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「みんな同じでみんないい」のか?

先日、ブログにこう書きました。

「みんな違ってみんないい」 ではなく、 「みんな同じでみんないい」 っていうのが、特に右寄りの人、保守層の目指す 日本の根本的な原理なんじゃないかと思ったりします。

(それが、日本会議のようなカルトや
 親学のようなカルト道徳に裏打ちされている
 可能性もありますが。)

この原理に従うと、やっぱり、一部の人の例外を認める
「夫婦別姓」や、「同性婚」はそもそも議論の俎上に
載せられないってことなんじゃないかなあと思っています。

このネモトを揺るがさないと、議論は進まないんじゃないかと
思っています。

このラインで、
「単一民族神話」や、
「万世一系神話」が
繰り返し繰り返し、特に与党政治家の口から
出てきます。

単一民族って、あーた、一般的な知識としても、
それも、日本の主要な人口、
即ち、アイヌではない和人、
ウチナーンチュ(等の琉球諸集団)
ではないヤマトゥンチュも、

元々いた狩猟最終民の縄文人に、
数の上でかなり勝る農耕民族の渡来人がきて
混血してできた人間集団であることは
常識的でもあるし、ちょっと調べれば
わかります。

(参照: DNA研究で「縄文人と弥生人」が分かってきた
https://www.huffingtonpost.jp/foresight/jomon-man-dna_b_7601964.html )

渡来人の来る前の縄文人は、文化面と、形質面で、
中々下位区分をすることは難しいでしょうが、
それこそ記録にほとんど残っていないけれど、縄文人は、
どんな言語集団に分かれていたのかは、
想像することしかできません。
(ヤンフネンは、数百の言語に分かれていたと
 推測しています。)
(日本語の中にも、同じ意味を表わしていそうな
 語が2つ(あるいはそれ以上)あることが見て取れるという
 指摘もあります。それは多言語に起源が行き着く
 可能性を秘めています。)

純ジャパと俗に呼ばれることもある和人且つ
ヤマトゥンチュも、歴史に辿れる形で
混血民族です。

形質面では、縄文人と渡来人の特徴は異なるところがあって、
耳垢が湿っているか、乾いているか、
体毛が濃いか、薄いか、
背格好が低身長でずんぐりむっくりか、高身長で細身か、
二重瞼か、一重瞼か、
濃い顔立ちか、薄い顔立ちか、などなど、

多くの和人且つヤマトゥンチュも、
両方の特徴を、混ぜこぜに持っているでしょう。

最近、「純ジャパ・混ジャパ」などという
挑発的な用語を使って、炎上しちゃった案件が
ありましたが、その純ジャパってのは、
元々、わかっているだけで二つの集団が
混ざってできているものなのです。

我々が今知ることができる範囲を超えて、
もっと多くの集団が混ざっている可能性も
もちろんあります。'

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2020年2月10日 21:52に投稿されたエントリーのページです。

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