圧力鍋工場

 

アズィズ・ネスィン

(訳)吉澤広美


国内産業の保護は、我々国民みんなの義務である。

圧力鍋――トルコでいう、いわゆる笛つき鍋――工場がマスコミへこのような呼びかけをしたとき、私はとても嬉しく思った。たくさんの、我々新聞記者がそこにいた。工場の人々はやってくる人々を門のところで出迎えていた。経営者はにこやかな顔の男だった。座っている席から立ち上がり、サロンの入口で新聞記者たちと握手して、みなの腕をとり、ゆったりしたひじ掛け椅子に座らせた。

トルコにおいて国内産業が圧力鍋をつくるほど進歩したことを私はとても嬉しく思っていた。経営者は我々みんなに、それぞれに煙草をさし出したのち、ベルを押した。中に入ってきた、きれいな身なりをした男に、

「殿方達のお世話をしろ、何をお望みなのか........。」と、言った。

そのあと我々のほうに振り向いて、

「とてもすばらしい、おいしいイチゴのジュースがありますよ。」と、言った。

30人ほど記者がいた。あるものにはお茶、コーヒー、あるものにはイチゴジュースが来た。まず天気のことから話した。それから国内の映画産業についての話になった。それから我が国の漁業をいかに発展させるべきか、という話題にとんだ。話の間にはいくつかのみだらな小話が披露され、互いに笑いあった。我々の中にとても冗談好きで、気のきいた人達がいたので、サロンはあたかも即興劇場のようになった。痔のポリープのことで苦しんでいるという記者には、工場の技師が薬をすすめた。経営者は、丁寧な態度で我々みんなを昼食に招待した。

長テーブルの上には羊の睾丸から始まって、魚の白子まで、鳥のミルクからラクダのミルクまで、狩りで捕った野生の肉からラクダの肉まで何でもあった。

食事は笑いと冗談の言い合いで過ぎていった。それは、もう少しで、友人の一人が、ニワトリのもも肉を口にくわえて笑ったとき、窒息しそうになるほどだった。

食事のあとコーヒーを飲み、たばこを一服した。新聞の経済記者の大部分は、ほかの仕事があったので、

「まったくもう、新聞記者ってのは.......。」

と、経営者におわびをこうて工場を離れて行った。

我々は何でも知っていたので、音楽から原子力爆弾まで、演劇からジェット飛行機まで、あらゆる話題でえらそうに話した。17時になっていた。経営者は、

「ビュッフェへどうぞ」、と言った。

ビュッフェは申し分なかった。昼に食べた食事がまだ消化していないことを我々みんなは残念に思った。食欲を起こさせるために一生懸命お酒を飲んだ。冷たい前菜とウォッカ、新鮮な果物とワイン、砂糖漬けのボンボンとリキュール、干果物とラク、いろいろなチーズとビール、そして前菜はなくてもウィスキー、ジンのような外国産の酒を飲んだ。

友人の一部はさらに帰って行った。わたしは自分なりに考えて、つまり私は国内産業をとても重要だと思っていたので、トルコの圧力鍋工場についていつ話がでるのだろうかと思って待っていた。

20時に近くなると私を含めて 3人だけが残っていた。ひとりはスポーツ記者、ほかの一人はある新聞でクロスワードパズルを作っている友人、一人はわたしで、笑い話の作家だった。

経営者は、「食事も食べさせたし、お酒も飲ませた。それでさらに何を期待してるんだ、こいつらは.......」というように我々の顔を見るので、スポーツ記者に私はそっと尋ねた。

「どうなるかな?」

「経営者が私を車で送ってくれることになっていてね、それを待っているんだ。」

もう一人はというと経営者の古い友人らしい。言うべき言葉も尽きてしまった.......。しりごみしつつ、

「工場について少しお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

と、経営者に尋ねた。経営者は少し当惑し、鉛筆を歯でがりがりかみながら、

「はぁ、......工場ですか? ........ご存じのとおりこの工場は、笛....、つまり....、笛つき鍋工場です。われわれの工場では一日に27個の圧力鍋が作られます。私が赴任して来た時、1日の生産高は鍋5個でした。近い将来にこの量を日に40個に上げることができるだろうと期待しています。ご存じのとおり、政府はあらゆる国民を家持ちにするのと同様に、またあらゆる国民を家財道具所持者にするという計画を打ち出しました。ですから我々は工場の生産高を増加させる予定でおります。しかし、我々はいくつかの困難と直面しています。この問題点についてはどうか新聞には書かないでください。個人的なこととしてあなたにお話ししましょう。........圧力鍋工場のために必要な材料、つまり、新品の鍋、鍋のふた、ねじ、笛などの部品はすべてアメリカから来ます。しかし我々はここで組み立て、圧力鍋を作ります。つまりトルコ人労働者の手の汗でできるのです。表面に<国産品>と金属のラベルをはります。このラベルもアメリカから来ます。工場はトルコとアメリカの資本が共同で設立したものです。資金は我々から、知恵はアメリカからなのです!

しかし最近部品が届かないので圧力鍋生産に苦労しております。我々の圧力鍋は、ヨーロッパの、そしてアメリカの圧力鍋よりあらゆる観点で上を行っています。まず、我々の笛の音はとてもやさしいのです。たとえばあなたのお持ちの圧力鍋にインゲンマメを入れて煮たとしますでしょ?笛はとても甘く心地よく鳴ります。ラジオでサズの一団が演奏しているかと思うくらいにね。しかし、アメリカやヨーロッパの圧力鍋は、突然、高い音で鳴るのです。このためいったい何人の妊婦が驚きのあまり子供を流産したことでしょう。それから我々の笛はもっと長い時間鳴ります。つまりあらゆる観点から外国の製品を上回っているのです。ただ私が言ったように、材料が手に入らないのです。ありがたいことにトルコでは笛はたくさんあります、しかし鍋がありません。だから今我々はこれに対してある方策を思いつきました。笛だけを作って市場に出しています。お望みの人は鍋を自分で買い、料理を作る。たまに台所に行って、煮えたかどうか見て、料理ができたら笛をならす、笛で料理ができたと知らせるのです。この方法で笛つき鍋の持ち主になります。

そのうえこれにはほかの効用もあります。お望みの方は笛の代わりに、ラッパ、ヴァイオリン、大太鼓を使います。そのときはヴァイオリンつき鍋、大太鼓つき鍋になりますが、このむすびつきはただ我が国トルコにだけのオリジナルです。大太鼓つき鍋だったら、家や街で、料理ができたことをわからない人はいません......。」

経営者に、彼が教えてくれた情報についてお礼を言って工場を離れた。翌日新聞で、我々が訪れた工場について、宴会にいた記者達は以下のような記事を書いた。

《進歩するトルコの産業!》

《あらゆる観点からヨーロッパの製品を上回る国産圧力鍋!》

《圧力鍋の年間生産量2500万個!》

........そしてほかにもどんな記事がでたことやら.......。