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エティックに連続的なものをイーミックに不連続なものに区分する営み

生(き)のままでは切れ目がハッキリしない
我々を取り巻くエティックな(etic)環境を、

言語記号(≒単語)で範疇化(カテゴライズ)し
命名することで、イーミック(emic)には
不連続に「区切れた」諸範疇からなる
「主体的な」環境にしていくことを、
文化の中で、特に言語が担っている。

前エントリーでは、女と男というものも
エティックにはそのような連続体をなすもので
あり、それに「女」、「男」という範疇化および
命名をすることによって、イーミックには
不連続なものにしているということを書いた。

これは、大多数の一般人の「常識的な」感覚とは
ずれることかも知れない。

しかしながら、世の中には、女でも男でも
ない人々が存在していて、この文化圏が
この世に女と男しかないことにしていることから
様々な不便を感じていることも事実なのである。

そんな「間」の人であっても、
女として、あるいは男としてパスする(pass)ことが
できれば、そのように振る舞う場合もある。

でも女としても男としてもどちらにもパスする
ことができない人々は、トイレを使うことにも
不自由を覚え、大きな個室である多目的トイレを
見つけてやっと安堵して用を足すことができるのである。

そんな人でも、女湯、男湯に分かれている公衆浴場は
さらにハードルが高く、今後一生、
あるいはパスできるように性別適合手術が完了するまでは
入浴することを断念している人たちもいる。

なにも、日本語が(そして多くの他の言語が)「女」、
「男」という範疇を持っていることに対応して、
典型的な「女」、典型的な「男」がいないとまで
主張しているのではない。

典型的な「女」、典型的な「男」は、
おそらくどの文化圏でも多数派を占めている。

ただその間の切れ目が、「常識」が思っているほど
断絶しているものではないということが
言いたいのである。

しかしながら、「女」、「男」というイーミックな
範疇化があることによって、その言語圏、文化圏に
所属する成員は、エティックにも不連続な分類が
あるかのような幻想を抱かせられる。

閑話休題。

年齢に関する範疇化を話題にしたら
もっとわかり易いであろうか。

典型的な大人もいるし、典型的な子供もいる。
それは、言語がイーミックに区分していることに
合致している。

しかしながら、ひとたびその境界線が
どこにあるかを探り出すと、
だれもが合意に達する境界線は
存在しない。

大人になって久しい人たちは
もう忘却しているかも知れないが、
子供から大人になりかけのときに、
ある人からは、「もう大人なんだから
◯◯しなさい」と言われ、また
他の人からは、「まだ子供なんだから云々」
と言われ、その理不尽さに歯がゆい思いを
したことがあるだろう。

その境目を第二次性徴に求めることも
できるだろう。
でもそれはゆったりしたプロセスであり、
「◯◯さんは何年何月何日から大人に
なりました」と言えるようなものではない。
(初潮はその役目をすることがあるかも知れないが
 精通は基本的にその役目をすることができない。<笑>)

そのゆったりしたプロセスが完了した後に、
周りの人がふと「あ、◯◯ちゃん、もう大人だね」
と宣言するかも知れない。

あるいは、個人個人でバラバラにせずに
年齢で切ることもできるだろう。

しかしながら、年齢を数で数えるということ自体が
非常に文化的な営みであることを
再確認されたい。

また、年齢で区切ることは、既に完全に恣意的な区切りを
作ることになり、身体・精神の発育状況と
完全に符合することはありえない。

あるいは、ある文化では、成人になるための
リチュアルがあるかも知れない。
(日本の成人式は、最早そのような役目を
 果たしているとは言えないが。)
その前後では、社会の中での扱いが
がらっと変わってしまうのである。

あるいは、ある国では、性交承諾年齢(age
of consent)が定められているかも知れない。
それも便宜上区分しないわけには行かないので
作った恣意的な区切りである。
(日本には、性交承諾年齢そのものの法律は無いが
 関連諸法令・条例の運用によって18歳が
 その区切りになってきている。)

「大人になる」ということに関してではないが、
マダガスカルの男の子は、割礼を受けることによって
一人前の「人」として扱われるようになる。
その前と後では、扱いが全然違う。
割礼前に死んだ男の子の遺体はゴミとして捨てられる。
それに対して、割礼後に死んだ男の子は、
先祖崇拝の対象となり、遺骨も、大人の遺骨同様に
大事に扱われる。

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2011年6月14日 20:53に投稿されたエントリーのページです。

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