街のカフヴェ

 

サイト・ファイク

(訳)磯田 若奈


夏の間、この小さなカフヴェの庭にチャイを飲みにしばしば通っていたので、北西風に乗った吹雪が気が違った様に吹きすさむ夕方にこの店に入った時も、特に違和感はなかった。辺鄙なところに、店はあった。葉の落ちた2本のヤナギの木と、今だに落ちずにいる3、4枚の枯れ葉をゆらすブドウ棚に、雪が美しい装飾を加えていた。春の宵や夏の夜はとても愛らしい庭が、紫がかった白い輝きを放ち、夕暮れの光でまばゆく輝きだそうとしていた。私はこの美しさにすっかり魅了され、窓のふちに座って窓のくもりをふきとり、長いこと我を忘れ見入っていた。この紫の輝きは急に濃くなっていったが、カフヴェにはまだあかりがついていなかった。カフヴェの主人は、薄いありふれたチャイバルダックのうち一番きれいなのを私の前に置いて行き、

「冬もきれいでしょう、この庭は」と言うと、

庭にある青い菊の上に積もった雪を指した。

「老いぼれ達が文句を言わないんだったら、まだあかりをつけないんですがね......」と言う。「必ずぶつぶつ言いだすんですよ。」

カフヴェにあかりが灯されると、外の雪の輝きは見えなくなった。私は部屋の中へ目を向けた。8人の客がいるかいないかというところだった。小さなふたの内から、時々炎が飛び出すようにして燃える鉄板ストーブの右側は、必ず一番かっかと燃えることを知っていたので、そうなるのを私は待っていた。私の側でタヴラをしている人々がいた。しばらくの間彼らの様子を見ていた。時々ガラスをふき、額をぴったりと近づけて、外を眺めていた。

家から出たとき回りはひっそりと静まり、この静けさの中に、雪がひらひらと降っているのを見た。歩こうという気になった。大通りや友達と偶然会うこと、ましてや人ごみの道は嫌であった。雪がもっと速く、もっときれいに一面を覆い、ほんの少しの人しか通っていない様な場所へ行こうと、人気のない電車にとび乗った。そしてここへやって来た。しかし、私がこちらへ向かっている30分の間に天気は変わり、北西風が荒れ狂い、ひらひらと舞う雪は、小さな小さな冷たいキビのつぶになって吹雪き始めていた。

店の主人に、

「今日の新聞はあるかい?」と尋ねた。

私の手に新聞を渡した。頭の一方では新聞を読み、一方ではカフヴェにいる人々の話を聞いていた。日常生活のとめどもない話題の他には、誰も何も話していなかった。時々、カフヴェの戸を開けて風と一緒にお客が入ってきた。手に息を吹きかけ、中へ飛び込み、ストーブの前で腹や胸やひざをよく暖めた後、どこかに腰をかけたり、一人でぼんやりしたり、あるいはタヴラのゲームを客が二人で楽しんでいるところへ彼らの反対にも関わらず、3人めの者として加わったりしていた。

長椅子に座った老人達の近くへ、中年の、まじめそうな男達がやってきて座った。私からは離れたところにいた。何を話していたのかわからなかったが、彼らの表情に悲しげなものがあった。みんな長いこと黙っていた。もうずいぶん長いこと、カフヴェに客が入って来ていないことに気づいた。小さな丸い時計は主人の方へ向いていたので、私には何時になったのかがわからなかった。かなりの時間がたった。ほとんどんの客が帰っていった。カフヴェの主人はやっと時計を私の方へ向き変えた。10時半だった。私はすっかり腰を落ちつけてしまっていて、立ち上がって出て行けなかった。私がかすかに帰りたいそぶりを見せたのに気付いた主人は、「家が近いのなら、急ぐことはないよ」と言った。「ここは、1時まで開けているからね。ここよりもいいところを見つけるつもりかい。」

「そうだな。」と私は言った。

「それならもう一杯チャイをいれてくれ。レモン1切れを添えて。」

 

ちょうどその時、店の中へ一人入ってきた。眉やまつげに雪が氷ついていた。まるで上に白いジャケットを着たかのようだった。入ってきた男は、ストーブの方に近づいた。服や頭をはたいた。椅子にずっかりと座った。若い、とても若い青年だった。彼の顔についた雪が溶けて、白くて丸い顔が現われた。

カフヴェに彼がやってくる前にはしゃべり声が聞こえていたが、彼が入ってくると、皆、話すのをやめてしまった。店の隅でタヴラをしていた者が、ザーザーいわせてタヴラの箱をしめ、店から帰っていった後は、この沈黙だけが増し、尾をひいた。

私はこの若い青年を見た。椅子に座り、前の方をみつめている。老人らはもの静かで、まじめで、ほとんど偽善的な様子であった。主人は両肘をついた格好で、コーヒーを沸かすコンロの側に座った。10分間も、ある集まりで誰も一言も言わないとは驚くべきことである。恐ろしい静寂が続いた。

若い青年は足を組んで、それから足を組み替えたが、いかにも落ちつかない様子だった。腰より上は試験中の学生を思い出させ、恐る恐る見ているといった様子で、足の方は、試験官が机の下で足を組んでいるのを見たらどうしよう、とでも心配するかの様に、足をおろしたり、又組んだりしていた。片方の足の下には、上にはりついていたまっ赤なシールがはげ落ちそうになったゴムぐつの残骸のようなものをはき、それをひもで結んでいた。もう一方の足には、鯖の口の様にパックリと開き、その下から、格子模様がチラチラみえる古いサッカーシューズを履いていた。

