以下は,2000年3月11日,神田パンセ・ホールで開催された「まつろわない言葉たちの祭り――「日の丸・君が代」に抵抗するリード・イン・スピーク・アウト」のために準備した原稿です。この「祭り」についての詳細は,反ひのきみネット(http://www.jca.apc.org/anti-hinokimi/)をご覧ください。

私も記憶をめぐってお話しようと思って来たのですが,それをイメージということに結びつけて考えてみたいと思います。昨年7月に『朝日新聞』が「私と日の丸・君が代」という特集をやったのですが,それに対して,69歳の日本人の男性の方から,こんな投書がありました。読みます。

昭和14年当時,中国山東省に住んでいた。夏の日,弟らと三人で町外れの有刺鉄線の囲いの中に入ってみた。直径10メートルもありそうな大きな穴に巨大な黒いかたまりが見えた。死体の山だった。黒く見えたのはハエの群れであることもわかった。頭を上げると,近くに日の丸が翻っていた。60年以上たって私の記憶に残るのは,まばゆい空を背景にした日の丸が恐ろしいまでに美しかったことだ。それ以降,私は目に見える美しいものを素直に信じる気にはなれなくなっている。今年現地を旅行し,そこが刑場だったと知った。

このイメージは圧倒的です。青い空をバックにして,白地に赤い「日の丸」の旗がはためいている。その足元には巨大な黒い穴が大地に口を開けている……。怖いぐらいあざやかな美しさの足元に,ある人の言葉を借りれば,「なつかしく優美なものではなく,醜く陰惨で残忍な何か」が,むき出しの穴に埋められて,完全に沈黙したまま横たわっている。もちろん夏の日だから,さまざまな物音はあったでしょうし,何より,死体を覆う蝿の飛び交う音は耐え難いほどだったでしょう。それでもやはり,この光景は圧倒的な沈黙に覆われている。それは,一切の言葉を失ってしまったところに現われる沈黙です。そしてただ旗だけが,無言で何ごとかを伝えている。

私はこの場面を「イメージ」として受け取ったと言いましたが,それはこの投稿が,すさまじい出来事の「証言」として書かれているのでは「ない」と感じたからです。むしろこの人は,証言することができないものに直面してしまった。60年以上も,この証言不可能なものに直面したまま過ごしてこられた。そこが処刑場であったという最小限の説明でさえ,それができるようになるのは,60年も経ってからだったのです。

この投稿の人は,「それ以来私は,美しいものを信じられなくなった」と書いていますね。つまりこれは,トラウマなんです。決して自ら望んで持ちつづけている記憶ではない。トラウマというのは,強迫的に反復されます。振り払おうとしても戻って来てしまう,亡霊のようなものです。思いがけない時にフラッシュバックのように襲ってきて,コントロールすることができない。自分で自分を統御することができない.つまり,アイデンティティを揺るがしてしまう。トラウマ的な記憶というのは,何よりもまず我々自身にとっての「他者」なのです。

他者の記憶というより,記憶そのものが私たちの「他者」としてあるのだということ,そこから考えていくなら,日本人である私たちがいかにして侵略されたアジアの「他者の記憶」と向き合えるか,という問いを立ててしまう前に,むしろそのアジアのアイデンティティというものが,いかにこうした「他者としての記憶」によって深く傷つけられているかということに,目を凝らすことが必要ではないかと思うのです。私はそれが,侵略された人々の記憶に連なってゆくために,必要なことなのではないかと思っているのです。

記憶そのものが他者として,誰彼ともなくとりつくのです。抑圧されればされるほど,それは無意識のようなものになって,もはや誰の記憶ともいえないかたちで,とりついてしまう。そしてそれを喚起してしまうのが,イメージなのです。お手もとの「言葉集」で,私は記憶やイメージにかかわる「別の公共圏」ということを書きました。それはもちろん,日の丸のイメージをめぐる「他者の記憶」に関わるわけですが,その「他者」というのは,日本人にとっての他者というわけでは必ずしもありません。強いて言えば,「日の丸」を美しいと感じる感受性にとっての「他者」,ということになるでしょうか。

ついでにつけ加えておくならば,その「他者」の領域は,必ずしも「醜く陰惨で残忍」なものに支配されているだけではないと思っています。むしろ,日の丸に抵抗する人々の間で培われてきた,あたたかく人間的なもの,かけがえのない美しいものも,同時に見出されるだろうと思っていますし,そのことを,今日この場にいらしたみなさんは,よくご存知だろうと思います。……ということを最後につけ加えて,この祭りへの私からの「言葉」とさせていただきます。ありがとうございました。



HAMA Kunihiko, 1999, 2001.
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