2003年度卒業論文・卒業研究の要旨

安保佳奈子「ジャティランにみるジャワ人の精神世界」

種別:卒業論文

ジャティラン(jathilan)とはインドネシアのジャワ島、中部ジャワのジョグジャカルタ地域に古くから伝わる大衆芸能である。クダ・ケパン(kuda kepang)という竹で編んだ馬を使う踊り手やさまざまな仮面を被った踊り手によって踊られるこの踊りは、クライマックスで、踊り手がトランス状態になってしまうという点が最大の特徴であり、多くの観客を引きつける理由でもある。「温厚で慎み深い」とされるジャワ人が、すべての感情を解放し激しくトランスするのはなぜか。果たして「温厚で慎み深い」ジャワ人と激しくトランスするジャワ人は同一人物なのだろうか。この論文は、主に筆者が現地で行った取材をもとに、ジャティランとは何かを具体的に考察しながら、ジャワ人がジャティランを踊り、トランスする目的やジャワ人のジャティランに対する意識を明らかにし、ジャティランを通して見えてくるジャワ人はどんな人物であるかを見出していく。

北島加奈「バティックのための天然染料の使用」

種別:卒業研究(翻訳したものを製本)

北島作品 インドネシアを訪れた際、バティック・リサーチセンターでヘンドリ・スプラプト氏と出会い、スプラプト氏本人から彼のアトリエへ案内してもらい、そこで手に入れた彼の著書Penggunaan Zat Pewarna Alami untuk Batikを翻訳し製本した。

第一章にはインドネシアにおける天然染料の発展、天然染料の類別、天然染料の可能性、天然資源、機会、対立、障害について記した。天然染料の発展の項には、合成染料の発明、インドネシアでの普及からそれに抗って行われた天然染料の研究、発展について記している。天然染料の類別の項には、天然染料をその染色方法により大きく四つに分類したものを記している。天然染料の可能性の項には、今後天然染料に寄せられる期待と、合成染料よりも優れている点について記している。天然資源の項には、インドネシアに生育している天然染料の原料となる植物とその生育地について記している。機会、対立、障害の項には天然染料が直面している発展の機会とほかの染料などとの対立、そして天然染料が発展する過程での障害について記している。

第二章には天然染料を生産する植物の栽培法とその染料の使用法について記した。それらの植物とは、学名でIndigofara、Bixa orellana、Morinda citrifolia、Nyctanthes albortristis、Caesalpinia sappan、Terminalia bellirica、Ceriops candolleana、Peltophorum pterocarpa、Cudrania javanensis、Xylocarpus granatumである。原著者のアトリエで撮らせてもらった原料の植物の写真を添付した。

第三章には染色に使う道具と染色の方法について記した。媒染や色素の抽出、色の固定に必要な道具と、具体的な染色の方法、原料の分量など実際に天然染料で布を染めることができるように説明をしている。

早乙女仁美「インドネシア・ジョグジャカルタにおけるラジオ放送」

種別:卒業研究(論文に準じる)

卒業論文形式で、A4判のものとした。第1章から第5章までの5章立てでその論を展開している。第1章は「はじめに」と題して、このテーマを選択した動機、現地調査の方法、その現状から浮かんできた2つの疑問、「何故1400局という多くのラジオ局が同時に存在し得るのか」、「何故インドネシアでテレビ放送が開始された1963年以降もラジオ局が消えてなくならなかったのか」を提示した。第2章では、その背景として「ラジオ放送の歴史と発展」と題して、ラジオ放送が世界で初めて開始された1900年(オランダ時代)から現在までのラジオ放送の発展を歴史的事柄と関連させて述べた。第3章では、「ラジオ放送の現状」と題し、第1節でスハルト政権下のラジオ放送と、スハルト政権崩壊後のラジオ放送を形態によって比較、分類し、第2節で実際に訪れた7つの民営放送局(RRI YOGYAKARTA、GERONIMO、YASIKA、UNISI、SWARAGAMA、RETJO BUNTUNG、RASIA LIMA)の現状をその局のビジョン、歴史、ターゲットとする聴取層、放送時間、周波数、具体的な放送内容等を挙げて記述している。第4章では「分析・考察」と題して、前章で述べた現状から、各放送局を比較し、そこから見えてくる各局の特徴を考察した。ここで、第1章の中での疑問に対する考察も行っている。

