漢陽趙氏
朝鮮人の姓名
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朝鮮人の姓

 朝鮮人の苗字は法律上「姓」と呼ばれる。従って、書類の名前を書く欄には「氏名」ではなく「姓名」と記されている。朝鮮には姓の種類が少なく、250種類ほどしかない。十万を超えるといわれる日本の苗字(氏)からしてみると、かなり少ない数字である。韓国における調査によると、1960年の国勢調査で258個、1985年の経済企画院の調査で274個、2000年の統計庁の調査で286個の姓があるとなっている。姓の総数が微増しているのは、近年に韓国国籍を取得した外国人(おそらく多くは中国人、日本人)の姓が加わったためと推測される。
 朝鮮人の姓は多くが1字姓だが、2字姓もわずかながら存在する。3字姓はない。朝鮮でいちばん多い姓は金(キ;김)であり、その下に李(イ;이、北では「リ;리」)・朴(パ;박)・崔(チュェ;최)・鄭(チョン;정)・姜(カン;강)と続く。金だけで全人口の5分の1に達する。上位5姓で全人口の半数を占めるというから、その偏りぶりを伺い知ることができよう。現に、朝鮮の歴史的・時事的な著名人の名前を見ると、金大中(前韓国大統領)、金泳三(元韓国大統領)、金日成(元共和国国家主席)、李成桂(李氏朝鮮初代国王)、李舜臣(李氏朝鮮将軍)、李承晩(元韓国大統領)、朴正熙(元韓国大統領)、朴セリ(プロゴルファー)、朴賛浩(プロ野球選手)など、上位姓の人物名がいくらでも挙げられる。その点からすれば、現韓国大統領の「盧」という姓は、人口の少ない部類に属する(それでも33位である)。2000年に行なわれた韓国統計庁の調査によれば、全人口(45,985,289人)のうち上位20位の姓の分布は以下のようになっている。

順位 人口 比率   順位 人口 比率
1 金(김)  9,925,949  21.59%   11 呉(오)   706,908   1.54%
2 李(이、리) 6,794,637 14.78%   12 韓(한) 704,365 1.53%
3 朴(박) 3,895,121 8.47%   13 申(신) 698,171 1.52%
4 崔(최) 2,169,704 4.72%   14 徐(서) 693,954 1.51%
5 鄭(정) 2,010,177 4.37%   15 権(권) 652,495 1.42%
6 姜(강) 1,044,386 2.27%   16 黄(황) 644,294 1.40%
7 趙(조) 984,913 2.14%   17 安(안) 637,786 1.39%
8 尹(윤) 948,600 2.06%   18 宋(송) 634,345 1.38%
9 張(장) 919,339 2.00%   19 柳(유、류) 603,084 1.31%
10 林(임、림) 762,767 1.66%   20 洪(홍) 518,635 1.13%

