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ノンバイナリーの利用と消費

https://twitter.com/chang_minori
鈴木みのりさんの2月19日のツイートより。

身体、服装、振る舞い、制度、科学にまで及ぶ、異性愛・家族主義な再生産のシステムとしての二元(バイナリー)な「男/女」というジェンダー規範が支配的な社会で、人称「they/them」の訴えなど闘争し、現実に生きる人々を省略するフィガロ https://twitter.com/madameFIGARO_jp による「ノンバイナリー」のコピー化は、1/5

不勉強で悪質だと思います。「◯◯が纏う黒人」「女性というスタンダード」みたいに、他の現実に生きるマイノリティ属性を持つ人々を指す言葉を扱いますか?(女性であることは変わりないけど)〈ボーイッシュ〉や(男性的とされてきたアイテム:例えば肩の強調されたジャケットに)〈フェミニティ 2/5

を感じさせて〉と、シスジェンダーでバイナリーなジェンダー観や異性愛規範を疑いもせず「新しい何か」「着せ替え可能」な扱い。日本のファッション誌では「ジェンダーレス」含め、〈軽やかにジェンダーの壁を超越〉程度の認識でコピー化してきたけど不勉強にもほどがある。ノンバイナリーは広義の 3/5

トランスジェンダーというタームに含まれるし、男女二元論に自分を一致しないと思いながらも、身体や服装にこびりつくジェンダー規範と葛藤し、女性的・男性的なノンバイナリーという部分を引き受けたりしながら、実際に生きているわけで。高畑さん自身がもしかしたらそうなのかと考えもしたけど、4/5

ページ作りとしてあくまでノンバイナリーの知識や歴史を考慮していない、薄っぺらさ。トランスやノンバイナリー、ジェンダークィアな人々が現実にどういう偏見を向けられ、どう生き延びようと、名乗ったり隠したりしているのか? フィガロ
@madameFIGARO_jp
編集部の方々は再考してみてほしいです。5/5

トランスジェンダーの内、FTM、MTFでさえも、
究極的にはバイナリー(男女二分法)の枠内であり、
一極から、他極への移行を指向する。

(実際には、その指向に関わらず、
 中間的段階の人たち、
 「パスしない」人たちが多く
 いますが。)

それに対して、ノンバイナリーを自称する
SOGIの一部の人たちは、FでもMでもない
ところに、落ち着きどころを指向し、
それを安定化させるために日々戦ってきている。

それを、その外側に本来いる人たちが
ファッションとして真似して消費する。

そこに違和感が感じられると言う。

--

SOGIの様々な表象(とそれに類似した何か)が、
「外側の人間によって」安易に消費される
と言うことは、よくあることですけどね。

--

もう、大衆化しすぎていて、
もはや、独立した文化表象になっている
(男性同性愛に対しての)BLとか。

--

男性の異性装(女装)から
MTF TGの、ジェンダー自認に従った自身本来の装いまでは、

ウチから、ソトまで、これもグラデーションかも知れませんが
様々に「使われて」います。

MTF TGの、ジェンダー自認に従った自身本来の装いは
もちろん、最内部に位置するものだと思います。

男性同性愛者の、幾分カリカチュアライズされた
(常時のではなく)イベントや酒場などでの女装は、
上のものよりは、もうちょっと外側にあると思いますが、
まあ、同じSOGIなので、免罪されている感じでしょうか。

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それに対して、(多くは異性愛者の)
シスジェンダー男性による女装も
時に話題になります。

大型船に乗船している船乗りが赤道を越える際に
女装をする「赤道祭」も知られています。

また、犯罪的ですが、女性の裸が見たい一心で、
女装をして、女湯の着替え室に潜入する
シスジェンダー異性愛男性も後を断ちません。

バンドBRAHMANのRonziさんの女装も
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/27313
女性アイドルとの同一化を志向したものなのでしょう。

--

たくさん事例があるから、いいと言うことには
ならないとは思いますが、

ノンバイナリーと言う、まだ「聞いたこともない」人も
多そうな概念が、部外者による「利用」と「消費」に
すでに組み込まれてしまっていると言うことでしょうか。

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2021年2月20日 19:16に投稿されたエントリーのページです。

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