なぜ「トド文字」なの?


文字にしても言語にしても、それ自体で存在するのではなく、かならずそれを使うひとびとが存在します。トド文字「の方がいいよ」といったのは、ひとことでいえば、この文字を使ってきたひとびとやいまも使っているひとびとが、「トド」文字と呼んできたからです。おっしゃるように、「カルムイク文字」というのは、ヨーロッパ人がつけた名称です。

トド文字は、オイラド人の高僧ザヤパンディタ・ナムハイジャムソが、母音などの区別ができないモンゴル文字を改良して、1648年に作ったといわれています。それ以来オイラド人はずっとこの文字を使ってきました。

オイラド人というのは、東モンゴル人に対抗して歴史を動かしてきた西モンゴル人のことです。オイラド人の一部は、今の新疆のあたりから、1630年ごろボルガ川周辺に移住しました。彼らは、ジュンガルが清に滅ぼされたあと、1771年に新疆にもどって来たのですが、もどらずボルガ川周辺にのこったひとびともいました。このひとたちの子孫が今のカルムイク人です。かといって、もどった人たちとのこった人たちの行き来がなくなったわけではなく、交渉はつづいてきました。カルムイクというのは、まわりのひとひとがつかっていた他称が自称になったのです。

20世紀になると、カルムイクではロシア文字で自分たちのことばを表記するようになり、ほかのモンゴル系言語とことなる語彙などの特徴をもつ「カルムイク語」が「成立」しました。そして、「カルムイク」を自分たちのアイデンティティにします。しかし、ほかの地域で使われるトド文字からとくに区別できるような「カルムイク文字」といえる特徴は形成されなかったと考えられます。モンゴル国でも西部地方で西モンゴル人がトド文字を使っていましたが、社会主義時代以降使われなくなりました。

しかし、新疆では、今もトド文字が使われトド文字による出版がおこなわれています。「“カルムィク”とすればロシアのカルムィク共和国という地域でしか使われていないような錯覚を与える」と言ったのはこのへんの事情を指します。新疆のモンゴル人は、「カルムイク文字」と聞いて、「それ何?」とおもうでしょう。

もちろん、学術用語は学術用語で慣用があるのだから、「カルムイク文字」でいいじゃないの(小澤先生からもそうおそわったしー)と言う反論もあるでしょう。しかし、学問の世界でもとくに民族名や言語名、人名などは、現地主義にはっきりうつりつつあります。

たとえば、日本モンゴル学会の紀要ですら(?)、数年前から日本人の名前のローマ字表記を名姓の順から、姓名の順にしています。ヨーロッパ流にあわせて、自分たちの名前をわざわざひっくりかえして表記する必要はないという考えからです。また、「蒙古」(くらくてふるい)というのも、どうしても必要でないかぎり「モンゴル」と書こうというのが、すくなくとも最近の若手研究者の意識だと思います。「ウランバートル」もそろそろ「オラーンバータル」という表記にするべきでしょう。

こういった考え方がでてきたのは60年代ごろからです。学問のありかたそのものを研究対象としたり(たとえば「社会学の社会学」)、「わたし研究する人(=西洋人)あなた研究される人(=非西洋人)」という学問上の分業を批判する研究がでてきました。学問の政治的中立性ということが言われてきたけれども、それをいうこと自体ちっとも中立的でなかったと自覚されはじめました。

学問研究は、言語や文字と同様それ自体で存在するのでなく、やるのは人間ですから、当然そのひとの社会的政治的立場が研究に反映されます。しかし、それを学問の中立性という外套で隠して、自分の立場を透明で見えなくすることによって、権力や植民地主義に加担してきた。たとえば、大家たちがあたかも普遍的な真実のようにの書いてきたことが、じつは自分の立場(西洋人で男性など、社会的に支配的な立場)に立った論理によってみちびかれたものであった、というような研究がでてくるようになりました。女性なら男性の手前勝手な論理が世の中の「常識」とされていることに腹を立てた経験が何度もあるでしょう。そういったことが「研究」として論証されるようになったのです。

このような学問の流れを、これも欧米からやってきた流行のひとつにすぎないとするひとたちもいますが、わたしはそうではないとおもいます。じっさい、現在説得力のあることを書いているひとたちのおおくは、女性であり、しかも欧米なら移民してきたひとたちです。あたらしい人文・社会科学は、体制・権威や植民地主義に加担するのでなく、いままで社会の周辺にいたマイノリティや弱者が発言するのを力づけています。この流れはかわることはないと思います。発言することで社会のありかたをほんとうの意味でかえることができるのか、発言できるなら弱者ではないのではといったこともふくめて、いま人文・社会科学をやる人間は、自分の足元ををみなおす問いかけを無視することができません。

わたしは、「カルムイク文字」「蒙古文字」ではなく「トド文字」「モンゴル文字」と書くのは、西洋中心(男性中心、植民地主義)の学問にもどらないための研究者の自覚なのだと考えます。

上村 明