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同性愛者・性的少数者嫌悪について

宗教その他で、同性愛が嫌悪される理由。

まあ、「子をなさない」なんていう
「理由」は後付けですね。

最大の原因は、少数派だということ。

左利きが忌避されて、今生きてる
元々左利きの人だって、
利き腕を矯正された、あるいはされかけた
人がまだまだ生きているはずである。

少数者というのは、
「偏狭頑迷な」社会にとっては負担以外の何者でもない。

みんな多数派で、みんなおんなじじゃないといけない。

で、少数者は、「意識」の中心には無いので、
「よく理解されない。」

多数派のシスジェンダー・ヘテロセクシュアルとは違って
生物学的性と、性自認と、社会的ジェンダーと、性的指向が
「それぞれ別々に」「多数派規範」とは違うことがある
ということなんて全然わかられていない。

宗教にも依るとは思うけど、
「たましいの救済」を掲げてる宗教は多いじゃないですか。

だったら、
生物学的性と、性自認と、社会的ジェンダーと、性的指向が
「それぞれ別々に」「多数派規範」とは違った場合、

真っ先に「たましいはどこにあるのか?」を考える
べきじゃないですか。

でも、同性愛や、性的少数者をよく知らない
宗教家たちは、もの凄いシロート考えで、
「人は、体の性に従って、それに意識を合わせ、
 体の性に従った規範に従って行動すべきである」
と主張してしまうのです。

それって、たましいにムリさせることになりませんか?

例えば、体が(生物学的性)が男の場合、
男と性自認し、男ジェンダーで振る舞い(シスジェンダー)、
異性である、女性(生物学的所性が女で、女と性自認し、
ジェンダーも女である人)に欲情することが(ヘテロセクシュアル)
求められています。

それっておかしくありませんか?

たましいは以上のパラミターの内、
体よりは寧ろ、性自認や、性的指向の方に近くないですか?
そして、さきの言説は、それらを曲げることを要求していませんか?
それでは、たましいの救済をするどころか、
たましいを損なうことになりませんか?
(実際、性的少数者で、たましいとほど近い精神的なところで
 辛い思いをしている人は多いです。)

たましいの救済を掲げるのなら、
その辺りの、最新の科学的理解なども踏まえて
理解することから始めないといけないのではないですか?

閑話休題。

また、生物学的性が女でも男でもない、
あるいは半ば女で半ば男であるという
女と男の間のグラデーションのどこかにいる
インターセックスの人たちなんかは、
性自認、性的指向が考慮に入れられること無く
体の性(外形)まで、本人の希望が出て来る前の
幼い内に、女か男のどっちかに
人工的に近づけてしまうことがなされてきました。
なんと乱暴な!
それは、その子ども・人の何も尊重することに
ならないし、長じてから本人が辛い思いをするのは
火を見るより明らかです。
でも、世間の「常識」は、女か男のどっちかじゃないと
「かわいそう」だと思ってしまう。
それは、逆です!

同性愛者やその他の性的少数者を嫌悪し排除する人たち!
興味が無いのだから、学ぼうとは思わないだろうけど、
だったら、せめて、わからないことに発言することを
辞めていただけませんか?
よくわからないで発言している宗教者たちも
同様です。

最後に、ちょっと文化人類学的な事を言うと、
生物学的性も、性自認も、社会的ジェンダーも、性的指向も、
そのどれも「2分法」ではかたづかない、
連続性をもった連続体です。
(別な言葉で言うとグラデーションです。)

エティックな面ではまさに、連続体です。

それを「2分法」的に見せてしまうのは、
文化(含む言語)のイーミックな範疇化によります。

常識人には、2分法があまりにも当たり前なので、
そんなことを言われて(半分でも理解できると)
「そんな馬鹿な!」と思うかも知れません。

でもそれは、あなたが、2分法への傾きが
もの凄い強い「文化」の中に生み込まれ
その「文化」の中で育ったからです。

エティックな面が2分法では全くなく
連続体であるという事実の前では、
「現代的には」その「2分法」を
脱学習することが求められています。

(2分法とて、世界の諸文化にユニバーサルな
 ものではありません。女と男以外にも
 ジェンダーを範疇化している文化は
 枚挙にいとまがありません。)

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2012年8月 6日 00:51に投稿されたエントリーのページです。

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