 朝鮮人の姓の多くは中国風のものであり、中国人(漢人)と共通する姓がほとんであるが、中には朝鮮独自のものと思われるような姓もいくつかある。人口第3位の「朴」は中国にもある姓とされるが、中国ではほとんど出会うことのない姓である。ひょっとすると中国の朝鮮族など以外では、中国にこの姓はないのかもしれない。「曹(チョ;조)」、「裴(ペ;배)」は中国にもある姓だが、朝鮮では字が異なる。「曹」は中国人の姓では縦棒が2本であるが、朝鮮人の姓では縦棒が1本の「曺」である。「裴」(この姓は人口が少ないが、日本ではペ・ヨンジュンのおかげで一躍有名になった)は朝鮮人の場合、下の「衣」が上下に分かれ、なべぶた部分が「非」の上に書かれる「裵」である。これらは朝鮮独自の異体字であるが、「曹」などは李氏朝鮮時代の文献を見ると、姓のみならず一般の単語や「槽」のように「曹」を旁(つくり)に持つ字においても、縦棒が1本しか書かれていないので、昔から流布していた異体字だったようである。
 2字姓(複姓)は、外国からの帰化姓を除くと、中国から伝わったものと推測される。南宮(ナグン;남궁)、独孤(トッコ;독고)、東方(トンバン;동방)、司空(サゴン;사공)、西門(ソムン;서문)、鮮于(ソヌ;선우)、諸葛(チェガ;제갈)、皇甫(ファンボ;황보)などがそれである(まったくの余談だが、「諸葛孔明」を想起させる「諸葛」はやはりカッコイイ。どうせなら「諸葛」で生まれたかったなあ)。
 日本からの帰化姓としては、網切(マンジョ;망절)、岡田(カンジョン;강전)、小峰(ソボン;소봉)などがある。朝鮮には「訓読み」というものがないので漢字をそのまま音読みするが(日本語流に言うと、それぞれ「もうせつ」、「こうでん」、「しょうほう」と言っているようなものである)、音だけを聞いてもそれが元は日本語だったというのが分からない。また、辻という姓も帰化姓にあるが、「辻」という漢字は日本製の漢字(国字)であるため朝鮮には元々ない文字であり、厳密にいうと朝鮮語では読みようがない。苦肉の策として、この姓は音を「十」と同じものと見なし「シ(십)」と発音する。
 朝鮮では中国と同じく、結婚しても女性は姓が変わらず、また生まれてくる子供は父親の姓を名乗る。だから、多くの場合、夫から見て妻・母・祖母はみな姓が異なる。これは、もともとは結婚後も夫の一族に加えてもらえないという儒教の男尊女卑の考えに基づいているのであるが、くしくも近年日本で問題になっている「夫婦別姓」を朝鮮では数百年前からすでに行なっていることになる。日本の夫婦別姓反対論者の中には「夫婦で苗字が異なると、家族としての一体感がなくなり、家庭崩壊を招く」などと、とんちんかんなことを言う人がいるようだが、朝鮮人は夫婦別姓でも日本以上に家族の絆が強い。まさに杞憂というべきものだ。

本 貫

 韓国の戸籍を見ると、「本」という欄がある。これは「本貫」の略であり、始祖の出身地を表す。本貫の欄に「金海」とあれば、その家系の始祖が金海という地の出身だということだ。姓が同じで本貫が同じことを「同姓同本」といって、同じ一族と見なされる。反対に、姓が同じであっても本貫が異なれば別の一族と見なされる(同姓異本や異姓同本の中には、互いに同族と見なす一族もある)。一族を呼称する場合、姓に本貫を冠して言う。例えば、本貫が金海で姓が金である場合は「金海金」、本貫が漢陽で姓が趙である場合は「漢陽趙」と呼ぶ。通常は、その後ろにさらに「氏」を附して「金海金氏」、「漢陽趙氏」のように呼ぶ。苗字は法律上「姓」であるが、このような呼称の場合には慣用的に「氏」を附する。また、自分の一門を呼ぶ場合には「漢陽趙哥(か)」と言うのが正しいとされるが、最近の若い人は知らない人もいるようである。
 始祖の出身地である本貫の場所は、それぞれの一族によってまちまちである。朝鮮国内でもありうるし、国外(中国)でもありうる。また、本貫の場所は必ずしも史実にのっとったものとは限らず、ある場合には後世の仮託によると見られるものもある。例えば、孔氏は孔子の出身地である中国山東省の曲阜を本貫とし、諸葛氏は諸葛孔明の出身地である南陽を本貫としているが、それぞれの一族が本当に孔子や諸葛孔明の子孫なのかどうかは科学的に立証できない。わが漢陽趙氏の場合、始祖の出身地は咸鏡南道であるにもかかわらず、本貫は漢陽(現ソウル)である。これは一族が李氏朝鮮の開国功臣となって漢陽に移り住んだことから、漢陽を本貫としたためである。
 同姓同本の人々はみな一族と見なされるので、同姓同本の男女はたとえ全く面識がなくとも近親と見なされ、結婚を避ける風習がある。つい最近まで、韓国では民法によって同姓同本の結婚ができなかったが、1997年に憲法裁判所が民法の同姓同本による結婚禁止条項を無効としたので、現在は同姓同本でも結婚ができるようになった。考えてみればもっともである。見ず知らずの男女が恋に落ちて、蓋を開けてみたら実は同姓同本だから結婚ができないなどという話はばかげている(以前は、こういう場合、諦めてきっぱり別れるか、さもなくば駆け落ちして事実婚するしかなかった)。しかしながら、一般的な風習としては、依然として同姓同本の結婚を避ける傾向にある。このような風習から本貫は姓と同様に重要なものだという考えがあり、朝鮮人(とりわけ本国に住む韓国人)で自分の本貫を知らない者はいない。
 また、朝鮮では跡継ぎ(男子)がいない場合に、日本のように入り婿を取ることをせず、男子を養子に取るが、養子を取る際には異姓の人を養子に取らず、必ず同姓同本の一族の中から養子を取る。しかも、必ず子供の代と同じ代の人を養子とする(例えば、30代目の人が養子を取るときは、同姓同本の31代目の人を養子に迎える)。このような子供を「系子」というが、場合によっては子供でなく孫を養子に取る(系孫)こともある。「家」を継ぐ者は必ず同じ「家」の者という考え方であり、日本の「家」の概念とはかなり異なることが分かろう。

