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2012年8月 アーカイブ

2012年8月 4日

「チェーホフの学校」

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黒川創さんの『いつか、この世界で起こっていたこと』(新潮社)は、震災や原発事故に関連した短編を収めた作品集。

「波」という短編のリアリティに衝撃を受けた。津波のため幼い娘と車に閉じ込められたまま流される母、その夫タケシは姪・久美と津波の押し寄せた家の2階で寒さに震え、タケシの母(祖母)は孫である久美の兄・一郎と海の上を漂う屋根に乗って「方舟」のように流される。津波が家族をばらばらにしたのだ。気丈な祖母が孫の将来について発破をかける。久美が、そのうち水族館にアザラシを見に行こうと叔父に言う。しかし大波は非情にも、そうした未来と将来の夢を命とともに呑み込もうとする。まるでヨナを呑み込んだ魚のように。

「チェーホフの学校」は、キノコ好きだったチェーホフが生きた100年前のロシアと、もはや子供たちにキノコを食べさせられなくなったチェルノブイリ後のベラルーシと、原発事故で放射能汚染に悩まされている現代の日本を重ね合わせた作品。放射能の被害で別居することになった一家の苦しみや不倫や疲弊がある。

「もしもチェーホフがここにいたら、これからの悲惨な話も、なお『犬を連れた奥さん』のような筆致で、書くだろうか?」

作者の最大の関心がこの一文に現れているように思う。この巨大な不幸を前にして言葉は役に立つのか。物語は力を持つのか。意味を持つとしたらどのような方法で書くべきなのか。そしてそれに対するひとつの答えが『いつか、この世界に起こっていたこと』という作品集そのものなのだろう。
そう、私たちの現状はかつて世界のどこかで経験したこと。だから「橋」という短編では、関東大震災が取り上げられているのだ。この震災のとき鎌倉で津波の被害に遭い命を落とした文芸評論家・厨川白村(くりやがわはくそん)のことが語られている。
左脚を切断する手術を受けた白村が不自由な身で妻と必死で逃げ、海岸橋の上まできて津波に襲われる。そのことに関心を持つ鎌倉在住の作家が事実を調べ言葉にして残そうとする。それを作者は物語にするという入れ子状態のような構えをしている。白村自身も物書きで、家に残してきた原稿のことを気にしており、それが「人間賛美」というタイトルだったというのも何か象徴的だ。

もしもチェーホフがここにいたら? 「むろん、彼は、そのようにするだろう」
「そのように」とは、チェーホフならではの哀しみとユーモアのこもった冷静な筆致で書くということ。『いつか、この世界に起こっていたこと』は、作者もまたチェーホフのように書いていくという決意を静かに宣言したものではないかと感じた。

2012年8月14日

【お知らせ】 ロシア語日本語バイリンガル

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日本ロシア語教育研究会が主催するサマーセミナー2012は、「子どものバイリンガル・ロシア語と日本語 -課題 と 展望-」をテーマとして次の日程で開かれる。

<日時> 2012年9月23日(日)
<場所> 創価大学 文系C棟 C-409教室(4階)

<プログラム>
11:00 - 13:10
第1部 講演他(司会 M.A. カザケーヴィチ 大阪大学)
1)講演
「日ロバイリンガル育成のための継承ロシア語の保持・伸長-心理的要因と社会的要因を中心に-」
講師 中島和子先生(トロント大学名誉教授)
2)全国ロシア語補習校の紹介

14:10 - 16:10
第2部 研究発表(司会 A.V. ハマノ 東京外国語大学)
1)「日本におけるロシア語話者「移民」‐子どもの継承ロシア語教育への展望:保護者への意識調査」
O.S. バソワ(一橋大学大学院博士課程)
2)「日本在住・ロシア語話者家庭の子弟におけるロシア語の教育とその継承」
S.V. シヴァコーヴァ(創価大学)
3)「よりよい教科書を求めて」
E.V. タケダ(富山大学・補習校指導員)

16:30 - 17:30
第3部 討論とまとめ(司会 G.S.シャトーヒナ 日本外務省)
1)過去の経験と蓄積から-すべきこととしてはいけないこと
2)まとめと展望
自由討論(~18:00)

会場所在地 〒192-8577 東京都八王子市丹木町1-236 創価大学 ℡042-691-2211
お問い合わせ 大阪大学大学院言語文化研究科 M.A.カザケーヴィチ(margarit@lang.osaka-u.ac.jp)
tel/fax 02-730-5497

2012年8月19日

かもめはいまでも飛んでいる

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この8月、集英社文庫より沼野充義訳のチェーホフ 『かもめ』が上梓される。
チェーホフの四大戯曲のひとつで名作としても誉れ高いこの作品は、すでに何種類もの日本語訳が出ており、いろいろな台本で数限りなく上演されているが、今回の翻訳は、栗山民也氏演出(2007)のために訳されたもので、「現代の空気を呼吸する日本の俳優たちのためという前提に立ち、不要な装飾や『こなれた』言い換えはできるだけ避け、舞台の上で言われていることを過不足なくすぱっと日本語で伝える」ことを目的にしたという。

