卒業生からのメッセージ
須崎彰子さん(1982年卒業 国連開発計画(UNDP)職員)
*シラキューズ大学大学院社会科学修士。大学在学中にチュニジアのチュニス大学に国費留学。メーカーにて、イラク変電所工事現地事務所勤務、海外法務担当。その後、JPOとしてUNDPイラク事務所勤務後、UNIDO本部勤務。退職後、レバノン・アメリカン大学にてMBA取得。その後、UNDPミャンマー事務所副所長を経て、国連開発計画本部アジア太平洋州局勤務。2006年より在ニューヨーク。

先日アメリカのNGOとForeign Policy誌が”2007 Failed State s Index”を発表した。これはガバナンスを含む12の項目を、これらの主催者が独自に評価し点数をつけたものである。得点が高いほうが”Failed”とみなされ、ちなみに一位はスーダン、二位はイラク、三位はソマリアと続く。そのほか、アフガニスタン8位、北朝鮮13位、ミャンマー14位、最低評価はノルウエーで、日本は164位。現在勤務中の、UNDP国連開発計画ニューヨーク本部アジア太平洋州局の同僚と、このIndexが昼食中に話題となった。
これら上位国の中には紛争国および紛争後の国も多い。先の5月に出張したアフガニスタンでは援助国、援助機関とアフガニスタン政府の国づくりへの強い意思が感じられた。一方、治安面の不安は増大しており、首都カブールでもロケット弾を含む爆発音をしばしば聞いた。ドバイーカブール間を飛ぶ国連特別機は、アフガニスタン勤務あるいは出張の、さまざまな国籍の外交官、国連職員、援助団体職員たちが黙々と書類を読んだり、仮眠を取ったりと静かな機内。これはなぜかふと、私がUNDP国連開発計画イラク事務所に勤務していたころの、バクダットに向かう機内を思い出させた。
そのほかの上位国の中には報道される機会の少ない国で、さまざまな要因による慢性的貧困および、国民間での経済格差が広がりつつある国もある。2002年より4年間ミャンマーにUNDP事務所の副代表として勤務した。主なUNDPの援助は、現政権の関与を受けない形での村落レベルでの貧困対策プログラム。日本の国土の1.8倍の面積の国土に約5,000万人の人口のこの国の経済は農業に依存する。昔は”アジアの米びつ”と呼ばれた米の輸出国だったが、現在の輸出量は微々たるものである。豊富な雨量の国にもかかわらず、安全な飲み水の確保が難しい農村部も多い。汚染された飲み水から胃腸障害を起こし、医者が村落にいないため近隣の国営診療所に行こうとしても、そのバス代や有料の薬の代金が払えずに助かる命が救えないケースもある。現金収入の途絶える農閑期には一日の食事を3回から2回に減らす農民に数多く出会った。これら村人に5年後の自分の村の絵を描いてもらい、村人全員で生活改善を話し合ってもらうところからこのUNDPの貧困対策プログラムは始まる。ミャンマー勤務中は各地方の村々をしばしば訪問したが、その中でもミャンマー最貧と言われる山岳州を訪問して、村人がこのプログラムで建てた小学校や新たに導入した新しい換金作物の育ち具合を見、村人たちと話し合ったのは中でも一番印象に残っている。
外語大卒業後、民間企業勤務(イラク現地勤務含む)を経て国連に勤務して10余年。私の興味も中近東についての焦点から、より広く紛争国、紛争後国の貧困対策を含む開発に移行してきた。今後さまざまな国とかかわっていくことだろうが、それらの国であのミャンマーで見たような村人の笑顔がひとつでも増える、その手伝いができれば、というのが私の今の願いである。

NYに滞在中の方、国連に興味のある方はこちらまでご連絡ください。(英語でお願いします)
濱田尚人さん(1982年卒業 東京海上日動火災勤務)
*1982年東京海上火災保険(株)入社。2007年7月より東京海上日動火災保険(株)サウジアラビア主席駐在員としてサウジアラビア・ジェッダ市に勤務。現在に至る。