朝鮮人の名 ― 行列字のシステム

 朝鮮人の名前を見ると、兄弟で同じ字を用いているのが分かる。元共和国主席の故金日成は本名が金成柱だが、彼の弟の名は金英柱で、柱の字が共通している。また、元韓国大統領の全斗煥の弟の名は全敬煥で、煥の字が共通している。このような字を行列字(こうれつじ)、朝鮮語で항렬자(ハンニョチャ;「行列字」)あるいは돌림자(トチャ;「回し字」)と呼ぶ。もともとは中国のものだったというが(中国では「輩行字」というらしい)、本場中国では行列字はすっかり廃れてしまい、「小中華」たる朝鮮の地で脈々と伝えられている。
 李氏朝鮮時代には、行列字は兄弟やいとこの間で共通した字を用いる場合が多く、遠い親戚になると全く異なる行列字を用いることが多かった。つまり、行列字とはそれを用いる人たちの間で一族として連帯感を持っているという証しであったわけである。現代では、同じ本貫の一族全てが同じ行列字を用いることが多い。このような行列字を「大同行列字」という。大同行列字は一族で会議を開いて決めるが、一度の会議で向こう十数世代の行列字を一気に決める。
 行列字は任意に定める場合もあるが、多くの場合には一定の決まりに従って定める。代表的な例として次のような方法がある。(1)五行説にのっとる方法。すなわち、木・火・土・金・水の五行相生の理論に基づいて、ある代で「木」の入った字を行列字にしたら、その次の代は「火」の入った字、そのまた次の代は「土」の入った字というように、「木・火・土・金・水」の入った字を順番につけていく(例:植→煥→圭→鎮→漢)。(2)十干による方法。「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」という十干の入った字を行列字にする(例:鍾→元→炳→衡→成→紀→慶→新→聖→揆)。(3)十二支による方法。「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の入った字を行列字にする(例:学→書→演→卿→震…)。(4)数字による方法。「一・二・三・四…」が入った字を行列字にする(例:大→未→泰→寧…)。そして、ある代で名前の上の字を行列字にしたら、次の代は名前の下の字を行列字にするというように、代によって交互に行列字を配列するのがふつうである。例えば、ある代で「木」の入った「植」を名前の上につけて「植×」としたら、その次の代は「火」の入った「煥」を名前の下につけて「×煥」というように行列字を定めていくわけである。その他、名前が1文字の場合などは、例えば「珪・珣・珉・琦・琮」など、同じ部首を持つ漢字で名前を付けるような行列字の方法もある。
五行による行列字の例
 … 植×
―― ×煥 ―― 圭× ―― ×鎮 ―― 漢× ―― ×来 ―― 炳× ―― ×坤 …
 朝鮮人は多くの場合この行列字(大同行列字)によって名前が付けられるので、自分が一族の何代めなのかたちどころにして判明してしまう。また、見ず知らずの同姓の人でも、行列字を見ればその人が同じ一族なのか、代はどちらが上なのかということがすぐに分かる。
 しかし、名前2文字のうち1文字が定まっているということは、自由につけることのできるのは1文字だけということになる。その結果、同姓同名が必然的に多くなる。人口が少なく人の往来がなかった時代はそれでも不都合がなかったかも知れないが、朝鮮民族の総人口が6000万人を越え、世界を行き来する現代社会で同姓同名の人間が多いのは何かと不都合が多い。それで、現在では族譜に載せる名前とふだん使う名前を別々につけ、ふだん使う名前は行列字と無関係につける人もかなり増えている。が、それでもやはり、兄弟は共通する字を用いるのが一般的である。
 わが漢陽趙氏は、以下のような行列字を大同行列字としている。
22代23代24代25代26代 27代28代29代30代31代
鍾×
載×
×元
×允
炳×
×
×行
×衡
成×
誠×
×煕
×紀
慶×
庸×
×新
×章
廷×
聖×
×揆
×葵
 漢陽趙氏の場合、十干である「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」を行列字としている。「鍾・載」は「甲」を含む字、「元・允」は「乙」を含む字、「炳・」は「丙」を含む字、「行・衡」は「丁」を含む字である。私の名前にある「成」は「戊」を含んでいる。それぞれの代に行列字が2字ずつ定められているのは、国王の諱(忌み名)と重複した場合を考慮して、これを定めた当時の人があらかじめ予備として2字ずつ行列字を定めたからである。
 ここでおかしなことに気づいた人がいよう。私の行列字は「成×」であるのに、私の名前は「義成」と「成」が下に来ている。実は私のおじ(父の弟)の一人が自分の息子に大同行列字とは関係なく「義×」という行列字をつけてしまった。しかし他のおじは大同行列字に従って息子に「成×」の行列字をつけたため、日本に住んでいた父は混乱してしまい、事情を確認しないまま両方の行列字を1つずつとって私の名前をつけたのである。せめて「成義」としていたらよかったのだが、運悪く行列字が逆になってしまったのである。これは行列字の原理からすれば完全に失敗作で、私は漢陽趙氏のアウトローとなってしまったのである(ということで、私も自分の子供には大同行列字をつけなかった)。

