連載ノンフィクションエッセイ 第8回

 最近は尊大な態度の客が多い。私はとある店の中で繰り広げられるやりとりを見ながらそう思った。私自身がどこかの店の従業員として体験したことではないけれど、客として横から見ていてもそれは明らかだ。横柄に見える客にしてみれば、「オレは金を払ってるんだぞ」というつもりなのだろうが、たかだか千円にも満たないはした金で一体何を主張しようとしているのだろうか。いいサービスを受けようと思うなら、それに応じた金額を払って受ければいいことなのに。いい客層を持つことができるなら、それは店にとって一つの財産に違いない、と私は思った。

 言うまでもなく、三吉の財産は、その客層である。他に類を見ないほどのメニューの多さは、三吉の財産として筆頭に上げられそうなものだが、そのほとんどを食べてみると、実はどれもあまり変わらないことに気づく。すなわちそれは、選択肢を掛け合わせた結果生じる、数値が示すバラエティーの豊かさに過ぎなかった。

 三吉の客層は、若年層から老年層にいたるまで、幅広い人たちが利用している。最近は近くに大学ができたせいで、大学生がお弁当を買いにくる姿が目立つようになった。忙しくなったため、箸を入れ忘れたり、しょうゆが入っていなかったり、忘れ物や注文と違う弁当を作ってしまうことが目立つようになったが、三吉の客には、大声で怒鳴りつけるようにして文句を言う客は一人もいなかった。それは、マスターが忘れっぽいのはもうどうしようもないとあきらめてしまったわけではない。朝早くから夜遅くまで、額に汗して私たちのために弁当を作り続けるマスターの真摯な姿勢に、尊敬と感謝の意を表したいという、そんな態度の表れでしかなかったし、わたしたちにとっては、ごく自然な振る舞いだった。多少の入れ忘れなど、わたしたちがマスターに抱いている尊敬の念に比べれば、あまりにもちっぽけなことだった。

 三吉にとって私たちという客層が財産であるように、三吉という存在もまた、私たちにとっては誇りなのだ。

(第9回に続く)


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