カフヴェでの沈黙が長々と続き、私はとまどってしまった。誰でもいいから、

「悪魔が通った!」

とか、

「女の子が生まれたぞ!」

と言ってはくれまいかと待っていた。そうすれば、皆一斉に笑うのに......。

 

いまだに、誰も何も言わない。私は再び新しくやってきた青年の方に目を向けた。その青年の顔ではなく、幅広い額ばかりを見ていた。しわ1つなく、表情もない。

彼は上にコートを着ていなかった。ただ黒い縞模様のある白い上着を着ていた。汚れた白色ののびきったセーターを着こんでいた。セーターの胸元のあたりをフックのピンで留めていた。

私は一体どうなっているんだ、と驚き、興味をひかた。ぴくりとも動けなかった。

ちょうどこの時、カフヴェの戸が開いた。中へ男が一人入ってきた。老人達の方へまっすぐ歩いた。

「あんた方を呼んでいる。」とその男が言った。「まだ意識はあるが、明日の朝では、まず、もたないだろう。時々意識がなくなったりしている。アリーの旦那、あんたを呼んでるよ。マフムット・チャブシュ、あんたもだ。ハサン、あんたも来たらどうだい。君とも仲がよかった。」

座っていた3人は、立ち上がった。ストーブの端で座っていた若者に、チラとも目をくれず、しかし厳しくにらみつけるような様子で横を通り過ぎて店から出ていった。まるで、彼からだけ、目をそらしているかのようだった。若い青年は、目を大きく見開き、出ていく人達を追いすがるかのよう見ていた。

カフヴェの主人は、新しくやってきたこの青年に、チャイの一杯も出していなかった。主人はほどなくして席から立ち上がった。私の前にあるチャイのグラスを片付けようとしたので、私は、

「そこのかわいそうな奴にも、俺からチャイを一杯やってくれ。」と言った。

主人は、ただまぶたを上下に動かすしぐさをし、驚いたように私をみた。私は、主人はチャイを彼に持っていくのだと思った。

主人が私の前を通り過ぎようとした時、若者が突然立ち上がり、主人の前につっ立った。カフヴェの主人が、全く気がつかないかのようにその子の横をぐるっと回って遠ざかると、「父さんのことなんだろう?」と言った。「死ぬとこなんだ、そうだろう?」

カフヴェの主人は黙っていた。悪意があり、最悪な、つらい沈黙であった。それから、まるで氷がとけるように、沈黙がとけた。しかし、答えはやはり私にとっては要領を得ず、若者にとっても、つらいものだった。

「お前の父親なんかじゃない、彼は。」

若者は一言も言わなかった。何かを決心したのかのように、さっと歩き始めた。しかし、戸をどういう訳か開けない。

カフヴェの主人は、

「いいか、家へ行こうなんて言うんじゃないぞ。入口で、おばの息子が待っている。おまえを殺すぞ!」

若者は一瞬考えた。心に決めた決心は全て飛んでいってしまった。顔には力の抜けた様子が現れた。彼を店の中へ押し戻す風に逆らうように、出ていった。

しばらく何も尋ねられなかった。主人の背中は私に向けられていた。音をたてて何かを洗っていた。顔を私の方へ向けてはくれまいかと待っていた。しかし、どういう訳か彼はその仕事をいつまでも終えない。やっとふりむいた。

私は、

「これは一体全体どういうことなんだい?」と言った。

彼は腰につけたエプロンをはずそうとしながら返事を探すように考え込んでいる。

戸が開いた。一人の老人と一緒に、少し前に老人達を呼びに来た男が入ってきた。まだ中に入りきらないうちに、

「死んだよ。」と言った。「奴は帰ったかい?」

カフヴェの主人は、両手をエプロンのうしろにあるひもにあてたまま凍りついたかのように立ちすくんだ。そのひもをほどくかわりに、再び結んだ。私のテーブルの方に来た。あたかも私に説明する必要があるかのように。

「御者のキャーミル親父が死んだ。さっきまでいた犬畜生は、彼の息子だった。妹を悪い道へ引きずり込んだって、親父が彼を勘当したんだ。」と言った。

そして男たちの方へ向いて言った。

「恥知らずめ。後悔からではなく、遺産をもらおうと思って、奴は来たんだ。」老人らの一人が、この言葉には賛成できないといった顔つきで、

「後悔したって、彼は許されることはない。」と言った。

私は唇の先に出かかったある疑問をどのように尋ずねたのか、またなぜ尋ねたのか自分でもわからない。こんな影響を与えるということなど全く思いもせず、愚かにも私は尋ねた。

「妹はどうなったんだい?」

奇妙なことになった。彼らはお互いに顔を合わせないで、お互いの様子を伺うかのごとく振る舞った。声さえも出なかった。さっきまでの静寂とは、また違ったものに感じられた。

さらに、目で語るというのでもなく、むしろその沈黙において、そしてこの沈黙の静寂の中で、

「そんなことを、どうして尋ねたんだ?」

「何の必要があるんだ?」

「他に聞くべきことはなかったのか?」

「何て知りたがり屋なんだ、おまえは!」

と、みんなが言っているように感じられた。

誰も答えなかった。私は代金をテーブルの上においた。カフヴェの主人を見た。彼は考えこんでいた。顔色がひどく悪かった。いまだに、エプロンのひもをほどこうと手を動かしていた。私は戸を開け、外へ出て、そこから立ち去った。妹がどうなったのかはわからなかった。しかし、私にわかったのは、カフヴェの主人が彼女を汚れた暮らしから救い出したのだろう、というようなことだったのだろうか?