族譜と両班

 朝鮮では一族の系譜を族譜と呼ばれる冊子にまとめる。人口の多い一族にもなると、族譜が何十冊にもなることがある。族譜には始祖から始まって現代に至るまでの一族の名が全て載っている。巻頭には家系の由来が漢文で書かれており、続いて一族の人名、その人の生没年や勤めた官職、配偶者、墓の場所などの記事が続く。ただし、儒教の男尊女卑の考えから、女性の名前は原則的に族譜に載らない。
 族譜にはいくつかの種類がある。一族全体の族譜は大同譜という。一族の中で著名人が輩出されると、その人を祖(派祖)として派が作られ、派別の族譜が作られるが、これを派譜という。また、世譜という語もあるが、これは大同譜を指すこともあれば、派譜を指すこともある。族譜は一族会議を経て定期的に改訂する。韓国でもっとも発行部数の多い書籍が族譜だというから、その勢いは推して知るべしである。
 私の手許には長らく族譜がなかったが、最近韓国の親戚から近年刊行された族譜(派譜)をもらい、ようやくわが家系の系譜を目にした。族譜上、私は漢陽趙氏の26世孫で、7世・趙憐(チョ・リョン)を派祖とする兵参公派に属していることになっている。

【漢陽趙氏兵参公派譜】
1998年刊,全2巻
漢陽趙氏兵参公派譜
【族譜の一部】
『漢陽趙氏兵参公派譜』15世~20世の一部
族譜の一部

 本貫・族譜というものは本来、両班(南でヤンバン(양반)、北でリャンバン(량반)と発音する)のものであった。両班とは封建時代の特権階級で、文人階級である文班と武人階級である武班を合わせて両班と呼ぶ。文を尊ぶ儒教思想の影響で、文班のほうが格が上だと見なされている。さて、本貫・族譜はもともと両班のものだったのだが、現在では全ての人が本貫を持ち、全ての家系に族譜がある。裏を返せば、朝鮮人全てが旧特権階級の両班だということだ。しかし、特権階級というものは一握りの存在であるわけだから、みんながみんな本貫や族譜を持っているというのはどう考えても不自然である。これには理由があって、どうやら李朝末期に家名の売買が盛んに行なわれたらしい。没落した両班が裕福な平民に家名を売るわけである。ある資料によると、17世紀に9%しかなかった両班の戸数が、19世紀になると70%にまで増加したという。また、古い族譜には名前がないのに、ある時代を過ぎると突如として名前が出現する分派があったりもする。このような過程を経て、現在では朝鮮全土が総両班化したのである。
 そんなわけで、私が漢陽趙氏に属するとはいっても、私の家が本当に漢陽趙氏の一門なのかどうかということは、実にあやしいものである。ひょっとすると私の先祖がどこかで漢陽趙氏の家名を買ってきたのかも知れない(しかもその可能性は決して少なくない)。結局、朝鮮人の一門意識なんてものは自己満足の世界なんだなあ、と、ついついぼやきつつも、族譜を広げる私である。

