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2014年5月 アーカイブ

2014年5月 4日

課外授業 オペラ『イオランタ』

5月27日(火)18:15 昭和女子大学人見記念講堂においてオペラ 『イオランタ』 の公演がある。
沼野ゼミ(3年)では課外授業としてこれを鑑賞する予定。

1891年にチャイコフスキーが作曲したオペラだ。
光の存在も知らずに育った盲目の王女イオランタに光と愛をもたらすという夢物語で、オペラとバレエの両方が楽しめるという。

チケットは一律1500円! オペラをこんな良心的な料金で提供してくれる 「NPO法人ヘラルドの会」 に感謝。
4年ゼミ生で参加したい人は連絡してください。

2014年5月 5日

平野共余子氏講演会

来る5月29日(木) 16:00-17:30 研究講義棟101教室において映画史研究家の平野共余子さんによる講演会をおこなう。

講演会 「旧ユーゴ映画の現在」 (一般公開) 

平野共余子(きょうこ)さんは、早稲田大学卒業後ベオグラード大学に留学、東京大学大学院を経てニューヨーク大学大学院映画研究科でPhD.取得した。長らくニューヨーク市ジャパン・ソサエティー映画部門ディレクターを務め、アメリカでの日本映画紹介に尽力した。日本でもテンプル大学ジャパンキャンパスや明治学院大学大学院などで教鞭を執り日本とアメリカを行き来している。
著書 『天皇と接吻―アメリカ占領下の日本映画検閲』(草思社、1998年)で川喜多賞、日本映画ペンクラブ賞を受賞。
他に 『マンハッタンのKUROSAWA―英語字幕版はありますか?』(清流出版、2006年)もある。

上のポスターに使わせていただいた写真は、ミルチョ・マンチェフスキ監督の作品。平野さんご自身マンチェフスキ監督と親しくしているそうだ。
講演では映画上映もほんの少し交えながら、旧ユーゴ地域の映画の現在について熱く語っていただく。

なおこの講演はリレー講義 「表象文化とグローバリゼーション」 で私が担当する 3回の授業の3回目にあたる。以下のとおり。

1回目(5月15日)現代ロシア・アートに見るグローバリゼーションについての授業。
2回目(5月22日)ロシア文化における日本のキモノの表象についての授業。
3回目(5月29日)講演「旧ユーゴ映画の現在」
事前に平野さんのこの記事を読んで予習してきてもらうとありがたい。
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http://www.shinjuku-shobo.co.jp/column/data/hirano/010.html


2014年5月15日

「超個人的ガイド to ロシア(文責:工藤なお)」(7)

「マヤコフスキー生地巡礼(前篇)」

こんにちは、工藤です。まず、今回の「超個人的ガイド」は、文字通り「超個人的」なテーマにさせていただくことをお許しいただきたいと思います。今回はロシアを飛び出しグルジアに舞台を移します。

4月20日から1週間程度、カフカス地方に位置するグルジア・アルメニア両国を訪れました。料理は美味しく、気候も天国のようで、人となりも暖かく、非常に過ごしやすい国々でした。英語に加えロシア語がある程度通じるので、ロシア語を勉強している方にはよりハードルが低い旅行地だと思います(ただしアルメニアはグルジアよりもロシア語が通じにくい印象)。もちろん現地語(グルジア語・アルメニア語)を習得するのに越したことはありませんが、どちらもそれなりに独特な言語ですので、無理は言いません。意欲のある方はぜひチャレンジするといいと思います。

さて、今回の旅のハイライトは、ロシア詩人ウラジーミル・マヤコフスキーの生地を訪問する、というところにありました。今回は写真を交えてマヤコフスキー生地巡礼の旅の様子をお伝えしようかと思います。

未来派詩人ウラジーミル・マヤコフスキーは、現在のグルジア、バグダティ村で生まれました。彼の自伝『わたし自身』には次のように記載されています。「大切なこと: 1894年7月7日に生まれた(母と父の履歴書に従えば93年であって食い違っているが、いずれにせよそれより早くはない)。故郷は、バグダディ村。クタイシ郡。グルジア。」

バグダティ村に至るために、私たちはまずグルジア第二の都市クタイシを目指しました。グルジアの首都トビリシから夜行列車で6時間ほど。お金の節約のため夜行列車を使ってクタイシ市内には宿をとりませんでした。行き帰りともに深夜に出発し深夜に着くという身体的にかなりつらい時間設定でしたが、お金のない我々に選択肢は他になかったので仕方なくこの電車で行き帰りすることにしました。トビリシ駅にて往復の切符を購入。窓口ではロシア語が通じます。往復で35ラリ(2千円程度)。安いですが、電車にシーツなどの備え付けがなかったので、本当に座席にごろ寝するという感じでした。21時にトビリシ発、翌午前3時クタイシ着。グルジア国鉄は結構正確に動いています。寝不足です。

