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世界を語ろう@TASC シリーズ第3回:多角的に中東を視る 〜対談者:黒木英充教授

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地域研究のシンクタンクとして本学の研究・教育を社会に対して発信することを一つの役割として担うTUFS地域研究センター(TASC)で行うTASC対談シリーズ。吉崎知典TASCセンター長が、世界各地域の諸問題について、本学の教員と対談していきます。

第3回は、アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)の黒木英充教授をお招きし、イスラエル・パレスチナ情勢について対談しました。中東という言葉の由来、アラビア語の影響力、地域の多様性、ユダヤ人移住の経緯、「テロ」という言葉の使われ方、アメリカや周辺諸国の関与とその変遷などを伺いました。

第3回目の対談者:
黒木英充教授
略歴 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。専門は、東アラブ近現代史、中東地域研究。東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程修了。東京大学東洋文化研究所助手、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手、助教授を経て、現職。編著に『「対テロ戦争」の時代の平和構築』(東信堂、2008年)、『シリア・レバノンを知るための64章(エリア・スタディーズ123)』(明石書店、2013年)、『イスラームからつなぐ1 イスラーム信頼学へのいざない』(東京大学出版会、2023年)、『イスラームからつなぐ4 移民・難民のコネクティビティ』(東京大学出版会、2024年)など。

ファシリテーター:
吉崎知典特任教授/TUFS地域研究センター(TASC)長
専門分野は平和構築、戦略論、日本の安全保障等。慶應義塾大学法学部卒業、同大学院法学研究科修士課程修了。防衛庁防衛研究所助手、同主任研究官、防衛省防衛研究所理論研究部長、同特別研究官(政策シミュレーション)、同研究幹事を歴任した。2023年4月より現職。その間に英国ロンドン大学キングズ校客員研究員、米国ハドソン研究所客員研究員なども兼任。


動画版

中東地域〜言語・歴史・文化・地域

吉崎 世界を語ろう@TASCシリーズ第3回目の本日は、アジア・アフリカ言語文化研究所の黒木英充教授にお越しいただきました。現在、世界の耳目を集めているのは中東情勢だと思います。まず、中東という地域をどのように捉えるべきでしょうか。

黒木 中東地域というと、アラブ諸国を中心にイランやトルコなどの国々が頭の中に浮かぶと思います。実はこの「中東」という言葉自体は、20世紀初めから出てきた言葉です。ヨーロッパから見て、日本など一番遠い「極東」があり、インドなどがあり、それより近い東、ということで「近東」という言葉がありました。さらに、イギリスがペルシア湾に向けたシーレーンを通じて軍事的な関与を深めていくときに、アメリカ海軍の戦略家が「ミドルイースト」という言葉を作り出しました。その後、「中近東」という形で両方の言葉を混ぜて使った時代もありましたが、徐々に「中東」という言葉が定着していきました。「ミドル」、要するに西でもあり東でもある、と両義的な意味合いも含まれていて、それゆえに、「中東」という言葉が好まれて使われるようになったのではないかと思います。

黒木教授

吉崎 言語もさまざま使われていますね。

黒木 アラビア語が優勢な言葉ですが、トルコ語、ペルシア語などもあります。歴史的にさまざまな言語が話されてきて、7世紀以前はギリシア語が多く話されていた地域でしたし、イエス・キリストが話していたシリア語は、今でも一部の教会で典礼語として使われています。アラビア語は発信力が非常に強い言葉で、トルコ語やペルシア語、さらに中東に限らず、インドネシアなどの東南アジアやヨーロッパの言語にも、アラビア語起源の言葉が多く使われています。

吉崎 古代文明が栄えた地域で、人の移動も活発な地域ですね。

黒木 歴史的にいろいろな形で人々が入ってはまた出ていくことを繰り返してきた地域です。そのため、中東=イスラームと一面的に見ると、この地域を大きく見誤ることになります。いろいろなものが複合的に絡み合い、常に動いている地域であるという捉え方が必要です。オスマン帝国がこの地域の多くを支配しましたが、19世紀後半から20世紀に入り、第一次世界大戦前後から本格的に国民国家に分裂していきました。その間、今の「中東」と呼ばれている地域では、さまざまな紛争や戦争があり、いろいろな問題が生じてきました。パレスチナ問題は、そのような背景の中に新たな問題が入り込んできたことにより生じた問題です。

