翻 訳 者

 

オナット・クトゥラル

(訳)林 佳世子


自分のこの特徴に最初に気がついたのは、まだ子供の頃だった。中庭に面した家の3階の窓の前に座り、奇妙な出来事を眺めていた。中庭にはちょうど花から実になろうとする時期の野あんずの木があった。実をスズメから守るため、枝には蜘蛛の巣のような細い糸で編んだ網がかけられていた。しかしそれでも、枝にはたくさんのスズメが止まっていた。一群のスズメが糸や枝にぶつかりながら舞い上がる。中庭を囲む高い壁から穴のようにのぞく四角い空をめがけ飛び立つ。四角い穴のまわりでしばらくはばたいた後、また木に止まる。まさにその時、私のすぐ傍で、「パーン」と鉄砲が炸裂する。木に止まっていた一羽のスズメが、死んで地面に落ちていく。木の脇には、手に陶器の皿をもって、商業裁判所の老用務員が立っている。地面に落ちたスズメを拾い、きれいに皿にのせていく。皿は死んだスズメでいっぱいだった。私の対面では、使っていない馬小屋の暗い戸の前で、手をポケットにつっこんで立っている弟が、興味深そうに用務員を観察していた。

空は午後の礼拝頃の日差しで明るく、中庭は日陰となっていた。小さな鳥たちの死にはちょうど具合のいい時間である。

私は、スズメと、用務員と、私の傍で椅子に逆に座り、鉄砲の前後ふたつの照準から慎重に狙いをつけている商業裁判所判事を、一定間隔で順々に見ていた。彼はいつも家に出入りしている父の知り合いだった。判事は銃身をちょっと動かし、しばらくすると目を細め、引き金をひいた。「パン!」また一羽のスズメが落ちる。用務員は、死んだスズメを、まるで実って落ちた果実のように皿に盛っていた。

母は、コーヒー碗を集めていた。ひっきりなしに動き回っていた。これから旅に出るかのようだった。しかし本当に出かけるのは父の方だった。日が暮れる前に農場まで父を連れていかなくてはならない馬は、門のところで落ち着かずいなないていた。父は客が帰るのを待っていた。姉だけが感情を隠せずにいた。あの時14歳だった。爪を噛みながら、突然叫んだ。「撃つんだったら、蛇を撃ってよ!どうしてスズメを撃つの?」判事は、一瞬眼鏡を額まで上げた。姉の方を見て、「この悪い連中は明日までにひとつ残さず実を食べてしまうよ、お嬢ちゃん」と言った。そして、スズメを鉄砲で撃ち続けた。この奇妙にもつれた結び目をほどいてもらおうと、私は父の方を見た。父は窓から弟に声をかけた。「おい、馬小屋から腹帯をとってきておくれ。」弟は、呻くように返事をした。「僕、蛇が怖いんだ。もってこれない。」母は、「父さんのいうことがわからないの?」と弟に言う。「父さんは出かけるのよ。」そして判事の方に向いて、「お疲れになったでしょう.....。」と言った。「とんでもない」と判事は答える。「一度、筆を折ったのだから.....。」また狙いをつけた。「パン!」また一羽のスズメが落ちる。私は奇妙な苛立ちを感じながら彼らの会話を聞いていた。ここにいる人々は、みんな同じ言葉を話しているのに、お互いの言うことを全然理解していない。まるで、部屋に、日本人とイギリス人とハンガリー人とスペイン人がひとりずついるかのようだった。誰もほかの人の言葉を理解していない。私がなんとかかしなくてならなかった。だって、スズメはどんどん死んでいく。窓に寄りかかっていたので痺れてしまった腕を振りながら、部屋の真ん中に向かって歩いた。自分でもびっくりするくらい大きな声で、僕は話し始めた。

