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濱田尚人さん(1982年卒業

                                         
                                         ARAMCOEXHIBITIONにて、本人は左端

                                         
*1982年東京海上火災保険(株)入社。2007年7月より東京海上日動火災保険(株)サウジアラビア主席駐在員としてサウジアラビア・ジェッダ市に勤務。現在に至る。

アラビア語を学んで


 思い起こすと大学受験時にアラビア語を学ぼうと思い立ったきっかけは世界四大文明の内エジプトとメソポタミアの二大文明を創り出した中東地域の民族とその歴史・文化に対する強い興味でした。高校生時代外国語はどちらかというと苦手種目でしたが、歴史・文化を学ぶのであればまずその土地の言語を学ぶべしというある意味ではとても単純な思い込みで昭和52年4月アラビア語学科に入学しました。


 当時のアラビア語学科は1学年15名の定員。最初の前期で文法を完全マスターし、あとはひたすら現地誌記事・小説を購読するというスパルタ式の詰め込み教育もあれば、一つの言葉の成り立ちの解明にじっくりと何時間もかける学術的な講義もありで、当時の多彩な教授陣と指導法のおかげで様々な角度からアラビア語とともに中東の文化を学ぶことができたと思います。海外とのかかわりはこのような学習環境下で、「とにかく早く現地を見てきたら」という先生の一言がきっかけとなり1年生後期春休みの1ヶ月ほどの私費エジプト旅行から始まりました。そして4年在学中に奨学金を支給されて1年間エジプトに留学する機会に恵まれ、現地での生活を通して社会に出てからも海外で働きたいとの思いが強くなりました。


 外大を卒業後社会に出て早24年経ちました。海外勤務が通算で14年間と会社生活の半分以上を海外で過ごすこととなり(内サウジアラビアは2回の勤務通算で10年間)、海外で働きたいという本人の希望がかなえられたのは本当に幸運でした。

 こうして海外生活が長くなり、異なった生活習慣の様々な人々の接点が増えるにつけ、言語は単に会話するための道具・手段というだけではなく、今日の日本においてもその時代の世相を反映させて流行語・新語が創出されることに代表されるようにその土地の社会・文化・慣習の変遷を反映させた歴史の宝庫であることに気づかされる毎日です。外大は本人のやる気次第で単なる会話術ではなく特定の言語の成立、背景を深く掘り下げることでその地域の社会・文化に対する理解を深めることを可能にする絶好の学習環境を提供してくれると思います。後輩諸氏におかれてはこの恵まれた環境を最大限有効活用され、是非世界に羽ばたいていってください。