2007年度卒業論文・卒業研究の要旨

石橋明佳 “Indonesian Female Migrant Workers in Foreign Countries and NGO Activities”

種別:卒業論文

インドネシアは毎年多くの移民労働者を海外に送り出しているが、その大部分がインフォーマル・セクター(家庭内労働や農業など、監督や統計の対象となっていない部門)、特にハウスメイドとして働く女性である。

こうした女性労働者は低学歴・未熟練であるため、しばしば悪徳派遣会社やブローカーよって悪用されやすく、出稼ぎ先で肉体的・精神的暴力、不法な賃金の差引きなど、様々な人権侵害に遭っている。

本稿では、現在深刻化するインドネシア女性移民労働者の人権侵害の現状を指摘するとともに、これに対するNGOの取り組みに焦点を当て、今後の海外ハウスメイドの労働状況改善について考える。

第1章ではインドネシア人出稼ぎ労働者が増加してきた歴史的背景を分析した。第2章では出国から労働までのプロセスにおいて女性出移民労働者が直面する様々な人権侵害や搾取について述べた。第3章では政府側の労働者保護のための充分な対策が行われていない現状を述べた。第4章では女性移民労働者の人権問題の解決に取り組むNGO、特に筆者が現地調査を行った2つのNGOの活動に焦点を当てた。最後の第5章では総括として、今後のインドネシア海外女性労働者の労働状況改善に向けて政府機関・NGOが果たすべき役割を提案した。(本文英語)

大村優美「インドネシア歴史・文化を反映するバティック文様」

種別:卒業研究

本研究ではバティック文様の写真を多く掲載した、図鑑形式のバティック文様冊子を作成した。ジャワ島を中心に宮廷で使われていた伝統的なバティック文様から、北部海岸様式のバティック文様、現代の商品としてのバティック文様まで、さまざまな文様を取り上げた。

インドネシアは外部から様々な影響を受けた国であり、特にオランダ、中国、日本からの影響を強く受けている。そのため、バティック文様にもインドネシア内部の伝統文化だけでなく、各時代に受けた外部からの影響が如実に表れていることに私は興味をもち、本研究に至った。

本研究の目的は、インドネシアジャワ島各地の地理、歴史、文化的背景がバティック文様にどのように反映されているのか、また、ジャワ島北部海岸のバティックに至っては、古くからの様々な異文化との交易・影響がどのようにバティック文様に反映されているかを考察していくことである。

冊子の構成は第1章ではバティックについての導入として、製作工程や外島のバティックに触れた。第2章ではガルーダ文様などの中部ジャワ様式のバティック、第3章では、ジャワ北部海岸様式のバティック、特にチルボン、プカロンガンに代表されるバティックを取り上げた。第4章では、バティック・インドネシアやシルク・バティックを紹介し、バティックの新しい動きについて言及した。第5章ではあとがきのほか、関連地図や掲載図索引をつけて、冊子形式になるように工夫した。

神長慶子「ガムラン音楽と日本におけるその普及」

種別:卒業論文

インドネシア音楽といわれて、日本人が最初に思い浮かべるのはガムランではないだろうか。事実アジア音楽の中でも、今日ガムランは特に世界的に有名である。

バリ・ガムランの微妙な音のズレによる唸りと、たたみかけるようなダイナミックな奏法から奏でられる神秘的な響きの虜になってしまった私は、ガムランを聴くだけではなく、どうしても演奏してみたいと思い、2007年6月より音工場HANEDAでガムランを習い始めた。そこで、西洋音楽と比べるとその数は少ないが、日本でもガムランを教えている場所がたくさんあることを発見した。と同時に、性別や年齢を問わず様々な人がガムランの魅力にとりつかれて、ガムランを学んでいることを発見した。新しい発見以外にも、自分自身が演奏しガムラン演奏者と関わる中で新たな疑問が生じた。その疑問こそがこの卒論のテーマである。

それは、ガムランは一体どのようにして日本まで辿りついたのか。日本人がなぜガムランに興味を持ち始めたのかという疑問である。西洋音楽が飛び交う日本社会の中でガムラン音楽がどのように発展していったかを本稿では論じたい。

第1章ではガムランの定義とともに、歴史的背景を述べていく。続く第2章では、ガムランの地域的分布とその特色を見ていく。ここでは大きく三つの様式に分け、その相違にも注目する。その中でも特にバリ様式を詳しく述べていくことにする。第3章ではガムランがいかにしてインドネシアの外へ拡散していき、日本へ普及したのかを述べつつ、日本人のガムラン活動の現状を明らかにしていく。そして、以上のことおよび自分自身の経験を踏まえて、日本におけるガムラン音楽の今後の展望について考察する。