「つまり、姉さんが言うには、スズメは壁にある巣に隠れている蛇が怖いので木に止まっているんだ。スズメを撃つかわりに、あの蛇を撃ったらいい。スズメだって助かるし、それに木だって..........。父さんは、お客に帰ってくれといえないので、出かけられないでいる。馬の腹帯をもって来させようとしたのは、だからだ。たぶん、それでお客もわかるだろうと思って..........。弟は、腹帯を蛇を混同している。それはそうさ。だってこの前父さんが、暗がりで腹帯だと思って蛇をつかんだ人の話をしたからさ。そんな話をしたことは、今は忘れていたのだろうけど..........。母さんは、お客が疲れてなんかいないことは重々知っている。あれを言ったのは、そろそろお帰りになったら、という意味だ..........。判事のおじさんはというと、スズメに下した死刑判決を撤回しない、と言おうとしている..........。用務員のおじさんは何にもいわない。だって恐れているから..........。」

ホッとして黙った。みんなが何を言いたかったのかを私は言った。しかし、部屋にいた人たちの顔を見たとき、突然、恐くなった。わかったことは、大失敗をしたということだった。父が、この場を取り繕うために言った数々の説得の言葉にも関わらず、判事は暇乞いをし、帰っていった。

あのとき、自分のしたことが単なる「翻訳」であって、誰も怒らせるつもりはなかったんだということを、どうしても説明できなかった。なぜなら実際のところ、何をしたのか、自分でもよくはわかってはいなかったのだ。自分の特徴を理解し、それに自分で名前をつけるようになるまでには、何年も時間が必要だった。

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翻訳業というのは、よく知られた職業である。もちろん簡単な仕事ではない。しかし、結局のところ、そこでの仕事は、ある言語で書かれたり話されたりしたものを、別の言語に移しかえることである。しかし私のいう「翻訳」は、これとは全く異質のものである。私のは、同じ言語を話す人たちの言っていることを、同じ言語で「翻訳」することである。家庭で大人と子供が、学校で教師と生徒が、街で村人と都会の人が、国家において支配者と被支配者が、互いが理解しあうためには、誰かが出て、一種の「通訳」をすることが必要なように、私には思われた。そして、他のことでもそうなのだが、この件に関しても何故か自分に責任があるように思い、さらには、しばしばこの責任感のせいで押しつぶされそうになっていた。それでも別の誰かがやってはくれないので、この任務を遂行せざるを得なかった。くじけることない忠実さで、自分の仕事に邁進した。

「翻訳」という私の仕事は、時には幸せな結果と生むものだった。たとえば、ベヤズィット図書館の中庭で、愛について語りたいのに何故だか科学の方程式について説明している女の子の言葉を「トルコ語」に翻訳した時のことだ。女の子は、喜びに満ち足りた目で私を見ていた。あるいは、哲学書がちんぷんかんぷんの友達に、始めっから、やはり「トルコ語」で、プラトンの言っていることを説明した。今度は理解して、好きな哲学の分野で進歩を見せた。しかし、容易に想像できるように、私のせいで、信じられないような混乱が生じたり、誰かを激怒させたりすることも時にはあった。

私のこの職業は、人間の二面性に起因するのだろうか、と思うこともしばしばであった。ある意味では、これは当をえている。しかし、すべてがこれで説明がつくわけではない。もちろん、口で言っていることと正反対のことを考える人間の顔から仮面をひきはがすこと、これも一種の「翻訳」である。しかし、二人の異なる人間が同じ言葉を、たとえば、「自由」と「机」のような、ひとつは抽象的、ひとつは具体的な言葉を、まったく別な風に理解していることだって、しばしば見てきた。こんな場合には、人間の「二面性」はまったく問題にならない。しかし、ここでもやはり「翻訳」が必要だった。

私を一番驚かせたのは、ある日二人の人間の言葉を同じ言葉で互いに通訳している時、私の使っていた言葉で、新しい、「第三の言語」ができ上がったのを体験したときだった。なぜなら、結局のところ、ふたつの「立場」の間に立っていた私も、ひとつの「言語」で語っていたからだ。この言語は、他の二つとは違っていた。二人の人間、ふたつの社会、あるいは大地と人間の間に新たに生みだされた新しい言語、とでもいうのだろうか。 

今時々思うのだが、文学と呼ばれるものは、このことなのだろうか。このテーマで何か文章を書こうと思い立ったのも、実はそのせいである。