シドニー・W・ミンツ,藤本和子編訳
『【聞書】アフリカン・アメリカン文化の誕生
――カリブ海域黒人の生きるための闘い』
岩波書店,2000年
カリブ海地域,とくにその歴史に興味を抱いた人に,迷わず薦められる「最初の1冊」が登場した。シドニー・ミンツには同名の原題をもつリチャード・プライスとの共著があるが(Mintz and Price, The Birth of African-American Culture: An Anthropological Perspective, 1976, 1992),本書はその翻訳ではなく,藤本和子による「聞き書き」という形で新たに構成された新刊である。77歳を迎えたミンツの学問を少しでも多くの人に知ってほしい,そのための手ごろな入門書がほしいという,かつての教え子である藤本の熱意から生まれたものであり,実質的には,年齢を隔てた2人の対話による共著といってよいと思う。饒舌で含蓄の多いミンツの文体に手こずった経験のある人には,本書の明快さと勢いがインタビュアーの功績であることが分かるだろう。熱心な学生を前にした情熱的な学者の気迫が,どのページからも伝わってくるようだ。『サトウキビ畑の労働者』(Worker in the Cane: A Puerto Rican Life History, 1960),『カリブ海の変容』(Caribbean Transformations, 1974),『甘さと権力』(Sweetness and Power: The Place of Sugar in Modern History, 1985. 川北稔訳,平凡社,1988年)をはじめ,カリブ海地域を主なフィールドとしてミンツが手がけた仕事は数多い。ハースコヴィッツ以降,もっとも大きな足跡を残した人類学者であることは間違いないだろう。ミンツのいう「アフリカン・アメリカン文化」とは,奴隷制プランテーションを経験した西半球(アメリカス)全域にわたって見られるもので,カリブ海の社会文化的な変容の経験は,その典型として捉えられている。これは日本での「アメリカ」理解を根底的に問い直すものでもあるだろう。
一方訳者の藤本和子はマックス・I・ディモントの『ユダヤ人――神と歴史のはざまで』(朝日選書,1984年)の翻訳者であり,黒人女性のライフ・ヒストリーの聞き取りや作品の翻訳を数多く手がけてきた。中国系アメリカ人女性作家M.H.キングストンの翻訳者でもあるこの人の仕事の軌跡からは,「ディアスポラ」というキーワードもまた浮かび上がってくるかもしれない。
温かく誠実なミンツの人柄を藤本の訳はよく伝えているが,読み進めるうちに,その人間性は,彼が研究対象としてきた人々によって与えられてきたのだと納得させられる。生まれ育った社会から引き離され,まったく異なる環境に投げこまれた「奴隷」たちが,生存のために新しい生活様式を編み出してゆく。そのときかれらは「どう対応したのか,どう抵抗したのか,それを伝えたいんだ。そのとき,かれらは精神をどのように働かせたのか,それをわずかでも理解したいと願って,わたしは研究生活をおくってきた」(p. 35)のだとミンツは言う。その意味では,これはひとつの学問的な証言であるかもしれない。ミンツは歴史の闇に閉じ込められた人々の,まさに証人になることを自らに課してきたのだろう。通俗的な理解や先入観を斥け,実証的な努力と想像力によって,ひとつひとつの事実を慎重に検証していく学問的な真剣さは一貫している。その一方で大きな仮説や大胆な意見を提示することもためらわない。緻密さとおおらかさを併せ持つ,真に大きな学者がここにいる。
(文中敬称略)
初出:『週刊読書人』2000年5月12日号
HAMA Kunihiko, 2000, 2001.INDEX|HOME