2004年度卒業論文・卒業研究の要旨

伊藤 希「グローバル化時代と身土不二―望ましい食のあり方とは何か―」

種別:卒業論文

「身土不二」という言葉がある。一言で言えば、身体(身)と環境(土)は不可分(不二)であるということで、自分の住んでいる三里四方、四里四方のところでとれたものを食べれば健康に暮らせるという意味で使われる。

現代では、グローバル化時代のなかで、日本において伝統的な食が忘れ去られ、ファーストフードやコンビニエンス・ストアなどの商品が日常の食を占める割合が大きなものとなっている。食料自給率が低く、輸入大国である日本の食卓は、外国産のものにあふれ、かつての「身土不二」の原則は崩れ去った。それによって、食の商品化による「こ食」の増加と、それに伴う栄養バランスの偏り、精神的弊害、生活習慣病の増加といった問題が表出してきた。ゆえに、本稿では現代の食生活において「身土不二」のあり方を見直すことが必要であり、その実現ためにどのような方法が可能であるかを検討してきた。

それによってまず明らかとなったのは、資本主義と「身土不二」は両立し難い問題であるということだ。「身土不二」は自給自足型の伝統的な社会形態における自然な食のあり方であり、それは資本主義によって、人々の生活がその土地と直接には関係のない生業によって成立する都市化が進行することによって崩壊せざるをえないものなのである。

ここで、資本主義がもたらした飽食と、「身土不二」に基づいた伝統的な食のあり方と、どちらを選択すべきかという問題が出てくる。しかし、本稿ではどちらか一方に偏るのではなく、中道をとるということが解決策であると主張した。 その根拠は原始仏教における中道理論と、西欧と日本における資本主義の源流にあった自利と利他の精神である。自と他の片方に偏らないということで、自利と利他の精神も、中道の思想ということができるだろう。グローバル化が進み、資本主義のもとで多くのモノや情報があふれるなか、欲望に振り回され、やがてその反作用が自らに及んでくるというような事態を避けつつも、現代社会に背を向け、古代がえりするという閉鎖的な態度をとることなく、社会の発展を肯定できるために求められるのは、自利と利他の精神と中道の思想である。

桐島里奈「インドネシアと日本における都市化による結婚式の変化」

種別:卒業論文

本論文は、インドネシアのジャワと日本における伝統的な結婚式が、都市化が進むに連れてどのように変化していったのかについて論じている。結婚式とは、どの国でも喜びの儀式と考えられ、古くから世界各地で見られるものである。ジャワと日本でも、昔からの伝統的な結婚式のスタイルがある。ジャワの、主に農村部の伝統的な結婚式は、イスラム色が大変強く、いくつもの儀式が2日間にわたって行われる。また、日本の伝統的な結婚式は神前結婚式であり、1日間ではあるがジャワの場合と同じように大変華やかに行われる。しかし、1970年代から90年代にアジア地域でめざましく経済が発展し、都市化が進んだことによって、この伝統的な文化にも変化が見られるようになる。

まず、第1章ではジャワの伝統的な結婚式について詳しく触れ、第2章では日本の神前結婚式を紹介する。そして、第3章ではジャワと日本で現在どのように結婚式が行われているかをまず述べ、それから都市化によってどのような影響を受けたのか、共通点と相違点を考察していく。

志籐菜穂子「12 Cerita Rakyat Jepang dan Musim-musim yang Mengiringnya
(12ヶ月の日本昔話 日本の季節とともに)」

種別:卒業研究(翻訳)

志籐作品 日本昔話をインドネシア語へ翻訳し、一冊の本を制作した。この計画を思い立ったのは、夏休みを利用していったインドネシア旅行でインドネシアの女の子や、女性たちの日本の季節に対する関心の高さに驚いたことがきっかけである。彼女らに、直接日本の季節を見せてあげることはできないけれど、何か日本の季節を感じ取ってもらえるようなものを作りたいと思い、この卒業研究を計画した。具体的には、日本の季節に合わせて12の昔話を選び、それぞれの昔話の前には季節の説明を加えた。さらに、日本の文化を紹介する説明も5つ載せ、また、季節に関連したイラストを付けて、読者の理解を図った。翻訳した12の昔話は、以下の通りである。1月「十二支の由来」、2月「うぐいす長者」、3月「桃太郎」、4月「花咲爺さん」、5月「金太郎」、6月「かっぱのよめっこ」、7月「七夕さま」、8月「浦島太郎」、9月「かぐや姫」、10月「さるかに合戦」、11月「鶴の恩返し」、12月「笠地蔵」。(本文インドネシア語)

