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ヴォドラスキンの現代的聖者伝 『ラヴル』

いま 『文藝年鑑 2014』 のために「ロシア文学の概観」を書いているのだが、昨年のロシア文学界における最大の収穫は、エヴゲーニイ・ヴォドラスキンの長編 『ラヴル』(AST、モスクワ、2014年) だったと言っていいと思う。
この作品でヴォドラスキンは「ボリシャヤ・クニーガ(大きな本)」賞と「ヤースナヤ・ポリャーナ」賞をダブル受賞。ロシア・ブッカー賞の最終候補にもノミネートされた。

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ヴォドラスキンは1964年キエフ生まれ(どうかウクライナの騒乱がこれ以上犠牲者を出しませんように。変わり果てたキエフにヴォドラスキンもさぞ胸を痛めていることだろう)。
キエフ大学を卒業し、1990年よりサンクト・ペテルブルグのロシア科学アカデミーのロシア文学研究所(通称プーシキン館)に勤めている。2000年、中世ロシア文学で博士号を取得。現代ロシアを代表する「知識人」である中世文学の泰斗ドミートリイ・リハチョフの門下生だという。

『ラヴル』の舞台もやはり15世紀から16世紀にかけての中世ロシアだ。
主人公は最初アルセーニイという名前の優れた医師だった。ところが、自分の過ちで愛する女をお産のときに死なせてしまい、その罪を償うため独身の誓いをたて、ルーシをさまよい歩く。その過程で「聖愚者(ユロージヴイ)」となってウスチンと名のり、その後、修道士アムヴローシイとなり、最後に聖者ラヴルとなる。つまり彼は4つも名前を持っているのだ。
「聖者伝」の体裁をとっているが物語は一元的には語られず、時代が錯綜したり、意図的に古風な文体が用いられたり、ポストモダン的引用があったりと重層的だ。そう言えば「非歴史小説」と銘打たれている。ヴォドラスキン自身あるインタビューで「聖者伝という古い形式をとっているが現代的な文学手法を用いた」と語っている。
「時」を超越すること。その試みにおいてミハイル・シーシキンを思わせるところがある。また自分のせいで人を死なせてしまった男がユロージヴイのようになり神の赦しを求めるその形象においてはパーヴェル・ルンギンの映画 『島』 を思い出させられた。

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2014年2月23日 01:32に投稿されたエントリーのページです。

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