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なぜアサバスカ語を辞めたか?

日本の言語学「界」においては、
学生、院生の内に、専攻の
フィールド言語を決めて、
それをずうっと変えないのが
いいとする考え方が
主流派を占めています。

その中にあって、なぜ
アサバスカ語をフィールドの言語と
することを辞めたか。

これには、複雑に絡んだ理由が
あります。

いろいろな状況が、
僕の精神的なあり方に
マイナスに働くことばかりで、
最後の何年かは、現地近くの
「宿営地」に3ヶ月にいても、
車で約1時間離れた
村まで行くのは、1、2回位にまで
減ってしまいました。

いろいろなマイナス要因を
全て書くことはできませんが、
少し書きます。

1つは、現地人による、
過度な期待でした。

ある村人(とは言っても、
実際は、隣村の、隣接言語を
話す人)に、こう言われました。

「村人は、みんな、外の人が
毎年、避暑地に来るみたいにして
来て、ちょっと調査だけして
帰って行くのを快く思っていません。
村の娘と結婚して、村に住んで、
村の人になったら、許します。」

これには、日本での仕事や地位を
投げ打って、喜んで従う人も
いるでしょう。

でも、僕にはできませんでした。

2つ目は、あるアサバスカ語研究者、
自称「アサバスカ語学の権威」からの
執拗な妨害。

この人は、精神的な疾患を持っているかた
ではあったのですが。

僕が最初にアラスカに行った、
1988年の夏から、「お前のcredentialsは
何だ?」「それが無いのなら、
荷物をまとめて直ぐに日本に帰れ」
と、拳を見せながら言われました。

それに関しては、アラスカ先住民語研究所の
方の仲裁があり、翌朝謝ってきたのですが、
本人は、その後もずうっと僕がいることが
鬱陶しかったみたいです。

アラスカ先住民語研究所には、
http://www.uaf.edu/anlc/

「アーカイブ」というのがあります。

アーカイブというと、
厳重に保管されていて、
めんどくさい手続きを経ないと
利用できない感がありますが、
ここの「アーカイブ」は、
保管されている物は、出版されたものだけでなく、
フィールドノートのコピーなど
貴重な物がたくさんあり、
宝の山なのですが、
管理体制は、厳重とは言いがたいものです。
だれでも、簡単に入って、
資料を手にとることが
できるようになっています。

僕の資料も、毎年のフィールドノートの
コピーや、修士論文の、最終バージョンまでの
何段階かの途中のバージョンなど
貴重なものが納められておりました。

しかし、聞くところによると、
僕の資料の多くは、先の研究者が
借り出して、捨ててしまったとのこと。

そいつだけのために、
フィールドの言語を捨てることは
無いと言う人もいるかも知れません。

でも、これ以上続けても、
精神衛生上よくありませんし、
現に、3ヶ月の現地滞在中、
1、2回しか村に行けないような
精神状態では、もうこれ以上
続けられる状態ではなかったのです。

それで、断腸の思いでしたが、
1997年夏を最後に、

アラスカに行くことを継続することは
断念しました。

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2009年7月16日 16:06に投稿されたエントリーのページです。

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