今の中東を視る

吉崎 今、中東ではイスラエルが注目されていますが、アメリカの存在感は非常に大きく、それに対する評価も歴史とともに変わってきています。冷戦が終わり、アフガニスタンに対する攻撃、イラクに対する軍事侵攻などのいわゆる対テロ戦争があり、そしてイランとの複雑な関係、さまざまなことがあります。この地域にどういった影響があるのでしょうか。

吉崎教授

黒木 第一次世界大戦からアメリカが本格的に大きな役割を果たし始めます。オスマン帝国が第一次世界大戦で負けて、イギリス、フランス、そして途中から参戦したアメリカが中心となった連合国が、1919年のパリ講和会議でこの地域をどうするか話し合います。その際、アメリカは民族自決の原則を打ち出しました。それまで植民地支配を受けてきた人々からすると、自分たちのことを自分たちで決められるのだという希望が持てた。当時のアメリカ大統領は世界的なヒーローだったわけです。それは中東地域の人々にも共有され、アメリカは大いに期待されていました。しかし結局、中東の中心部の地域は、イギリスとフランスで分割され、パレスチナのあたりはイギリスに統治されます。

(写真はイメージです)

吉崎 その後、ヨーロッパからユダヤ人が移住してきます。

黒木 19世紀末頃から徐々にヨーロッパからユダヤ人の移住が始まります。この地域は、それまでも人の移動が激しい地域で、移民・難民を積極的に受け入れてきたところです。オスマン帝国末期に東アナトリア地域でアルメニア人の大量虐殺があった際に今のシリアの地域には何十万の人々が逃れてきて、十万人以上を受け入れましたし、さらに遡って1492年のレコンキスタの終了時には、イベリア半島から追放されたイスラム教徒やユダヤ教徒の人々を受け入れています。このようなことがずっと続いてきた地域ですので、移民・難民受け入れの長い伝統があり、ヨーロッパからのユダヤ人も受け入れました。人が増えることで社会の交流が活発になり豊かになる、という発想があるのです。ところが受け入れた人たちが自分たちだけの国を作るという思想を持っていた。土地がどんどん買い占められ、そこに住んでいる人を暴力的に追い出すようになります。さらにはこの地域を植民地統治していたイギリス現地政府に対しても攻撃を行うようになります。その結果、パレスチナ人を追放するための虐殺が起こり始めます。その後、イスラエル国家が国連による分割決議を経て建国され、第二次中東戦争後にイギリスとフランスが中東での力を失い、冷戦期にイスラエルを守る、という形でアメリカが登場しました。

(写真はイメージです)

吉崎 「テロ」という言葉はどのように使われてきたのでしょうか。

黒木 追放されたり殺されたりしたパレスチナの人々とその子孫の抵抗と、それを鎮圧しようとするイスラエルの間で、周辺諸国を巻き込む形で中東戦争がその後3回行われました。1987年から民衆蜂起という形で武器を持たない若者たちが石を投げる「インティファーダ」と呼ばれる闘争が始まりました。そういったパレスチナ人のさまざまな抵抗や武力闘争をイスラエルは「テロ」という言葉で呼び始めました。要するに政治的な用語であり、非国家的な主体が暴力をもって抵抗するときに、それを「テロ」という言葉で表現するようになったのです。この言葉の始まりは、フランス革命後、革命政府が反革命勢力を激しい暴力を使い、恐怖をもって弾圧したことにあります。それから言葉の使われ方がさまざまに変転したのですが、2001年の9.11で言葉として確立しました。1970年代からずっとアメリカがイスラエルの後ろ盾となり、「テロ」という言葉も一緒になって使ってきました。アメリカは発信力が非常に強いので、政府軍が行使する武力は戦争行為であり認められるけれども、それに対して、軍でない民間人の抵抗はテロだとしてきたわけです。