アラビア語を学んで
思い起こすと大学受験時にアラビア語を学ぼうと思い立ったきっかけは世界四大文明の内エジプトとメソポタミアの二大文明を創り出した中東地域の民族とその歴史・文化に対する強い興味でした。高校生時代外国語はどちらかというと苦手種目でしたが、歴史・文化を学ぶのであればまずその土地の言語を学ぶべしというある意味ではとても単純な思い込みで昭和52年4月アラビア語学科に入学しました。
当時のアラビア語学科は1学年15名の定員。最初の前期で文法を完全マスターし、あとはひたすら現地誌記事・小説を購読するというスパルタ式の詰め込み教育もあれば、一つの言葉の成り立ちの解明にじっくりと何時間もかける学術的な講義もありで、当時の多彩な教授陣と指導法のおかげで様々な角度からアラビア語とともに中東の文化を学ぶことができたと思います。海外とのかかわりはこのような学習環境下で、「とにかく早く現地を見てきたら」という先生の一言がきっかけとなり1年生後期春休みの1ヶ月ほどの私費エジプト旅行から始まりました。そして4年在学中に奨学金を支給されて1年間エジプトに留学する機会に恵まれ、現地での生活を通して社会に出てからも海外で働きたいとの思いが強くなりました。
外大を卒業後社会に出て早24年経ちました。海外勤務が通算で14年間と会社生活の半分以上を海外で過ごすこととなり(内サウジアラビアは2回の勤務通算で10年間)、海外で働きたいという本人の希望がかなえられたのは本当に幸運でした。
こうして海外生活が長くなり、異なった生活習慣の様々な人々の接点が増えるにつけ、言語は単に会話するための道具・手段というだけではなく、今日の日本においてもその時代の世相を反映させて流行語・新語が創出されることに代表されるようにその土地の社会・文化・慣習の変遷を反映させた歴史の宝庫であることに気づかされる毎日です。外大は本人のやる気次第で単なる会話術ではなく特定の言語の成立、背景を深く掘り下げることでその地域の社会・文化に対する理解を深めることを可能にする絶好の学習環境を提供してくれると思います。後輩諸氏におかれてはこの恵まれた環境を最大限有効活用され、是非世界に羽ばたいていってください。
(「東外大ニュース123号」に掲載されたものを、ご本人の了承を得て、こちらに掲載しています。)
安藤直美さん(1989年卒業 元国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)職員)
*1994年、ミズーリ大学コロンビア校ジャーナリズムスクールにて修士号取得。1996年、ジョージタウン大学現代中東事情センター修士課程中退。2000年、在京サウジアラビア大使館勤務の傍ら、NPO法人難民支援協会(JAR)の理事を務める。2002年5月、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)ガザ本部広報室、2004年4月より10月まで同機関の渉外部勤務。

なぜ紛争地で働くのか
私が在学当時はまだ最初の湾岸戦争勃発の前の時代であり、一般の人の中東への関心は今程高くなかった。語学にはあまりうだつのあがらない私であったが、指導教官の藤田教授の中東事情の講義の中でパレスチナ難民が書いた本を教材に使っていたことがその後の私の人生に大きな影響を与えた。私が在学中にパレスチナにおいて最初のインティファーダ(民衆蜂起)が勃発したことや、エドワード・サイードの「イスラム報道」等の翻訳本が当時出版されだしたことも影響した。数年後には米国において日米の中東報道分析のテーマでジャーナリズムの修士号取得。パレスチナ難民という人道問題からその他の国難民や移民問題にも関心を持ち、帰国後は日本国内における難民問題を取り扱うNGOの活動にも参加した。関心を持ち続け、何らかの努力をしていれば機会は訪れる。
2002年5月私はガザに本部があるUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の広報室で働くことになった。それはすでに第2次インティファーダが激化している時であった。
何故ガザのような紛争地で働くのか、東外大在学中に持った難民への関心は今から考えると非常にナイーブなものであったかもしれないが、その当時の感情が自分の中での源泉となっている。現地のことに関心があるのが相手に伝わるとたいていの場合、快く迎えられそしてこちらのことにも関心を示してくれるものだ。仕事以外でも現地の人と交流を持ったり、私的な時間で可能な限り現状を知るためにパレスチナの様々な場所を訪れた。
関心が強ければ、仮にその当事国に自分が身を置かなくてもできる仕事や活動はたくさんある。が、私は自分の目で現状を確かめ、それを外の世界に伝えるという仕事を望んだ。
治安が不安的な状況で果たして自分がどれ程巧みに仕事をこなし、また現地での対応ができていたかはわからない。しかしパレスチナで働いたことは私にとっては東外大在学中から抱き続けていた関心を職業という形で実践することであり、かつ今後私の中における関心をさらに深くさせるものであった。また異文化に身を置くこと、さらには平和な日本人には想像することすら難しい現地の状況に身を置くこととは、単に他への知識ではなく、自分とは何か、どう感じどう考えるか、何ができるか、などを常に考えることでもあった。