朝鮮固有語による名

 朝鮮人の名は通常漢字2字からなる。換言すれば朝鮮人の名は漢字語(日本語の「漢語」にあたるもの)である。しかし、近年では名を漢字語でつけないで、朝鮮の固有語(日本語の「和語」にあたるもの)でつける場合が増えつつある。これは特に女性の名前に顕著で、よく目にする固有語の名としては、슬기(「賢い」の意)、보람(「誇り」の意)、빛나(「輝く」の意)などがある。男性の名を固有語でつけるのは極めて稀であり、ほとんど見かけない。それでも朝鮮語学の論文には세모돌(「三つ角石」の意)という研究者の名がたびたび出てくるので、男性でもいることはいるようである(ちなみに、「세모돌」という名は、なぜそう名づけたのかさっぱり分からない。ひじょうにユニークな名前である。たぶん親は何らかの明確な意図があったのだろうが。こればかりは本人に直接聞いてみるしかない)。

在外朝鮮人の名

 朝鮮半島から離れて居住する朝鮮人(僑胞という)の個人名は、居住地域の文化的影響を受け、本国にない特徴ある名前が付けられることが少なくない。
 日本・中国に住む朝鮮人は、同じ漢字文化圏に居住するということもあって、朝鮮的な名づけが多く見られるが、在日朝鮮人の場合は日本語読みしても違和感のない名前、中国の朝鮮族の場合には中国語読みしても違和感のない名前になるように名づけることも多い。あるいは、朝鮮語の発音を度外視して、日本的な名前、中国的な名前を付ける場合も少なくない。例えば、在日朝鮮人の場合は「~子」のような女性名、中国朝鮮族の場合には「梅」など本国では人名にあまり用いられない字を使った名前など。とりわけ在日朝鮮人は母語が日本語であり、朝鮮語を知らない者が多いのでこの傾向が強く、例えば漢字3文字の名前や、ひらがなによる名前など、本国ではまずありえないような名づけが行なわれる例もある。
 旧ソ連(サハリン、中央アジアなど)に住む朝鮮人、アメリカに住む朝鮮人は、それぞれロシア名・英語名を持つ場合が少なくない。私が韓国に留学していたとき、中央アジアから来た朝鮮人女子留学生がいたが、彼女の名前は「ナターシャ」だった(しかも、この人は私と同じ漢陽趙氏だったというオチがある)。これらの地に住む朝鮮人の中には、別に本名である朝鮮名を持ちつつも、日常の便を考えてふだんの生活で現地名を使う人も少なくない。どうでもよい話だが、在外朝鮮人で名前が「ウラジーミル」などという場合、族譜にそのまま名前を載せてくれるのだろうか、などとふと考えてしまう。