吉崎 アメリカの発信力はとても強くパワーもあり、メディアやビジネスをある種牛耳ることができます。それによってイメージは無色透明ではなくなり、ある一定の方向性ができる。何が正義で何が正義じゃないのか、弱者強者という形になり、その強者の方の導入が強くなりやすいという構造があります。このあたりを、言語・文化・歴史・社会などで総合的に見ることによって、バランスを取ってみていくことができると思います。

黒木 非常に大事な点です。欧米が中心でしたが、さまざまな法を付き合わせて国際法が成立し、それを体現した機関として国際司法裁判所や国際刑事裁判所があります。加盟している国、していない国といろいろありますが、そういうものを作り上げ、特に第一次世界大戦の後、不戦条約なども考え出し、人々は頑張ってきたわけです。その後第二次世界大戦を防げなかったなどの反省はもちろんありますが、合意を何とか作り出していこうという動きはありましたし、今でもそれは続いていると思います。

吉崎 残念ながらウクライナの危機によって、この戦争や武力行使の敷居が下がってしまいました。その後、ガザのことが起こったことにより、さまざまな危機が起こりやすくなっています。周辺地域への影響はどのようにお考えでしょうか。

黒木 どのように受け止め、どのように対応するかという点で、世界が大きくわかれてしまいました。パレスチナでは、規模は小さくても今まで何度も激しい武力行使が行われています。それに対してパレスチナの人々は国際刑事裁判所に訴えようとしてきましたが、全然通じてこなかった。ロシア軍によるウクライナ侵攻は規模の大きさで衝撃はありますが、民間人の死者ではガザははるかに短期間でその約3倍です。これに対する周辺諸国の反応はさまざまです。つい最近イランのミサイル攻撃がありましたが、イランやレバノン、シリアなどはイスラエルと衝突状態にあります。ヨルダンはイスラエルと外交関係を持っていますが、ガザ攻撃を強く非難していて、両義的な立場をとっています。エジプトは、ガザに面したところに地下トンネルなどがありましたが、これまでイスラエルと一緒にガザ地区を管理してきました。今ガザが徹底的に破壊され、人々の生存が難しくなって、その国境をどうするかという問題も生じています。湾岸諸国はイスラエルと国交を持つ動きがあり、アブラハム合意というものもありますが、サウジについては今回の攻撃で止まっています。問題はむしろ中東の外に大きく広がっているのであって、西側がウクライナ・ロシアに対してとった対応と、イスラエルに取った対応とが、全く矛盾している。そういう矛盾した二重基準の行動をとって、どうして世界のリーダーと言えるのだという不満が、世界中に湧き起こっている状況だと思います。

(写真はイメージです)

吉崎 先月、ニューヨークとジュネーブの国連の本部や事務所に行ってきましたが、世界が分裂していると肌感覚でわかりました。ガザに平和を、そしてアメリカに何々を、というものですが、そういった意味では、もう世界を東と西では分けてはいなく、西側も1枚ではない。歴史と地域の雰囲気が一変したということがとてもリアルにわかりました。

メッセージ

吉崎 言語・文化・歴史・地域、いろいろな方向性からこの地域を見ていき、そして英語ではなくそれぞれの言語で聞くということの重要性を感じました。東京外国語大学を目指している学生、そして東京外国語大学の活動に関心を持ってくださっている方々へのメッセージをお願いします。

黒木 今世界は大きな曲がり角、わかれ道にあり、残念ながら分裂が表面化している状況にあります。どういう形でこれに向き合うか。やはりいろんな角度からものを見るということが必要だと思います。そのためにはさまざまな外国語を学ぶことによって、いろいろな角度から物を見ることが重要です。その際に曇りのない目で見ること、そして同時に物事をまずは疑ってみるとよいと思います。まず疑って、それから合理的にものを考える。これが一番大事なことかと思います。東京外国語大学のような、多くの言語を学ぶことのできる環境は貴重です。複眼的に物を見る人を育てる、世界に開かれた窓だと思っています。

吉崎 本日は、イスラエル、ガザで揺れる中東地域をどう見るのか、AA研の黒木先生にお話いただきました。本当にありがとうございました。

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