トビリシ駅の外観
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到着後、日が昇るまでクタイシ駅構内でうたた寝をしつつ待機。7時頃まで時間を過ごしてからクタイシ市街に出かけました。クタイシは、単なる地方都市ではありません。王国時代には首都でもあった都市であり、グルジア人にとっては未だに文化的な首都という位置づけです。20世紀初頭にはここにグルジアの象徴主義グループ「青い角」が拠点を置いていたことでも知られています。個人的な意見ですが、グルジアにおけるトビリシ-クタイシの関係は、ロシアにおけるモスクワ-ペテルブルグのそれと比べることができないでしょうか。一日この街で過ごしたわけですが、トビリシよりもロシア語が通じにくい感触がしたのは、やはり人々の「文化的首都」としての誇りがそうさせるのでしょうか。市内の中心部はどこか日本の温泉街を彷彿とさせる雰囲気で、個人的にかなり気に入りました。近くの丘の上には世界遺産のバグラティ聖堂があります。

クタイシ市の広場
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バグラティ聖堂。あざといまでに完璧にフォトジェニックな聖堂でした。
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さて、クタイシ市からバグダティ村までは距離にして25kmほど離れているため、マルシュルートカ(*バスとタクシーを足して2で割ったような、旧ソ連圏で一般的な公共の交通手段です)を利用します。市内中心部から2kmほど離れたバスターミナルまで歩き、バグダティ行きのマルシュルートカを探します。行き先はすべてグルジア文字。ロシア語も通じにくかったので、拙いグルジア語を叫び立て、ようやく目指すバグダティ行きのマルシュルートカを見つけ出します。ターミナルの人たちが非常に親切に教えてくれました。バグダティ村までは40分ほどで、料金は2ラリ(120円ほど)。工事中で道を掘り返しているものすごい悪路を行きます。

バグダティ村に着いてから起きたことは、次の記事をご参照ください。


2014年5月16日

「超個人的ガイド to ロシア(文責:工藤なお)」(8)

「マヤコフスキー生地巡礼(後篇)」

睡眠不足もあり、意識を失いつつも、バグダティ村に到着。バグダティは、まさに「村」という規模でした。マルシュルートカを降りたときから、おそらく生まれてこのかたアジア人など見たこともないであろう人々の純朴な視線が突き刺さります。なんの悪意もない、純粋な興味の視線だと思うので、あまり気にせず、マヤコフスキーの実家を目指すことにしました。

村の広場。マルシュルートカは奥に見える教会の正面で停車します。
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村の中心にある2つの広場を抜けると、そこには牛が人の数より多い農村が広がっています。
その広場を抜けてかなり行ってから、道に迷ったことに気づきました。右を見ても左を見ても牛か牛の糞かしかなかったので、この時点から、自力で道を見つけることは諦め、手当り次第に村人に道を聞くという荒行に出ることにしました。クタイシでロシア語があまり通じないのは経験していたので、バグダティでは初めからグルジア語で話しかけることにしました。しかし発する言葉といえば「こんにちは!マヤコフスキー博物館はどこですか?」とそれだけで、相手の言っていることなど9割5分わかりませんが、とりあえず当って砕けていきます。ところが村の人はみんな親切で、手振り身振りでなんとか道を教えてくれようとしてくれました。たどり着くまでに6,7人ほどに訊ねてみましたが、みんな丁寧に丁寧に教えてくれるので、本当に嬉しかったです。危なっかしい吊り橋を渡り、ぬかるんだ坂道を行き、2時間ほど迷ったあげく、とうとう博物館を発見するに至りました。このときの感動たるや、もう言葉には言い表せないほど。

バグダティ村の「マヤコフスキーの家博物館」です。
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マヤコフスキーが生まれた家がほぼ当時のまま保存されており、隣にマヤコフスキー博物館もあります(博物館を見せてくれたおじさんの話によれば、博物館の現在の建物ができたのは1983年ころに遡るとのことで、かなり古い歴史があり、それだけ「社会主義プロパガンダが露骨なのは引き算して見てくれ」とのこと)。「日本人がいきなり現れた」とのことで突如呼び出しを受けたのであろうこのおじさんが、ロシア語で館内を案内してくれました。
博物館の中の展示内容は非常に充実しており、マヤコフスキーの各年代の写真・マヤコフスキー自身の絵・詩片が書かれた街頭プラカードなどなどが一つの大きな展示室に所狭しと並べられています。興味深いのは「グルジアとマヤコフスキー」と題された章で、ここではマヤコフスキーの死に対するクタイシ市からの反応、グルジア人の友人などの紹介がされていました。
そうした展示品のなかでも最も興味深い写真はこちら。マヤコフスキー本人、彼の恋人リーリャ・ブリーク、映画監督エイゼンシュテイン、詩人パステルナークと新潟生まれのジャーナリストである内藤民治がマヤコフスキーの実家を訪れた際の歴史的な一枚です。
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マヤコフスキー博物館の内部
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マヤコフスキーの実家内部
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こうして一時間ほど博物館を堪能し、マヤコフスキー生地巡礼は終わりました。帰り道で、農家のおじさんに呼び止められてお昼ご飯をごちそうになる傍ら自家製ワインをしこたま呑まされたりしたのは、また別の話です(一般のバグダティ村のひとが、言ってしまえば単にグルジアで生まれただけであるロシア人マヤコフスキーに対してかなり屈折した思いを抱えているのだということがわかり、とても考えさせられました)。かなり酔ってしまいましたが、再びマルシュルートカに乗りクタイシ市に戻り、市内を観光したのち深夜に出発する電車を待ってトビリシへ帰りました。