姓名の呼び方

 朝鮮語で人の名前を呼ぶ場合には、以下のような呼び方がある。私の名前「조의성(チョ・ウイソン)」を例にとって、さまざまな呼び方を紹介する。
   (1)姓+名
 日本語と同様に、呼び捨てはかなり乱暴である。「조의성(チョ・ウイソン)」と呼び捨てにするのは、小中高の先生が生徒に向かってやや叱り口調で呼ぶとき、学生・生徒同士で特に親しいわけではない学友を呼ぶとき、一般社会では相手を見下して呼ぶとき、というように、使用が限られている。
 「씨(シ;“氏”)」を付けた「조의성 씨(チョ・ウイソンシ)」は、あまり親しくない人を呼ぶときに用いる。この場合の「씨」は日本語「さん」ほどの意味になる。ニュースや新聞など不特定多数に対して語られる場面で、「씨」は日本語の「氏」に近く「趙義成氏」という意味になり、公式的な呼び方である。「조의성 교수님(チョ・ウイソンギョスニ;“趙義成教授”)」、「조의성 사장님(チョ・ウイソンサジャンニ;“趙義成社長”)」のように後ろに肩書きを付けて呼ぶのも、公式的な感じを与える。いずれにせよ、呼び捨てでなくフルネームで呼ぶ場合は、親密でない人に対して用いたり、改まった場で用いたりする。
   (2)名
 姓を呼ばず、名だけを呼ぶのは、親しい間柄での呼び方である。「씨(シ;“氏”)」を付けた「의성 씨(ウイソンシ)」は、主に恋人同士で用いる。日本語の「~さん」に近い感じであろう。名だけに肩書きをつけて呼ぶことはない。友達同士の間柄では呼び捨てにするが、その場合には呼びかけならば呼格語尾「-야(ヤ;母音終わりの名)/-아(ア;子音終わりの名)」を付けて「동호야(トンホヤ)」、「의성아(ウイソンア)」のように呼ぶ。呼びかけでないときは、子音終わりの名には「-이(イ)」を付けて「의성이(ウイソンイ)」のように言う。何も付けないで名だけを呼び捨てにすることはない。
   (3)姓
 姓だけを呼ぶ場合には、極めて注意が必要である。まず、「씨(シ;“氏”)」を付けた「조 씨(チョッシ)」という呼び方は避けるべきである。この呼び方は、むかし奴婢や小間使いに対して呼んだ呼び方とされ、相手に対して極めて不快感を与える。極めて親しい友人に対して冗談で言うような極めて特殊な状況以外では、使わないことを勧める。ただし、「趙という苗字」という意味での「조 씨(“趙氏”)」はふつうに使うことができる。
 姓に肩書きを付ける呼び方は一般的である。「조 선생님(チョソンセンニ;“趙先生”)」、「조 과장님(チョグァジャンニ;“趙課長”)」など。実際の日常会話で多用される。また、韓国では一時期、会社などで姓の前に「미스터(“ミスター”)」や「미스(“ミス”)」を付けた「미스터 조(ミストジョ)」、「미스 조(ミスジョ)」という呼び方が流行したことがあったが、今は下火になっている。これは主に上司が部下を呼ぶときの呼び方である。この際、「이(イ;“李”)」は「미스 리(ミスリ)」のように「리(リ)」となる。その他、大学の先生が学生に対して「조 군(チョグン;“趙君”)」のように「군(“君”)」付けで呼ぶような場合もある。何も付けないで姓だけを呼び捨てにすることはない。
   (4)その他
 ○ 自分の父、祖父、先祖など、目上の人の名を口にするときに、「의성(“義成”)」のように直接その人の名を呼ぶのは無礼とされ、「의자 성자(“義の字、成の字”)」と言うのがよしとされる(なお、このとき、자は濃音化して[의짜 성짜(ウイッチャ ソンチャ)]のように発音する)。韓国の高級ホテルなどに行くと、従業員が客の名前を口にするときはこの言い方をしているのを耳にすることがある。
 ○ 「선생님(ソンセンニ;“先生”)」は学校の先生に対して用いるが、日本語の場合と同様に、目上の人に対する敬称として広く用いられもする。通常、「선생님」は小中高校の先生に対して用い、大学の先生に対しては、その職位に関係なく「교수님(キョスニ;“教授”)」と呼ぶ。
 ○ 肩書きの語の末尾にある「님(ニ)」は、強いて日本語訳すれば「様」という意味になろうが、だからといって「교수님」が「教授様」という意味になるのではない。「님」は肩書きに半ば自動的に付く要素で、これが付かないと呼びかけ語としては無礼になる。共和国の金正日氏を日本のメディアが紹介するときに「将軍様」などと言うが、これは「장군님(チャングンニ)」を機械的に日本語訳したもので、実際には単に「将軍」と訳すほうが自然なのである(おそらく、メディアはそれ以上の何らかの意図をもって「将軍様」と言っているのであろうが)。「교수(教授)」など、「님」を付けないで肩書きを呼ぶのは、例えば老教授が若い大学教員を呼ぶときなど、目下に対して使う場合に限られる。
 ○ タクシー・バスの運転手のことを韓国では「기사님(キサニ;“技師”)」と呼ぶ。運転技師という意味である。「운전수(ウンジョンス;“運転手”)」という単語もあるが、これは日本語とは異なり、運転手を見下したニュアンスがあるので、運転手に対してこの語を使うのは避けるべきである。

