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須崎彰子さん(1982年卒業


*シラキューズ大学大学院社会科学修士。大学在学中にチュニジアのチュニス大学に国費留学。メーカーにて、イラク変電所工事現地事務所勤務、海外法務担当。その後、JPOとしてUNDPイラク事務所勤務後、UNIDO本部勤務。退職後、レバノン・アメリカン大学にてMBA取得。その後、UNDPミャンマー事務所副所長を経て、国連開発計画本部アジア太平洋州局勤務。2006年より在ニューヨーク。

ミャンマーの村にて。青いシャツが筆者



先日アメリカのNGOとForeign Policy誌が”2007 Failed State s Index”を発表した。これはガバナンスを含む12の項目を、これらの主催者が独自に評価し点数をつけたものである。得点が高いほうが”Failed”とみなされ、ちなみに一位はスーダン、二位はイラク、三位はソマリアと続く。そのほか、アフガニスタン8位、北朝鮮13位、ミャンマー14位、最低評価はノルウエーで、日本は164位。現在勤務中の、UNDP国連開発計画ニューヨーク本部アジア太平洋州局の同僚と、このIndexが昼食中に話題となった。

 

これら上位国の中には紛争国および紛争後の国も多い。先の5月に出張したアフガニスタンでは援助国、援助機関とアフガニスタン政府の国づくりへの強い意思が感じられた。一方、治安面の不安は増大しており、首都カブールでもロケット弾を含む爆発音をしばしば聞いた。ドバイーカブール間を飛ぶ国連特別機は、アフガニスタン勤務あるいは出張の、さまざまな国籍の外交官、国連職員、援助団体職員たちが黙々と書類を読んだり、仮眠を取ったりと静かな機内。これはなぜかふと、私がUNDP国連開発計画イラク事務所に勤務していたころの、バクダットに向かう機内を思い出させた。

 

そのほかの上位国の中には報道される機会の少ない国で、さまざまな要因による慢性的貧困および、国民間での経済格差が広がりつつある国もある。2002年より4年間ミャンマーにUNDP事務所の副代表として勤務した。主なUNDPの援助は、現政権の関与を受けない形での村落レベルでの貧困対策プログラム。日本の国土の1.8倍の面積の国土に約5,000万人の人口のこの国の経済は農業に依存する。昔は”アジアの米びつ”と呼ばれた米の輸出国だったが、現在の輸出量は微々たるものである。豊富な雨量の国にもかかわらず、安全な飲み水の確保が難しい農村部も多い。汚染された飲み水から胃腸障害を起こし、医者が村落にいないため近隣の国営診療所に行こうとしても、そのバス代や有料の薬の代金が払えずに助かる命が救えないケースもある。現金収入の途絶える農閑期には一日の食事を3回から2回に減らす農民に数多く出会った。これら村人に5年後の自分の村の絵を描いてもらい、村人全員で生活改善を話し合ってもらうところからこのUNDPの貧困対策プログラムは始まる。ミャンマー勤務中は各地方の村々をしばしば訪問したが、その中でもミャンマー最貧と言われる山岳州を訪問して、村人がこのプログラムで建てた小学校や新たに導入した新しい換金作物の育ち具合を見、村人たちと話し合ったのは中でも一番印象に残っている。

 

外語大卒業後、民間企業勤務(イラク現地勤務含む)を経て国連に勤務して10余年。私の興味も中近東についての焦点から、より広く紛争国、紛争後国の貧困対策を含む開発に移行してきた。今後さまざまな国とかかわっていくことだろうが、それらの国であのミャンマーで見たような村人の笑顔がひとつでも増える、その手伝いができれば、というのが私の今の願いである。

 

NYに滞在中の方、国連に興味のある方はこちらまでご連絡ください。(英語でお願いします)