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悪意のないマジョリティとは誰か

「悪意のないマジョリティとは誰か?」
『差別はたいてい悪意のない人がする』刊行記念イベント

というのが今日、2021年9月23日に開催されました。

出版されたのはこの本で:

差別はたいてい悪意のない人がする
https://www.amazon.co.jp/dp/4272331035/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_XPH25CJJY6SFW5MT7630

それは韓国語で出版されたこの本の翻訳書です:

선량한 차별주의자 - 김지혜 Kim Jihye/善良な差別主義者
https://www.amazon.co.jp/dp/B08YRPPBTS/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_Y38DAF1RX5D35P657VA3

私はまだ読んでないのですが(笑)
読みたいと思っています。

登壇したのは:

ハン・トンヒョン https://bit.ly/3EKlIRm
出口真紀子 https://bit.ly/2W8mje4
ケイン樹里安 https://bit.ly/3hXWNja
梁・永山聡子 https://bit.ly/3zAQKY7

2時間のトーク全体をまとめることにはなりませんが、
学べたポイントをいくつかシェアします。

・差別は心の問題ではない
・善人になればいいのではない
・差別は(社会的)構造の問題である
・(マジョリティーは)構造に乗るか乗らないかが問題
・気がついたら乗らない
・マジョリティー特権とは、目の前の自動ドアが自然とどんどん開いていくようなもの
・マイノリティーとは、気がつくと先に進めない扉が次から次へと出てくる
・マジョリティーは、ステレオタイプに当てはめて見られることが少ないが
・マイノリティーは、常にまずステレオタイプに当てはめて見られる
・マイクロアグレッションとは、カウンセリング心理学から出てきた概念
・韓国でも(教会の影響もあって)LGBTQ+の問題が一番大変

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つい1週間半前にあった「牧師による、LGBTQ+差別発言問題」
での炎上について考えてしまいました。

全員が全員ではないかも知れないけれど、
キリスト教国ではない日本でキリスト教徒になりたいと
思う人は、「善人になりたい。いい人になりたい」と
思っている人も多いと思うんです。
少なくとも「悪人」になろうとは思っていない。

キリスト教的には、「自分の罪を神の前に懺悔する」という
方向性は多くの場合正しいのに対し、

「他人の罪を断罪する」と言うのは、自分にとっての
新たな罪を冒すことになると思うのです。

それでも、人は弱いので、それが中々辞められない。

という観点が1つ。

それから、歴史的に以前の教会では「虐げて当然」だと
されていたものが、大分改善したのが、
奴隷差別、人種差別、女性差別など。
(人種差別、女性差別は実は根強く残っていることも知っています)

他方、「聖書にも罪って書いてあるし、罪って言って何が悪い?」
って開き直られるのが、同性間性交渉とか、セックスワークとか。

(セックスワークは、肯定否定真っ二つに分かれているのでまたの機会に)

同性間性交渉(ずらして同性愛と言われてしまうこともある)は、
社会 at large では「差別してはいけないかな?」という
空気がどんどん広がっていますが、

教会では、「だって聖書にダメだって書いてあるじゃん」という
安易な読み方をする人もまだいて、今回の炎上者もその口だったのでしょう。

そういう側の人たちは、

・悪意はないだろうし、
・罪人に教えてあげるのはいいことだと思っているだろうし
・むしろ善だと思っているだろう

それで、同性愛者(その他のセクマイ)が、
社会的に、構造的にものすごく抑圧されていて
精神を病んでしまう人も多いし
自死を企図する人、遂行する人までいることには
思いが至らない。

むしろ、「そんなに辛いんだったら、行いを改めればいいじゃん」
ぐらいに思っていらっしゃる。

あのー、同性愛という性的指向は、国連のWHOの疾病基準からも
外されて、もはや、治療すべき疾病ではないし、
むしろそれまで、また今でも行われている
コンバージョン・セラピーは、害がゴマンとあって
成功はしない。ということもご存知ないのでしょう。

まあ、自ら気がついていただけないと
溝は永遠に埋まらないですね。

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2021年9月23日 22:23に投稿されたエントリーのページです。

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