姓名のローマ字表記

 韓国・共和国ともに朝鮮語のローマ字表記法が定められており、地名などはそれに基づいてローマ字表記することになっている。人名についても原則的にはこのローマ字表記法に基づくことになっており、共和国人の場合はそれに従った表記法がとられているようである。しかし、韓国人の場合は従来からの慣用的な表記が広く行きわたっているため、定められたローマ字表記によらない場合がほとんどである。
 この慣用的なローマ字表記のややこしい点は、まず表記法に原則がないこと、次に同じ音であっても複数の表記がありうることである。つまるところ、姓名のローマ字表記は個々人が自分で自由に決めて使っているのである。例えば、「李」という姓の場合、ある人は「Lee」と表記し、ある人は「Rhee」と表記し、またある人は「Yi」と表記する。見てのとおり個々ばらばらであり、しかも誰が「Lee」を使い誰が「Rhee」を使っているのか全く予測不能である。旅行会社の人などは、さぞかし困るだろう。日本人の場合ならば、氏名の読みさえ分かればそれから自動的にローマ字表記を作ることができるが、韓国人の場合は当人にいちいち確認しなければローマ字表記を知るすべがないのである。参考までに、主な姓の代表的なローマ字表記を以下に掲げてみる。
ローマ字   ローマ字   ローマ字
Kim   Kang, Gang   Oh, Oe
Lee, Rhee, Li, Yi   Cho, Jo   Han
Park, Pack   Yoon, Yun   Shin, Sin
Choi, Choe   Chang, Jang   Seo, Suh
Jung, Chung, Cheong, Jeong   Lim, Im, Yim   Kwon, Gwon, Kown
 このような慣用的なローマ字表記には原則がないといったが、なぜそのような表記になっているかという理由は何となく分かる。すなわち、英語圏(どちらかというとイギリス英語圏)の人がそのローマ字表記を発音したときに、「それらしく聞こえる」ようにつづっている。例えば、「鄭(정)」のローマ字表記「Jung」は母音「ㅓ」を「u」で表記しているが、「Jung」を英語圏の人が発音すると[]のように発音し、元の朝鮮語「정」に音が似ている。「尹(윤)」の「Yoon」なども分かりやすい。「oo」は英語圏では[]と発音する。また、「李(이)」は「Lee」と表記する人がひじょうに多いが、これは欧米の名前によく見られる「Lee」に合わせることで、欧米人に読みやすくさせている。しかし、それでも「崔(최)」の「Choi」などは、英語圏の人がいくら発音しても「チュェ」のようにはならない(実際に、これはしばしば「チョーイ」と発音されている)。「Choi」はハングル「최」の母音字「ㅚ」を「ㅗ(o)」と「ㅣ(i)」に分解して、それをそのままローマ字表記にしたものと思われる。
 慣用的なローマ字表記は人名のみならず、会社名なども同じである。我々がよく知っている韓国企業の「サムスン」・「ヒュンダイ」は、朝鮮語ではそれぞれ「サソン(삼성)」・「ヒョンデ(현대)」である。日本で「サムスン」・「ヒュンダイ」と呼ぶのは、「Samsung」・「Hyundai」というローマ字表記をそれぞれ日本語風の読み方で読むことに由来する。朝鮮語を知らない人から見れば何のことはないだろうが、少しでも事情を知る者から見ると、ひじょうに違和感のある呼び方である。

