっと違います。現在の履修者11名のうち考古学は2名のみです。どうしても考古学はやめられないというひとには、ゼミとは別に考古学実習、測量実習なども行います。

 

くわしいことはホームページを一度見てください。なにか聞きたいことがあれば、メールください。また直接、ゼミの相性を確かめたいときは、研究室637へ木曜日250分〜420分、教室は金曜4710教室までのぞきにきてください。

ホームページのアドレス:http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/kidlat/ 

小川HPへの順路: 東京外大HP→外国語学部→スタッフのページ→小川英文研究室→講義→地域・国際講座小川研究室ガイダンスと演習:考古学研究、を参照してください。

メール:kidlat@tufs.ac.jp

 

ゼミ生からのメッセージ:小川ゼミとは!?

 

A:「う〜むフィリピンで考古学とは、いったい何ぞや? いまいち結びつかん」と勝手に「アンバランスな組み合わせ」を想定し、そこに惹かれたことが小川ゼミへの参加の動機だった。期待に反して考古学の話はほとんどなく、ゼミは参加者(教官も含む)がそれぞれの研究テーマを月に一度のペースで発表し、それに全員がコメントするかたちで進んでいく。本質主義と構成主義の対立、中心と周辺、グローバリゼーション、ディアスポラ、サバルタン、オリエンタリズム、ナショナリズム等など、文化の現在をめぐる分析概念が議論の中心をなす。さらに、それらの諸概念をめぐって自らが「知る」「考える」「書く」「話す」技術を手にすべく、アサインメントが課されていく。毎週求められる論文の部分草稿を「ゼミの恥は掻き捨て」とばかりに提出しては冷汗をかきながらも、霧のかかった論文構想に徐々にかたちを与えるというゼミの方針は、自分の「不出来」に日々益々苦悶の度を深める学生(僕だけ?) にとっては救いの場となっている。【大学院4年、歴史】

 

:このゼミは考古学の看板を掲げているが、考古学のイロハを知らない参加者がほとんどである。参加者各人がテーマとする地域と分野は多岐にわたり、考古学と国民文化の問題(小川氏)、タイ、アカ族の物質文化、ビルマ現代史とナショナリズム、イギリス大衆観光の起源、フィリピンの開発経済、そして他大学からはメコンデルタのビーズ交易と港市国家の成立、ミンダナオの社会人類学など・・・。さらには卒業生も仕事の合間に参加してくる。このような教室では担当者による発表や、毎週書き直しが求められる論文草稿へのコメントや質問が活発に飛び交っている。これほど雑多(?) なテーマが寄せ集められてゼミが成立している理由は、各自が東南アジアのフィールドで感じ取ってきた人びとのエネルギーを教室で発散させ、文化をどのように記述していくかという問題を共有することで一体感を生み出しているからに違いない。その一体感はむしろ、ナイターへと必ず突入するゼミが終了してからの会食中の談話でさらに強化されているのだろうが、小川氏が当初からその効果を狙っているとしたら、残念ながらその成功を認めざるを得ない。【大学院3年、歴史】

 

:毎週誰が決めたのかも分からないうちに、飛び入りも含めて多様な発表がある場です。大学院には入ったものの、迷える子羊たちの溜まり場のような気もしますが、先生のアメにつられて自分にムチ打てるようなところでもあります。フィールドと学問のすきまに落ちて身動きがとれず、自分で見てきたこと、普段考えていることが言葉や文章にならなくて苦しんでいる院生たちに、「1週間でできること」という独特のペースで毎週出される課題が、くじけそうな気持ちを勇気づけています。【大学院1年、民族文化】

 

D:各人が強い思い入れを抱いている問題が、周囲を巻き込んで議論が渦巻く。多くの刺激を得られる授業だが、各自のテーマを目に見えるかたち、論文として表現することが最終目的らしい。その過程で自分がこれまで自然なものとして受け入れてきた枠組みを覆すような考え方や概念を学んだことは、これからの人生で強い武器になるだろう。そしてそのとき自己表現としての論文は、人びとに向けたメッセージよりもむしろ、自分を納得させるための手段、あるいは問題解決に向けた取り組みのひとつの決着と言ったほうが正確かもしれない。【学部4年、開発経済】