結論として、多くのラジオ局が同時に存在出来るのは、各局がターゲットとする聴取層を絞りその地域に特化しているからこそ可能なことであり、また、テレビ放送の開始に伴いラジオ放送が消えていかなかったのは、報道的な役割はテレビに取って代わられたが、その地域の情報や娯楽を提供するという役割があるためであると述べた。第5章では「終わりに」と題して、前述の疑問に対する明確な解答を行った。また、今後の課題としてまだまだこの研究を行っている人の数が少ないため、文献が十分にないこと、ジョグジャカルタというごく限られた範囲での調査だということ、インドネシアのラジオ放送自体がこれから変化する可能性が大きいことについても記述した。最後に、現地で撮った写真と、参考文献の一覧を載せた。

庄司奈央子「バゴン・クスディアルジョのタリ・クレアシバル」

種別:卒業論文

バゴン・クスディアルジョ(Bagong Kussdiardjo)は、1928年ジョグジャカルタ生まれの、画家でもあり、舞踊家、振付家である人物である。ジャワ文化を享受し、インドネシアの他地域の舞踊、海外の舞踊も学び、そこから自身の創作を意欲的に生み出し、後進の育成と舞踊の発展にも注力している。タリ・クレアシ・バル(Tari Kreasi Baru)という新作舞踊のジャンルの舞踊作品が有名で、その作品は多くの人に踊られているという印象を受けた。個人の作品のこのような広まりに興味を持ち、そこでこの卒業論文では、バゴンの自伝、舞踊作品、さまざまな著作、バゴンに近い人物へのインタビュー、文献などからバゴン・クスディアルジョのクレアシ・バルとはどのようなものなのか、その受け止められ方はどのようかについて考察することにした。

第一章では、大まかなインドネシアの舞踊の流れとバゴンの出身地であるジョグジャカルタの舞踊の流れ、第二章では自伝からみるバゴンの半生、舞踊観、作品例を挙げ、第三章では作品の受け止められ方、そして最後に結論を述べ、芸術作品の無名性と共有性について触れた。

鈴木朝子「インドネシアの現代食文化:mi instanの普及とその影響」

種別:卒業論文

本論はインドネシアにおける即席めん(インスタントラーメン)の発展について論じたものである。即席めんは日本で開発された食品だが、既にインドネシアの食生活に定着している。幅広い層から親しまれており、既にインドネシアの食文化の一部分を担っているという印象すら受ける。筆者は日本の食品がこれほど国外で受容されているのを目の当たりにして大変衝撃を受け、研究課題に設定した。

本論ではまず、日本、インドネシア両国における即席めん像を提示し、消費の実態を紹介している。次に、食生活の特徴、即席めんが発展を遂げた1970年代から1980年代にかけてのインドネシアの社会状況、ある巨大食品企業と政府との癒着問題を取り上げる。即席めんに関するデータと当時の社会状況、変容の関連性を示すことで、即席めんの発展の背景には何があったのかを考察する。また、最後には、2000年以降の即席めんの新しい動向についても言及し、今後の即席めんの発展性、限界について、筆者の見解を述べている。

宮本淳子「近代化の流れにおけるジャワ文化の伝統の継承:ガルブッグを例に」

種別:卒業論文

インドネシア・ジャワ島にあるジョグジャカルタは、「インドネシアの京都」と呼ばれ、「古都・ジョグジャカルタ」の名と近在する世界遺産とともに国内・外を問わず各地からの観光客を惹きつけている。ジョグジャカルタの象徴ともいえる王宮(クラトン)や王であるスルタンは、ともに昔からジャワ文化の保護・育成の中心となってきたといわれ、クラトンでは一年を通して伝統儀式や行事が行なわれている。その中でも、ガルブッグという一年に三回行なわれる行事を目にした筆者は民衆の熱狂ぶりに圧倒され、何がここまで民衆を惹きつけるのかということに興味を抱いた。

そこで、この「伝統的」とされている行事を通して、ガルブッグが持っているであろう文化的・宗教的意味を、その起源から現在までの流れのなかで「伝統の継承とその変容、順応」に注目しながら考察していく。時代の流れにおいて文化を継承していくということはどういうことなのか、また「古都」、「伝統」という言葉の持つ意味や力、文化の保護育成においてのみならずジョグジャカルタの社会構成においても頂点に立つスルタンとそれに対する民衆の双方の関係・姿勢は、これからのさまざまな側面におけるジョグジャカルタの発展を見ていくうえでも欠かせない視点となるだろう。