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随想

1. Ariana Grandeさんが、歌Seven Ringsを漢字にして、
七輪とタトゥーを入れたら、日本人に笑われて、
タトゥーも消して、それまで勉強していた日本語も
辞めたという話。

そもそも、日本語では、カタカナで音訳するだけで、
漢字では書かないのが通常。

むりやり漢字で書くなら、ringって輪じゃなくて、
環でしょう?と思う。

Arianaも、聞いた相手が悪かったし、
安易に答えたその人も悪かった。
としか言いようがない。


2. トランス女性っていう表現が、当事者と、
世間一般の間で噛み合っていないんだけど、
それは、当事者は、性自認が女性であるMTFは、
トランス女性だし、他の人も当事者を尊重して
そういうべきだと主張しているんだけれど、

世間一般は、「元々男として生まれたんでしょう?
だったら、トランス男性じゃん!」って言っているんですね。
一部マスコミも「そういう基準」のママで
記事を書いたりしている。

両者を公平に、平たく見るのなら、
それは「認識」の問題であり、両者で認識に
隔たりがあるということだけれども、

日本はとかく、「当事者集団の言い分を尊重する」
という点では、いろいろなところで立ち遅れています。
(これは、ある当事者1人の言い分を容れればいいという
 わけでもないので、実は難しい問題ではあります。)


3. マルコ2:1-12

マルコによる福音書(口語訳) - Wikisource http://bit.ly/2HZoWWc

レントの第2週の主日の福音書は、マルコ2:1-12だった。

イエスがカペナウムで、中風の人に「お前の罪は赦された」と言って
病を癒やす記事のところです。

説教者は、当時のユダヤ人の間では、「病には罪のせいでなる」
と信じられていて、病人は、そのような社会的な偏見にも
晒されていた。その社会的偏見と、病気の両方を
イエスは取り去ったのだという風に仰っていました。

我々SOGI人の場合、当事者は、その状態(SOGIであること)
が取り去られたほうがいいとは思っていない人が、
今の日本では大半だと思います。
(治りたいという人も一部いるとは思いますが。)
でも、社会的偏見は、取り去られたらいいなあと
思います。
耶蘇寺の中でも、「これは偏見ではない!聖書に基づいている!」
と主張して、差別してくる人たちが多くいます。
でも、差別すること自体、また自身ではなく、他人に対して
「変われ」ということ自体、おこがましいです。
まずは、自分のことを考えてください。

4. 〜ガ〜ガ述語
ラジオを聞いていて、述語に2つのガ格項が掛かる例を
聞き書きしました。

「高速道路が工事のため渋滞しているところがあります」

規範派には、ニ・ガに直したい人もいるかも知れません。
でも、自然に耳に入ってきて、自然に解釈できる文です。
ハ・ガで無いのは、テーマ・レーマの区分が無く、
全体がレーマで、また、ニよりもガが選ばれたのは、
場所格的な格関係よりも、無標のレーマ標識としての
ガが選ばれたということでしょう。
尾上先生の、B級主語という考え方を援用するならば、
1つ目のガは普通の主語で、2つ目の主語はB級主語でしょう。
あるいは、1つ目のガの述部は、「工事」以降全部で、
2つ目の述部は、「あります」と考えられるかも知れません。

5. (象は)鼻が長い

これもラジオで聞いた文です。

「ネパールとかカンボジアとか、漢字じゃない国からやってきた学生」

これは、「中国や日本は漢字だ」に対する
「ネパールとかカンボジアは漢字じゃない」

なんだろうけど、「象は鼻が長い」という
二重主語文の、2つ目の主語が「言われていない」文だと思ったのです。
(そもそも無いものに「省略」ということは慎重にしなければなりませんが。)
それを補うと、

「ネパールとかカンボジアとか、文字が漢字じゃない国からやってきた学生」

となります。

他方、「漢字じゃない」というコピュラの否定は、
 「漢字を使っていない」の「省略だ」という説もあろうかと思います。
となるとこれは、ウナギ文問題になりますね。


6. Rufus Wainwright

のコンサートに行ってきました。
https://udo.jp/concert/RufusWainwright

この人は、25歳で全世界的にカミングアウトして、
雑誌The Advocateの表紙を飾ったときから知っていて、
それからもう20年になるんですね。Time flies!

その間にMontrealのLe Cabaretでのライブにも行ったし、
NYCでのライブにも行った。

追っかけて行ったわけでなく、たまたま行った先で
ライブのことを知ったんですけどね。

昨日のライブの前半は、first albumからのものが多くて、
殆ど、僕の口からも歌詞が出てくるもの、きそうなもの
ばかりでした。

poperaと称されることもありますが、それは
operaの唱法とは違いますけれど、
でも、彼独特のもので、引き込まれます。
楽しい夜でした。

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2019年3月29日 16:01に投稿されたエントリーのページです。

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