 

E:言葉にものすごく気を使う。最後の一言まで気を抜けないため、何か主張したくてもためらってしまう。急に意見を求められるので、絶えず自分の考えを用意しておく難しさを知った。全員に意見を求める進め方は好きだが、先生は最後までひとの話を聞いてくれない。いつも途中で批判したり、他の話にすりかえる。「そういうつもりで言ったんじゃない!最後まで聞いてくれ」と心の中で叫んでいる。ここではこれまで当然と思っていたことが、まったく虚構だったことに気づかされることがしばしばあるが、もしこのゼミに出なければ一生誤解したまま生きていっただろうと思うと恐ろしい。自分の意識下にある(かもしれない)アジア社会に対する「負のイメージ」、蔑視の意識を自分でまず認めてしまうことが大切かもしれない。その意識がないまま、わたしがフィリピンやインドを語ってもいいものか。自己にもいやおうなく投げかけられる学問的まなざしがいかに大切かを知った。今、これを書いている最中も話しつづけている先生の大きな声が耳障りでうまくまとまらない。やはり議論には大きな声が必要だと痛感する。【学部4年、サバルタン研究】

 

 

小川からのゼミ説明

演習の目的:

考古学が近代国民国家の枠組みのなかでどのように構築されてきたかその過程を学び、自己や他者がどのように表象され、そうして生み出されたイメージがどのように社会のなかで機能してきたかを理解する。受講者を考古学の専門家に育てる意図はないので、各人の問題関心にしたがって、ひろく文化とイデオロギーや表象の問題に対するアプローチの方法を学びとることを目的とする。

演習の内容・計画:

前期には、まず考古学とナショナリズムとの関係における問題の所在を説明する。その後、ナショナリズムをめぐる近年の議論を検討するため、考古学以外の諸分野にわたる論文を受講者に提示するので、そのなかからひとつの論文を選んで報告してもらう。後期には各人が設定したテーマにしたがって発表をしてもらうので、夏休み前にテーマを決め、休み中に発表内容をまとめてもらう。後期終了時にはレポートを提出してもらう。

テキスト・参考書等:

授業で用いる論文についてはコピーを配布する。それ以外に読むべき文献については適宜、紹介する。

事前の準備:

ゼミで読み回しを行う各論文は、考古学から現代の諸思潮へと分野が大きく逸脱するが、いずれも現在、文化をめぐる議論に提起されている諸問題に関するものである。報告・発表担当者以外の受講者もそれらを毎回事前に読んでおき、議論に資するコメントを用意してゼミに出席してほしい。

成績評価の方法:

ゼミ発表および議論への貢献度、そして提出されたレポートを評価の基準とする。

受講上の注意:

受講者の発表と議論を中心としてゼミを進めていくので、各人が特定のテーマや問題意識を設定して、積極的に取り組んでほしい。

 

小川から一言:これはシラバスにのっているゼミ説明で、わたし個人の研究テーマや関心領域を示したものです。しかし、ゼミ生の関心は多岐にわたっており、考古学で卒論や修論を書く人は2人だけです。

地域への関心から今年わたしのゼミに出ている人のテーマをあげると、フィリピン建築史、フィリピン・ナショナリズム論、フィリピン文学研究、フィリピン演劇史、現代フィリピン社会と民族音楽、日比スポーツ関係史、ポピューラーカルチャーとしてのアジア映画などです。

学問領域からの関心では、市民としての開発援助・支援活動、アラブ女性のスカーフに現れる表象と権力、インド考古学、カンボジア考古学などです。

試しに一度、ゼミや講義をのぞきに来てみてください。   ゼミ選択心得へ  小川研究室TOPへ