■所在地:神田一ツ橋通町1番地
※1873年時点では「第一大学區東京第四大區二小區一橋通町一番地」と表記)
■敷地面積:不明
■特徴:洋風木造平屋(左図:校舎図面)
■概要
1873年東京外國語學校は、開成学校に専門学科が設置されたことをきっかけに神田一橋通町(現在の学士会館)に建学されました。東京外国語学校は開成学校の語学生徒を中核とし、校舎もまた元開成学校の跡地を引き継ぎました。
校舎は開成学校跡を引継いだためか、当初より老朽化が進んでいました。建学の翌1874年の『日本帝国文部省 第二年報』によると、「本校ノ位置學校ニ適セス其建築タルヤ卑矯古朽屡改補修繕ヲ以テ保持セシモノナレハ風雨ノ際或ハ壌頽センコト測リガタシ」と修繕を繰り返した古い校舎の様子が言及され、同時に校舎の狭隘さも問題として指摘されていました。そのため1878年(明治11)には、教場の「頽敗」を理由に改修工事が行われました。
また校舎には寄宿舎も設置され、約2割程度の学生が入舎し(『日本帝国文部省 第四年報』、厳しい舎則のもと共同生活をしました。1874年に英語科が分離独立して設置された東京英語学校は、この寄宿舎(第四大區一小區表神保町二番地)の一部を修繕し本校とします。これに伴い翌75年には寄宿舎が新設され、寄宿生は新舎に移りました。80年には朝鮮語学科の増設に伴い、朝鮮語学生向けに宿舎の増設も決まっています。
しかし、1885年東京外國語學校は、東京商業学校(現一橋大学)に統廃合されてしまいます。合併後の校舎は外語の跡地が利用された為、外語関係者の廃校に対する不満は非常に高く、後に第6代校長
長屋順耳は「庇(ひさし)を貸して主家を取られた…」と当時を振り返りました。