創氏改名と通名

 植民地時代に日本が朝鮮人の皇国臣民化政策の一環として行なった事業の1つに「創氏改名」というものがある。朝鮮人の名前を日本式のものに改める政策である。朝鮮人の苗字は法律上「姓」であり、日本人のそれは「氏」である。「創氏改名」の「創氏」とは、朝鮮人の苗字として日本式の「氏」を新たに「創」るという意味であるが、日本式の「氏」を元からある朝鮮在来の「姓」の上にかぶせて「姓」を見えなくしてしまうというものである。
 韓国の戸籍は現在電算化が進んでいるが、以前は植民地時代の旧朝鮮戸籍の台帳がそのまま使われていた。これを見ると、創氏改名の手続きを見て取れる。前述のとおり、韓国戸籍(および旧朝鮮戸籍)には個人情報として「姓名」の欄と「本貫」の欄がある。朝鮮では、女性は入籍後も姓が変わらないので、姓名の欄には結婚前の姓がそのまま書かれる。創氏改名に際しては、「本貫」欄を「姓及本貫」に改めた。本貫は一般生活での公的な事務手続きなどでは一切用いない。本貫と姓をいっしょにすることで、朝鮮人の姓が表に出ないようにしたわけである。それとともに、「姓名」欄を「氏名」欄に改めた。ここでいう「氏」は日本式の「氏」のことである。したがって、結婚して入籍した女性は戸主の氏と同じ氏を名乗ることになる。旧朝鮮戸籍では、改められた「氏名」欄には、もともと書かれていた姓の横に朱の抹消線が引かれ、その横に新たに設定した「氏」が記された。
 創氏は戸主による届出制だったが、届出がない場合(全体から見た割合は少ない)にも法によって強制的に氏が設定された。届出による氏のほとんどは漢字2字の日本風の苗字である。届出をしなかった者に対しては、戸主の姓がそのまま氏となった。従って、例えば戸主の姓が「金」である場合、その配偶者や母などは通常「李」だの「朴」だのと姓が戸主とは異なるが、彼女らの氏は戸主と同じ「金」となる。つまり、日本の家制度と同じ「氏」を朝鮮にも導入したのである。このようにして設定された日本式の氏と日本風に改められた名は、朝鮮解放後、朝鮮姓名復旧令(1946年)によって無効とされ、戸籍の記載も本来の「本貫」と「姓名」に戻された。これも旧朝鮮戸籍にその手続きがきちんと記されている。
 創氏改名で創られた氏を見ると、当時の朝鮮人のさまざまな苦労がうかがえる。日本同様に「家」(朝鮮の場合、それはすなわち「姓」でもあるが)を重く見る伝統のある朝鮮では、姓をいたずらにいじるのにはかなりの抵抗感があったようである。よって、なるべく姓を活かした形で氏を設定しようとした涙ぐましい努力の痕跡が随所に見られる。ある者は自らの姓の字を含んだ形で氏を創り(「金」は「金子」、「安」は「安田」など)、ある者は自らの本貫を氏とし(「白川趙氏」は「白川」など)、またある者は祖先の由来を込めて氏を創った(「密陽朴氏」は羅の初代国王である始祖・赫居世が戸から生まれたという伝説に基づき「新井」とするなど)。新たに設定した氏の中には、日本人にはまずいないような氏もあるが、多くはここに例示したように日本人の間でもごくありふれた苗字を氏として創ったように思われる。
 なお、余談だが、創氏改名は朝鮮人の名前を奪うことで朝鮮の民族性を抹殺しようとしたのではなく、朝鮮の「家」を否定することで朝鮮の民族性を抹殺しようとしたところに本来の目的があるらしい(私は歴史学者でないので、このあたりの詳しい評価はよく分からない)。「氏」に象徴される日本の家制度を導入することで、「内鮮一体」を図り朝鮮の民族性を抹殺しようとした、ということらしい。
 現在、在日朝鮮人の多くは日常生活で日本名を使っている。この日本名のことを、ふつう「通名」あるいは「通称名」と呼んでいる。日本名はほとんどの場合、日本の外国人登録原簿の氏名欄にカッコ付けで併記されており、運転免許証などにも「金子○○こと金○○」のように日本名と朝鮮名が併記されている。在日朝鮮人が用いている日本名のほとんどは、植民地時代に創氏改名によって設定されたものである。私も幼いときに日本名を持っていたが、あるとき「これはおかしい」と思い立って、それ以降日本名は一切使っていない。日本名での生活より朝鮮名での生活がはるかに長くなった今、もう日本名で呼ばれても反応しなくなった。近年、韓国に保管されている旧朝鮮戸籍を見たが、私がかつて使っていた日本名が「創氏」としてしっかり記載されていた。「創氏改名」に起源を持つ日本名を私が捨てたのは実に賢明な選択だった、と改めて思った。

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