澤井美貴子「FGM廃絶運動の盲点」

種別:卒業論文

FGM(Female Genital Mutilation、女性性器切除)はアフリカ28カ国を中心に行われている悪習である。最近になってFGM被害者女性たちが体験談を本にして出版し、アフリカ移民の多いフランスなどの西欧諸国だけに限らず世界的規模で女性の人権侵害、暴力だと廃絶の声が上がっている。

実際にFGM廃絶を目指すNGOの地道な廃絶運動のおかげで実施率が低下している村々も出てきており、一定の成果は上がっている。しかし一方で、メスや麻酔といった医療器具を使わない、原始的な施術方法が問題視されていることから、医療環境が整った病院ならば「衛生的」だとする主張する医師が増えている。娘のFGM決定権を握る母親たちも社会的地位の高い医師の言うことを信じ、「より安全」な方法で娘にFGMを受けさせる傾向が増えている。

FGM廃絶にあたって最も重要視されていたのは「教育」であった。FGM当事者は多くが教育を充分に受けていない者なので、まずはFGMがもたらす弊害を充分に理解させ、廃絶への賛同を得ていくやり方が最も効果的だとされている。しかし実は、医師たちもFGMの弊害を充分に理解していないことから、本稿では従来のFGM廃絶運動に加えて、医師を含む「教育を受けた者」たちへの啓蒙運動も行っていくべきだと述べている。

庭瀬亜矢子「現代における巡礼と観光: インドネシアでのハッジを例に」

種別:卒業論文

ヒト・モノ・コトが絶え間なく行き来する現代においての、ヒトの動きの中から非日常の活動である巡礼と観光を選び、両者の関係性を考察したものが本論文である。近年、巡礼者の目的や様相、移動手段などが多様化し、観光目的で巡る巡礼者が増加した四国遍路をヒントにこのテーマを選んだ。特に、インドネシアにおけるハッジに焦点を当て、ハッジの中にも観光的要素が内包されているかどうかを四国遍路・サンティアゴ巡礼と比較した。

第1章では、四国遍路、サンティアゴ巡礼における歴史や巡礼者の目的と、観光の歴史や持続可能な観光開発といった問題点に焦点を当てた。第2章では、メッカの歴史、ハッジの方法や規則、サービスなどをホスト国であるサウジアラビア側の資料を基に考察した。第3章では、ジャカルタでのフィールドワークを基にインドネシア人のハッジに対する思いやハッジ・ツアーの存在を述べ、インドネシアにおけるハッジと観光の関係を検証した。最後にまとめとして、各巡礼と観光を比較し、それぞれの共通点と相違点を述べ締めくくった。

本村恭子「ジャワ人の名づけと名前に対する意識」

種別:卒業論文

貧富の差、生まれ・育ち、社会的地位、国や地域は違ったとしても人間は名前を持っている。名前には親の願いや本人が生まれたときの世相、宗教など、文化が反映され、凝縮されたものだといえるだろう。

インドネシア人には姓と名前の区別がなく、みな個人名しか持たないということは以前から授業等で何回か聞き、興味を持った。また、インドネシア人留学生から名前の由来を聞き、それが今まで日本人の発想からはあまり考えないような名付けの方法であった。そのような経緯から、インドネシア人の名前・名付けに関して日本人とは違った考えがあるのではないかと思われた。

そこで本稿では多民族国家インドネシアの中でももっとも人口の多いジャワ民族に焦点を当て、ジャワの人々の名前とその名づけ方について調べ、ジャワ人には姓の概念が全くないのか、彼らの名前に対する考え方を探ることをテーマにした。

具体的には、第2章で世界の名づけ方を分類し、それを元に、第3章では特にインドネシア人全般の名前に関する先行研究のまとめと、世界の中での位置づけを行った。更に第4章ではジャワ出身の有名人についての名前の分析、第5章ではアンケート調査の結果をもとに一般のジャワ人の名前を考察した。

諸平薫 “The transition of Mandarin media in Indonesia: post-Suharto regime”

