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セクマイ小エッセイ2題

「LGBT」考

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの
頭文字を取って、LGBTと書いたりする。
時には、インターセックスを増やして、LGBTIとしたり、
Xジェンダーを増やして、LGBTXIとしたり、
クイアーを増やしてLGBTXIQとしたり。

それでも、どうしても取りこぼすものが出て来るから、
セクシュアルマイノリティー、あるいはセクマイって
言った方が妥当じゃないかという意見がある。

でも、僕は、それに100%賛成することはしない。

例えてみよう。

これは、虹の色をどう表現するのかに似ている。

セクマイと言うには、虹の色を「虹色」と表現するのに
似ている。

全体のことを漏らさず言っているのであるが、
じゃあ、一体、部分部分にどんなものがあるのかは
それだけではわからない。

一方、LGBTとか、LGBTXIQとか言うのは、
虹の色を、赤橙黄緑青紺紫と表現するのに似ている。

日本的文脈で代表的な7色を挙げたものである。
しかし、虹のスペクトルの中には、
上記の典型的7色からずれる色も勿論存在する。
その上で、「典型」で、全体を表わそうとしている。

「虹色」と言うのにも、「赤橙黄緑青紺紫」と言うのにも
それぞれ長所・短所があるように、
セクマイと言うのにも、LGBTと言うのにも
それぞれ長所・短所がある。

どっちかが絶対的に他方より優れているということはない。

表わしきれないものを承知した上で、
どちらを使うか選べばいいのである。

「構造的抑圧」考

1880年に、イタリアのミラノで行われた
ミラノ会議。

これは、さほど公的な会議ではなかったのだが。

しかし、諸国から、聾教育に携わる人たちが集い、
聾児教育には、手話を用いないで、
口話・読唇を主に用いる口話法の方がいいと決議され、
その口話主義は、以後100年以上も
世界中の聾教育を席巻し、初等聾教育に手話が復権したのは
国によってバラツキがあるが、つい最近のことである。

聾児にとって、母語として獲得しうる手話を使わない
口話法が、そんなに長い間信じられ続けたのも驚きだが、
その害毒はまだまだたくさん残っている。

聾者達は、その害悪を一身に背負ってきたが
解毒は、まだ端緒に就いたばかりであり、
手話法教育によって世界の聾児の学力が
聴児の学力と肩を並べるのには
まだまだ時間が掛かりそうである。

詰まり、「構造的抑圧」の解毒には時間が掛かるのである。

他方、もっと長く、何百年も続いて来た構造的抑圧が
同性愛者等に対する抑圧である。

何百年とは書いたが、全世界のどの文化でも
「最初から」同様だったということではないらしい。

いくつかの宗教が、ある時期、ある地域の道徳観を
取り込んでしまって、それが世界中に広がってしまった。

それによって、シスジェンダーのヘテロセクシュアルである
以外の生き方が、全否定されてしまった。

この構造的抑圧の解毒は、西欧やカナダから、
少しずつ始まっている。

でも、世界では、まだまだ少数派であるし、
抑圧推進派の声も、まだまだ大きい。

国に依っては、「法的抑圧」がほとんど解かれた国も
あるが、それが全世界に拡がるには、
まだまだ障碍がたくさんある。

これからどうなって行くのであろうか。

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2012年8月 2日 22:22に投稿されたエントリーのページです。

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