ロシア語の小説や戯曲を日本語に訳すとどうしても説明的に長くなってしまうので、この「すぱっと」というのは、言うは易し、じつはとても難しい課題だ。
この新訳 『かもめ』では、例えば、トレープレフが「セレブ」という言葉を使っていたり、ソーリンがニーナのことを「今日は特にかわいこちゃんだねえ」と言ったり、アルカージナとトレープレフ母子のやりとりに

「ケチ!」
「ボロすけ!」

という罵り合いがあったり、さまざまな工夫が凝らされている。こうした翻訳上の課題を含め、巻末の解説「かもめはいまでも飛んでいる」が面白い。

ちなみに9月には、NHK教育テレビ「100分de名著 チェーホフ『かもめ』」で沼野充義による4回連続講義がある(翌週に再放送あり)。

第1回 「たくさんの恋」 9月5日(水) 23:00-23:25
第2回 「すれちがい」  9月12日(水) 23:00-23:25
第3回 「自分を探して」 9月19日(水) 23:00-23:25
第4回 「人生は悲劇か喜劇か」 9月26日(水) 23:00-23:25


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2012年8月21日

ロシアのドラえもん

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今年初め、われらが『ドラえもん』のロシア語訳が出た!
Фудзико.Ф.Фудзио. пер.Д.Коваленин. Драэмон. М.: РОСМЭН-ПРЕСС, 2012.

今のところ1巻と2巻だけのようだが、訳したのは村上春樹のロシア語訳者ドミートリイ・コワレーニン。ロシアにおけるハルキ・ブームの火付け役となった人だ。彼が1990年代末にロシア語に訳した『羊をめぐる冒険』は大変な人気を博し、それ以来、ロシアでは村上春樹の小説が次々に訳され、若者を中心によく読まれている。『1Q84』も彼が訳している。

そのコワレーニンが『ドラえもん」を翻訳したというのが面白い。
あるインタビューでコワレーニンは「日本人にとってのドラえもんは、ロシア人にとってのチェブラーシカとカールソンを合わせたようなもの」と紹介している。

カールソンというのは、アストリッド・リンドグレーン(1907-2002)のシリーズ作品『屋根の上のカールソン』の主人公。リンドグレーンは『長くつしたのピッピ』で有名なスウェーデンの児童文学者である。1968年、70年にソ連で『屋根の上のカールソン』がアニメ化され、子供たちの人気をさらった。
エドゥアルド・ウスペンスキーの『ワニのゲーナとお友達』が映画化されたのも1969年だからほぼ同時期。それ以来チェブラーシカはロシアの子供たちに愛されている。

さて、ドラえもんはロシアの子供たちにどのように受け入れられるのだろうか。


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   カールソン

2012年8月22日

レーピンの肖像画

過日、渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の 『国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展」を見てきた。

Илья Репин イリヤ・レーピン(1844-1930)
1870年代よりいわゆる「移動派」画家として活躍。社会的弱者を描いた代表作として「ヴォルガの船曳き」がある。

今回の展覧会を見て、レーピン作品の中でも特に迫力があるのはやはり人の表情だと思った。苦しそうな顔、自信に満ちた顔、怒った顔、悩ましげな顔。複雑な陰影に富んだ表情は、よほどの洞察力と包容力と技術がなければ描けない。


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私はやはり当時の文化人たちの肖像とそのたたずまいに惹かれる。
上はモデスト・ムソルグスキー。ご存じ 『展覧会の絵』で知られる作曲家だ。亡くなる10日くらい前の、アルコール中毒に苦しみ虚ろな目をしたムソルグスキー。
レーピン展から戻り、ムソルグスキー追悼のつもりで『展覧会の絵』の「プロムナード」や「バーバ・ヤガー」をピアノで弾いた。


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こちらはレフ・トルストイ。
レーピンはトルストイの領地ヤースナヤ・ポリャーナに滞在し、生活をともにしながら被写体をつぶさに観察したようだ。真剣なまなざしのトルストイ。人生に対する姿勢そのもののような、真剣な表情。
でも、この作品が描かれたのは1887年で、すでにトルストイがあらゆる芸術に価値を認めなくなっていた頃だ。トレチャコフ美術館学芸員のガリーナ・チュラクによると「文豪がその圧倒的な才能を傾けて伝道師の情熱をもって示した独自の『トルストイ哲学』を、レーピンが受け入れることはなかった」という(「イリヤ・レーピン―『爆発する無限のエネルギー』を持った画家―」鴻野わか菜訳、展覧会カタログ p.19)。


