西成彦,『クレオール事始』,紀伊國屋書店,1999年
日本で,あるいは日本語話者の人で,クレオールに関心を持ってきた人ならば,西成彦という名前はいつも真っ先に気になってきたことだろう。『イディッシュ/移動文学論』(作品社)の著者であり,最近では英文学のポストコロニアル批評にも旺盛な関心を示しているすぐれた文学者であるが,彼の書くものにはいつでも,ほかの人には真似のできないような,大胆で繊細でしなやかで強靭なユーモアと批評性が息づいている。そう,彼こそは間違いなく,クレオールの精神をもっとも深く理解し実践している一人である。その西さんの新著が届いた。この本には,これまで西さんがクレオールについてあちこちで書いてきたエッセイ・書評がまとめて収められている。しかも,今度は「舌」だ。『ラフカディオ・ハーンの耳』(岩波書店)の著者が,今度は「舌」の練習をたっぷり教えてくれる。この本のいわば背骨に当たる第一部「クレオール・パンチを飲み干せ」は,1990年から91年にかけて『翻訳の世界』に書かれた連載に,新しく手を入れたものだ。その目玉は何といっても,随所に挿入されている「クレオールの練習問題」だろう。
それにしても,「クレオールの練習問題」と聞いただけで,わくわくしてしまうではないか。というのも,クレオールこそは,学校でやらされるたぐいの「練習問題」が,つねに抑圧してきた当のものにほかならないのだから。
この本では,読者にクレオール文法の入門をひととおり教えてくれる。「クレオール使用者の言語生活の現場に一歩でも二歩でも接近したい」という目標からだが,「一歩でも二歩でも」と言いながら,実のところ本格的である。フランス語はさっぱり……という人もいるだろうが,大丈夫,むしろそういう人にこそ,この本は向けられている。というのも,クレオールの三大特徴を挙げると,
ということで,「実はフランス語初習者がつまづきやすい三大難関をことごとくクリアしている」からなのだ。だからフランス語未修者の人には,クレオールから始めて,あるいはクレオールにフランス語を覚えて,慣れてきたころに標準フランス語に挑戦してはどうか,と西さんは提案している。
- 動詞はほとんど変化しない,
- あのやっかいな[r]音は脱落する,
- 発音しない文字は表記しない,
これが理にかなった提案であることは,本書の文法事項を一通り読んだあとで,マラヴォワやカサーヴ(カッサヴ)のアルバムを取り出してみれば感じられることだろう。どこかエキゾチックな「フランス語」の響きでしかなかったものが,今度は身近に,新しく表情を帯びて立ちあがってくるのは,やっぱりすごいことだ。そしたら今度は口ずさんでみるといい。クレオールの表現を,自分の舌が次々と覚えはじめるのだ。フランス語を初級で挫折した人にも,ぜひとも挑戦してみてほしい。日本語話者の中にも,「フランス語は駄目だけど,クレオールならなんとか……」という人が出てくるとしたら,それはすてきなことじゃないだろうか! というか,それこそがごくごくまっとうな「クレオール」のあり方だったはずだ。そもそも,むちゃくちゃフランス語のできる人が,余興でクレオールもモノにしてみせるなんて,いかにも帝国主義なアプローチではないか。
さて,西さんに導かれてひととおりクレオールの「事始」をかじったあなたは,ぜひラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の集めた『クレオール物語』(講談社学術文庫)や,パトリック・シャモワゾー編の『クレオールの民話』(青土社)を手に取ってみよう。少なくとも,私たちの耳も少しばかり,あの「ざわめき」を聞き取れるようになっているかもしれない。そして新しくなったあなたの舌は,その「ざわめき」が,もちろん,日本語の中にも豊富にあることを発見しはじめるかもしれない。
初出:『アンボス・ムンドス 2』1999年10月,p.153.
HAMA Kunihiko, 1999, 2001.TOP|INDEX|HOME