竹島朋美「バティック紹介」

種別:卒業研究(製作)

竹島作品 この卒業研究では、インドネシアのジョグジャカルタにあるガジャマダ大学のINCULS(Indonesian Language and Culture Learning Service)を利用し、三種類のバティック(カイン・パンジャン、ハンカチ、スレンダン)を制作した。また、バティック制作過程の記録およびバティックの紹介のため冊子を制作した。その内容は以下の通りである。1)ジャワ更紗について簡単な説明、2)地域別にバティックの特徴を説明、3)バティック制作に用いた道具と材料の紹介、4)バティック制作の手順、5)バティックの用い方の紹介、6)バティック制作に関わる単語集。

この卒業研究は、四年間学んできたインドネシア語を用いてバティックを学ぶという語学の実践と、バティック制作の冊子を作り今後の教育材料の充実に多少なりとも貢献するということを目的に行った。私の卒業研究を見て、バティックに興味をもった学生がガジャマダ大学のINCULSやその他の機関にバティックを学びに行ってくれると嬉しいと思う。

林 千陽「 オダラン儀礼に見られるバリ人像」

種別:卒業論文

地上の楽園インドネシアのバリ島では、毎日島のどこかで、神々が天界から降りてくるとされる寺院の祭礼「オダラン」が行われている。筆者はオダランに参加した際に、近代化が進んだ現代においても、バリ人には形式だけではなく、心から神や祖先を敬う篤い信仰心が受け継がれているという印象を受け、大変興味をそそられた。一方バリ島では「観光化」が進み、現在のバリ人は多くの観光客の目にさらされていると言えるが、バリ人は自分たちの生活の一部が覗かれているような気はしないのか、極端に言えば自分たちの生活やオダランなどの儀礼が観光客によって邪魔されているというような意識はないのかという疑問が浮かんだ。

本論文では、以上のような筆者の興味や疑問について、以下の構成で追究した。まず前半部では、オダランの構成要素を挙げその意義を調べると同時に、その根源にあるバリ人のコスモロジーや、バリ島民が一般的に神々とどのように関わっているのかということについて考察したうえで、それと比較しながら、筆者が2004年9月にバリ島を訪れた際に観察した、ギァニャール県タンパックシリンにあるティルタ・エンプルという寺院でのオダランの記録を写真と共に記した。後半部では、「観光化」が儀礼、その他地元民の生活に与える影響について考察した。まず観光化はいつ誰の手によって、どのように進められていったのか、そしてそれに対してどのような見解があったのかというバリ島の観光化の歴史についてまとめた。その後、バリ人にとって観光客はどのように映っているのかについて筆者が現地で行ったインタビューと先行の研究をもとに分析し、今後のオダラン儀礼の行方はどのようになっていくかを検討した。

山形敦子「東ティモールにおけるナショナリズム」

種別:卒業論文

2002年5月20日に誕生した東ティモール民主共和国。5世紀に及ぶ植民地支配と、1975年から始まったインドネシア軍による壮絶な人権侵害と独立闘争を経て、彼らは独立を果たした。しかし、彼らがいざ国づくりを始めようとした時、東ティモールの特異性を背景にした様々な問題にぶつかった。言語の多様性、公用語の決定、経済的国家財源、雇用問題、移民問題などである。その中で、特に筆者が注目したのは言語に関する問題である。独立した東ティモールの公用語はテトゥン語とポルトガル語である。しかし東ティモールの新聞は、テトゥン語・インドネシア語・ポルトガル語・英語の4言語で書かれてあり、とりわけインドネシア語の使用率が一番高い。さらに、東ティモールはもともと多民族から成り立ち、少なくとも30以上の言語を所有する地域である。テトゥン語はその言語の一つでしかなかった。なぜこのように、独立を果たした今も使用言語に統一がみられないのだろうか。ナショナリズム研究の第一人者、ベネディクト・アンダーソンによると、ナショナリズムの勃興には「国民」が共通して理解できる言語―出版語―の存在が必要となる。明らかに、東ティモールには強力な出版語は存在していなかった。では東ティモールの人々はどのような過程で自らを「東ティモール人」と認識し、同胞を作り出し、「『東ティモール』として独立したい」と願うようになったのだろうか。様々な言語の一つであったテトゥン語は、いかにして公用語となったのだろうか。本論はベネディクト・アンダーソンはじめ、幾人かの研究を参考または議論しながら、東ティモールにおけるナショナリズムの発生と発展を、主に言語に焦点を当てて考察する。