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これはパーヴェル・トレチャコフ。ロシア有数の文化メセナにして、トレチャコフ美術館の創設者。何と言っても、画面のほぼ中央に位置する彼の長い指が印象的だ。トルストイのごつごつした「農民のような」手と比べると、トレチャコフの手の繊細さがいっそう鮮明になる。

最後に大ニュース!
展覧会カタログの最後のほうに付されている「イリヤ・レーピン日本語文献」に、沼野恭子研究室編 『クリトゥーラ』(創刊号)所収の井木優里さんのレーピンに関する記事が文献として挙げられている。


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    レーピン 『自画像』

2012年8月26日

現代ロシア文学、続々翻訳!

嬉しいことに、今年になってから続々とロシアの現代小説が日本語に翻訳・紹介されている。ともかく列挙しよう。

Василий Гросман. Жизнь и судьба.
ワシーリー・グロスマン 『人生と運命』齋藤紘一訳(みすず書房、2012)
1月から3月にかけて1巻ずつ刊行され、「20世紀版『戦争と平和』」とも言われるこの大著の邦訳全3巻がついに出そろった。
グロスマン(1905-1964)は、第二次世界大戦の最大の激戦だったスターリングラード戦に記者として従軍。その経験をもとに1960年『人生と運命』を完成させたが、たちまちКГБによって原稿を没収された。しかし奇跡的に原稿のコピーが国外に持ち出され、1980年にスイスで出版された。ナチスドイツとスターリンのソ連という2つの全体主義国家のはざまにあって、自由と人間性をぎりぎりの線まで守ろうとした人たちを中心とする圧巻の歴史ドラマである。


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   グロスマン


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Вениамин Каверин. Два капитана.
ヴェニアミン・カヴェーリン 『二人のキャプテン』入谷郷訳(郁朋社、2012)
カヴェーリン(1902-1989)は、1920年代に「セラピオン兄弟」という文学グループに属して幻想小説を書いていた作家。
『二人のキャプテン』は1938年から1944年の間に書かれた。北極探検で遭難した船長の謎を解き明かそうとする主人公サーニャの恋と冒険の物語。


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   カヴェーリン


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Саша Соколов. Между собакой и волком.
サーシャ・ソコロフ 『犬とオオカミのはざまで』東海晃久訳(河出書房新社、2012)
ソコロフ(1943年生れ)は1975年に亡命し、翌年アメリカで『馬鹿たちの学校』を出版。この作品もすでに訳されている。サーシャ・ソコロフ 『馬鹿たちの学校』東海晃久訳(河出書房新社、2010)。
ソコロフは、よくナボコフやベールイとの類縁性が指摘される。複雑で実験的、難解、メタ文学的と言えるだろう。訳者の親切な訳注がたくさんあってありがたい。


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   ソコロフ


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Владимир Сорокин. Глубое сало.
ウラジーミル・ソローキン 『青い脂』望月哲男・松下隆志訳(河出書房新社、2012)
ソローキン(1955年生れ)は、変幻自在の文体模倣術と激烈な想像力を持ち合わせた、まさに現代ロシア文学のモンスター。「未来語」で書かれたこの「未来小説」を本当によくぞ日本語にしてくれたものだ。訳者のおふたりに脱帽!


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ソローキン


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2012年8月29日

「混乱の中に尊厳を」

岩波書店の冊子 『図書』 2012年9月号にエッセイを書かせていただいた。
題して 「混乱の中に尊厳を」。

リュドミラ・ウリツカヤの創作活動と、最近積極的にかかわっている社会活動についてだが、この中で、獄中にいるミハイル・ホドルコフスキーとウリツカヤが書簡を交わしたこと、ふたりの往復書簡が文芸誌 『ズナーミャ』 2009年10月号に掲載され、その年度の「ズナーミャ文学賞」を受賞したことなどに触れた。

ホドルコフスキーは、ロシア最大手の石油会社だった「ユコス」の元社長。2003年に脱税等の容疑で逮捕され服役していたが、2010年に二度目の実刑判決を言い渡された。この判決は政治的な色合いがきわめて濃く、2011年にアムネスティ・インターナショナルはホドルコフスキーを「良心の囚人」と認定している。

獄中のホドルコフスキーとは、ウリツカヤの他に、ボリス・アクーニン、ボリス・ストルガツキーも書簡を交わしている(後者は、ロシアで最も有名なSF作家ストルガツキー兄弟の弟のほうにあたる)。
これらの往復書簡と、"Financial Times" や "The New Times" などのおこなったインタビューにホドルコフスキー自身の書いたものをまとめて1冊にした本がこれだ。
 ↓
Михаил Ходорковский. Статьи. Диалоги. Интервью. М.: Эксмо, 2010.


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