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言語の無情

インターセックスとして生まれた人が、
すべて、男でも女でもない性自認を
持つことはないということだ。

ほとんどは、女性、あるいは、男性として
アイデンティティーを持ち、生活する。

でも、少数派として、どちらでもない性別、
あるいは、どちらでもある性別、
あるいは、揺らいでいる性別を
アイデンティティーとする人もいるようだ。

このことに関しては、生物学的に
女性、あるいは男性として生まれた人も
同じで、シスジェンダーとして、
女性と生まれて、女性としてのアイデンティティーを
持つ人もおり、
男性と生まれて、男性としてのアイデンティティーを
持つ人もいれば、

生物学的女性として生まれたけれども
男性としての性自認を持つ人もおり、
それは、FtMトランスジェンダーと認識される。
また、生物学的男性として生まれたけれども
女性としての性自認を持つ人もおり、
それは、MtFトランスジェンダーと認識される。

さらには、生物学的な性別と反対な性自認を持つわけではなく、
どちらでもない、あるいはどちらでもある
Xジェンダーを性自認として持つ人々が
最近表に出てくるようになった。

このイーミックな、あるいは社会構築主義的な
女性でも男性でもないXジェンダーは、
知識として受け入れることは
それほど難しいことではないであろう。

しかしながら、言語によっては、
「女性と男性しかいない」という
社会による構築を深く刻印しているものがある。

名詞に女性と男性の区別がある諸言語はまさに
それで、女性あるいは男性と「決めない」ことには
言語化することができない。

英語などは、名詞の文法性の区別が無くなって
久しいが、しかし、単数の代名詞は
sheとheを区別しなければならない。

ここを「いじる」ことができれば問題は
少ないのであるが、やっぱり言語の根本を
いじるというのはそうたやすいことでは無いので、

例えば、Facebookでは、登録者に
女性か男性かを選択することを迫る。

そうしないと、代名詞sheやheで受けることが
できないからというこの些細な事情によって
進歩的でありそうなFacebookを
旧態依然としたものにせざるを得ないという
ことになっている。

political correctnessの議論の中では、
半ば冗談的に、sheとheを包括する
単一の代名詞を作るという
議論もあったようではあるが、
実を結んではいない。

ひょんなことで、言語はがらっと変わることも
あるが、人為的に変えようとしても
なかなか変わらないというのも
やっぱり言語である。

歯がゆいですけどね。
それが言語。

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2013年3月 9日 00:53に投稿されたエントリーのページです。

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