種別:卒業論文

本論文では、スハルト政権からユドヨノ政権までにおける対華人政策を、中国語メディアを通して検討し、スハルト政権下と崩壊後変遷について考察している。

Chapter1はインドネシア華人の紹介である。2007年9月にジャカルタで行ったフィールドワークをもとに、華人の生活の様子、華人メディアを中心とした歴史について述べている。Chapter2の前半では、スハルト政権下における華人差別、同化政策についての考察である。後半は、中国語メディアだけでなくインドネシア語メディアも厳しい検閲を受け、統制されていた様子を、KompasやHarian Indonesiaでのインタビューを通じて理解することができる。同時に1990年に中国との国交が正常化し、商業的関心の高まりと共に、1997年通貨危機をきっかけにしたスハルト政権崩壊について説明する。Chapter3では‘改革の時代’と言われるスハルト政権以降の政権下での、民主化への動きを紹介している。改革の時代において表現の自由が叫ばれ、インドネシア語メディアが発展、中国語メディアや中国系文化が登場することになった。Chapter4では、中国の著しい経済成長やインドネシアにおける中国語学習者の急増の現実をふまえ、今後の中国語メディアの発展に関する展望を述べている。

華人政策、中国語メディアの変遷に焦点をあてた本論文を通して、読者のインドネシアにおける華人研究への興味につながることを期待したい。(本文英語)

吉村ひとみ「ラマダーンの断食の日々と生活: 2007年インドネシア、ジャカルタの現状」

種別:卒業論文

日本に住んでいると、イスラームに関する情報はほとんど入ってこない。資料などで読んでいて断片的にはイスラームのことを理解してはいるが、その実態はどういうものであるかを知ることはできない。このような現状から、実際にはどのようにしてイスラームが信仰されているのか、インドネシアの暮らしはどのようなものなのかということを明らかにしたいと思い、論文のテーマを決定した。筆者は2007年9月にインドネシアに行き、ラマダーンの断食の調査を行った。

本論文は日本で生活していては知りうることのできないラマダーンの断食中のインドネシアでの生活実態を明らかにすることを目的としている。そのため、筆者が実際にインドネシアの家庭にホームステイし、そこで経験したことを中心として本論文は展開していく。

第1章ではラマダーンの定義、断食の定義を行い、ラマダーンの断食の確立とその断食を行う意義について述べた。続く第2章では、筆者が経験した現地での生活をもとに、1日のサイクルを通してどのような生活をおくっているのかを明らかにし、その特徴的な出来事を見ていった。ここでは、1日を早朝(夜明け前)、朝、昼、夕方、夜の5つの時間帯に分け、それぞれの時間に行っていることや生活の様子について述べた。第3章では、第2章で述べた1日の活動の中でも最も特徴的な、ブカ・プアサ・ブルサマについて説明を行い、考察した。そして、第4章ではインドネシア社会の雰囲気や様子について筆者が気づいたことについて述べた。最後にインドネシアで実際に生活をしてみて感じたこと、学んだことについて書いた。また、インドネシア人にとってのラマダーンの断食とは何かということを考え、筆者なりの結論を導き出した。

米田由子「バリ人の世界観における方角の重要性

種別:卒業論文

本論文の目的は、風水との比較を通して、バリ人の方角観の重要性を考察することである。バリ人の方角観は私達日本人の考える方角とは全く異なる。バリ人の方角観がバリ人の世界観にとってとても重要なものであることを知り、興味を持ったことがこのテーマを選ぶきっかけだった。

論文では、バリ人の方角観がバリ人の世界観においてどれ程重要なものであるかについて論じた。方角を重要とする考え方として、同じ東アジアの中で風水を取り上げ、バリ人の方角観と比較した。バリ人の方角観と風水は、人々の生活の知恵から始まり、宗教などと融合することで、現代まで伝承されてきている点で似ている。だが、それぞれの環境によって両者は独自の文化、世界観を作りあげていった結果、様々な違いが生まれた。それが独自性であり、生活の知恵から始まったバリ人の方角観は、バリ島独自の文化を語る際に必要不可欠な考え方なのである。

論文の構成は、第1章で、論文の構成を紹介し、第2章では、バリ島の基本情報を載せ、バリ人の世界観の基本原理についても触れた。そして、バリ人にとっての方角とは何かを述べ、どれほど重要視されているかを項目別に具体例を挙げつつ論じた。第3章で風水を取り上げ、まず風水とは何か、風水がどの様に発展していったのかを述べ、風水を種類に分けて説明した。また、風水における方角を特に取り上げて論じ、東南アジアにも分布するヤオ族の風水を詳しく取り上げた。風水と宗教とのつながりについても述べた。第4章で、バリ人の方角観と風水を比較した。そして、第5章で、あらためてバリ人の方角観の重要性についてまとめた。