2009年度卒業論文・卒業研究の要旨

大森まり絵「インドネシア、ジャワにみられるドゥクンの存在―ジョグジャカルタに住む人々から見たドゥクン―」

種別:卒業論文

「ドゥクン」とは、辞書では「呪術師」や「魔術師」といった目に見えない力を持つ人のことと定義されている。しかし実際は、産婆やマッサージ師など、特定の分野に深い知識を持つ人のことも指す。「ドゥクン」とは日常生活の中で起こる様々な困難を解決する、または欲望を叶えるために存在する便利屋のようなものである。

インドネシアの友人と話をしているうちに、その「ドゥクン」が現在インドネシア人から否定的に捉えられていることが多いということに気づき、その理由を知りたいと考え、「ドゥクン」を卒業論文のテーマとした。本論文はインドネシア・ジョグジャカルタでの現地調査の際に行ったアンケート調査の結果を基に、インドネシア、ジョグジャカルタに住む人々がドゥクンにどのような印象を持ち、どのように考えているか、ドゥクンがどのくらい人々に必要とされているか、ということを論じた。

第一章ではドゥクンとは何かということを明らかにし、第二章でアンケートを全体、グループ別、男女別、年代別、収入別に分類した上で比較、分析し、その結果を基にインドネシア、ジョグジャカルタに住む人々のドゥクンに対する見解について考察した。

金丸悠里「インドネシア女子の職業意識」

種別:卒業論文

坂本弥生「インドネシア・イスラム文化におけるセクシャリティ」

種別:卒業論文

私は、インドネシアにおける売春婦、キャバクラ嬢、援助交際、おかまを主に取り上げ、イスラム教義との矛盾点、人々の性に対する意識、考え方を探った。インドネシアの人口の9割はイスラム教で、イスラムでは婚前性交や婚外性交は禁止されている。しかし、インドネシアでも、性産業がなくなる事はなく、むしろ盛んである。だが、性産業に関わる女性に対する社会の風当たりも冷たい。

そこで、私は性産業の問題提起をし、彼女たちの権利拡大を目的としてこの論文を執筆した。フィールドワークをジョグジャカルタで行い、性産業に関わっている女性にインタビューをし、また、学生110人にもアンケートを行った。

第2章でインドネシア・イスラムの概要、3章で売春宿、4章で援助交際、5章でキャバクラ、6章でおかまに焦点を当てている。

佐藤夏希「日本とジャワの食文化比較―おせち料理とトゥンプン(tumpeng)を例に―」

種別:卒業論文

Tumpengとは、結婚式などの儀式の席で出されるジャワの伝統料理である。Tumpengに使われる食材にはそれぞれに象徴的な意味が込められており、日本でのおせち料理と似ている。食材に込められた象徴的意味を研究・分析していくことによって、双方の文化的特徴や人々の考え方について深く知ることができるのではないかと考え、この題材を選んだ。本稿では、海を隔てたジャワと日本のそれぞれの伝統料理を比較研究することによって、二つの文化に共通する思考や概念を導き出すことを目的としている。また、食文化以外でも様々な観点から共通概念を導き出しているので、日本人のジャワに対する知識の深化や理解の手助けになればと考えている。

第1章では、(1)食文化、(2)色に対する概念、(3)土着文化、(4)民族性という4つのカテゴリーに分けて、日本とジャワ双方の文化的特徴や共通点を探っていく。第2章では、前章で挙げた共通点の中でも特に食文化の特徴、及び共通点について探っていく。米を神聖視する概念や伝統的な儀式、神話などを基に検証を行う。第3章、4章では、それぞれ日本のおせち料理、ジャワの伝統料理tumpengを例に挙げて、食材の象徴的意味の分析、及び比較研究を行う。第5章では、「共食」の概念を探りながらコミュニケーションツールとしての「食」の大切さを伝えていく。また、ハレの日における「共食」の意義をケの日常生活にも応用していくことによって、現代の日本社会における食の問題への解決策を探っていく。

杉橋郁子「インドネシア「儒教」の創造と復活―オランダ領東インド時代から改革期まで―」

種別:卒業論文

本稿ではインドネシアにおける儒教の変容について、改革期からオランダ領東インド時代までさかのぼり考察する。1998年スハルト体制崩壊後の改革期(Era Reformasi)以降、儒教は公認宗教としてのポジションを確立させつつある。これらの動向は、ワヒド大統領による「大統領指示1967年第14号の撤廃に関する大統領令2000年第6号」 (Keputusan Presiden Republik Indonesia No.6/2000 tentang Pencabutan Instruksi Presiden No.14/1967 tentang Agama, Kepercayaan, dan Adat-istiadat Cina) の公布に端を発するものであり、この大統領令が公布される以前、すなわちスハルト政権による新秩序体制(Orde Baru)の中では、儒教は宗教として認められるどころか、儒教を含む中国的な信仰、慣習などはすべて抑圧され、公の場から抹消されていた。そしてさらに独立後の旧秩序体制(Orde Lama)まで時代をさかのぼると、スカルノ政権下で公布された宗教に関する政令のなかで、儒教はすでに宗教として位置づけられていた。またその教義には唯一神や預言者など、「本来の」儒教では聞き慣れないものがいくつか存在する。

本稿で焦点を当てたいのが、スカルノ政権期以前、すなわちオランダ領東インド時代に上のような宗教性を備えた儒教が一般に認識されるに至った経緯についてである。構成として、まずは筆者が2名のインドネシア人に対して行ったインタビューの結果から、儒教が公認の宗教となった現在もなおその宗教性に賛否両論があるという事実を確認する。続いて1900年代以降発足した2つの華人団体「中華會館」と「孔教会」の取り組みに着目し、当時の儒教の様相を考察する。

副島麻由「ドラえもんひみつ道具事典―インドネシア語版の作成―」

種別:卒業研究