疲労困憊の旅ではありましたが、わたしにとって現時点でベストの詩人であるマヤコフスキーの実家を訪問できたことは、3年間強の大学生活を振り返ってみて「ここが大学生活のハイライトである」と断言しても決して過言でないであろう、大変に充実した旅でした。

「超個人的」なレポートに付き合っていただき、ありがとうございました。ペテルブルグでの生活も残すところあと1ヶ月強。最後のこの期間を有効に使いきって帰国したいと思います。

最後に、バグダティの広場に聳えるマヤコフスキーの像です。
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2014年5月21日

ロジャー・パルバースの「七夕講演」

来る7月7日(月) 七夕講演を予定している。題して 「面白い日本の私」。
オーストラリア在住の作家にして劇作家、演出家、京都産業大学や京都造形大学、東京工業大学等で英語・ロシア語・ポーランド語を教え、オーストラリア国立大学では日本文学を教えてきた「驚くべき才人」ロジャー・パルバース氏の講演である。ぜひ聴きに来てほしい。



ロジャー・パルバース(Roger Pulvers)は1944年生れ、アメリカ出身。
UCLAで学び、ハーバード大学大学院でロシア研究に勤しみ、ワルシャワ大学、パリ大学に留学。
1967年来日し、たちまち日本語の達人となる。日本各地を旅してまわり、日本の詩や芸術を心から愛してやまない。数年前まで東京工業大学で教授・世界文明センター長を務めていた。

著作がまたすごい。
『もし、日本という国がなかったら』(坂野由紀子人訳)、『賢治からあなたへ』(森本奈理訳)、『驚くべき日本語』(早川敦子訳)等の英語による本。
『ウラシマ・タロウの死』( 越智道雄訳)、『旅する帽子 小説ラフカディオ・ハーン』(上杉隼人訳)、『ライス』(上杉隼人訳)、『ハーフ』(近刊)等の英語による小説。
井上ひさしや宮澤賢治の英訳等。合わせると40冊を越える。
2013年宮澤賢治の詩集の英訳『Strong in the Rain(雨ニモ負ケズ)』で野間文芸翻訳賞受賞。
芝居の演出も行い、映画『戦場のメリークリスマス』では助監督を務めた。言葉の真の意味でのマルチタレントである。



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最新書のこちら 『驚くべき日本語』 も面白かった。
日本語がいかに「リンガ・フランカ(世界語)」に適しているかが力強く語られている。日本人としてはちょっとこそばゆい感じもするが、「日本人は自分たちを特殊だと思っていてはいけない、日本語は曖昧な言語ではない」という主張にはじつに説得力がある。
日本語や外国語にたいするステレオタイプを小気味よく崩し新しい光をあててくれるパルバース氏の話はいつも知的で面白い。

松岡正剛氏のブログ 「千夜千冊」 に詳しく見事な紹介が出ているのでぜひ読んでください。こちら
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http://1000ya.isis.ne.jp/1545.html


2014年5月28日

昭和女子大学とトルストイ

昨日3年ゼミの有志たちと三軒茶屋にある昭和女子大学に行き、人見記念講堂でチャイコフスキーのオペラ 『王女イオランタ』 を観た。

この講堂の名前は、大学の創始者で詩人の人見圓吉の名にちなんでいる。
大学のHPによると、1920(大正9)年、人見圓吉が中心となってトルストイの精神を受け継ぎ「愛と理解と調和」を旨とする私塾「日本女子高等学院」を創設した。それが昭和女子大学の前身だという。だから人見記念講堂の前にトルストイの彫像があるのだ。

トルストイと記念写真。
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たくさんの女子学生が観に来ていたのは、どうやらオペラ鑑賞が昭和女子大学のカリキュラムの一環として取り入れられているかららしい。
私たちの切符には「文化研究講座入場券 このチケットでは単位認定されません」と書かれていた(?)。

『王女イオランタ』は1892年にペテルブルグで初演された可愛らしいオペラだ。
光の存在も知らず、色もわからず、そもそも「目が見えない」ということの意味も知らずに育った盲目のイオランタが、ボデモンという青年の言葉に心を動かされて光のある世界を知りたい、見たいと願う。
ボデモンは、彼女が闇の世界にいることを認めながらも、愛の力でイオランタを光の世界に呼び寄せる。

ふたりのデュエットが素敵だった。
イオランタをロシア語で可憐に歌いあげたのは森美代子(東京音大大学院修了)、ボデモンを演じたのはワレーリイ・ミキーツキイ(グネシン音楽アカデミー卒業)。息もぴったり合っていた。

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