(「東外大ニュース123号」に掲載されたものを、ご本人の了承を得て、こちらに掲載しています。)
松尾博文さん(1989年卒業 日本経済新聞社勤務)
*1989年日本経済新聞社入社。現在編集局産業部次長。

二〇〇三年四月九日午後、イラク・バグダッド中心部にあるフェルドース広場に集まった市民がサダム・フセイン大統領の像を引き倒した。興奮した市民に完全武装の米軍も加わる。イラク戦争の開戦から二十日、右手を掲げる独裁者の像がゆっくり崩れ落ちる様は、文字通り政権の崩壊を世界に印象づけた。
私はその日、ペルシャ湾の島国バーレーンにいた。イラク戦争の取材拠点で翌朝の新聞記事執筆に追われながら、連日の睡眠不足から解放されることへの安堵感と、この結果がもたらすイラクの将来への不安が入り交じる複雑な気持ちでバグダッドからの映像に見入っていた。
新聞社に入社後、二度の中東勤務(テヘラン支局、カイロ支局)を通じて、中東・イスラム世界を自分の足で歩く機会を得た。東はアフガニスタンから西はモロッコまで、多彩な文化や人々の間に身を置くことで、中東が刻んできた歴史に直接触れることができた。
メソポタミア文明を育んだ二つの大河、チグリス川とユーフラテス川はイラク南部のクルナで合流し、シャトルアラブ川となってペルシャ湾に注ぐ。クルナはアダムとイブが禁断のリンゴを口にしたために楽園を追放されたとのいわれがある場所。今もそのリンゴの木とされる老木が残る。
イラク戦争の開戦直前、老木近くの合流点に立つと、流れの両岸に立ち枯れたままのナツメヤシ林が広がっていた。林の向こうはイラン領。ここは一九八〇年代にイラクとイランが数刻みで領土を奪い合った戦争の激戦地でもある。
今、この一帯に世界中の石油会社が熱い視線を送る。なつめやしの下に手つかずの石油が眠っているのだ。「この前までロシアとフランスの技術者でいっぱいだった。次に来るのはアメリカか、それとも日本かい」。合流点に立つおんぼろホテルの支配人が物憂げに聞いてきた。人類誕生から石油まで、クルナには様々な記憶が凝縮する。
フセイン政権が崩壊して三年半、残念ながら不安は的中し、イラクは米国が描いた安定とはほど遠い状況が続く。複雑な民族・宗派の対立が火を噴き、隣人同士が憎み合う内線寸前の状態にある。中東の気の遠くなるような歴史は決して「過去」ではない。延長線上にある「現在」に濃密に影を落とす。歴史の目撃者としてどう世界と接するのか、東京外国語大学はそのきっかけをつかむ場所だったと考えている。(2005年秋記)

(「東外大ニュース123号」に掲載されたものを、ご本人の了承を得て、こちらに掲載しています。)
芦名謙太郎さん(1997年卒業 新日本石油勤務)
*1997年三菱石油(現、新日本石油)入社。現在、ベトナムに駐在。

在校生の皆さん初めまして。私は1993年に当時の中東語学科に20名のアラビア語専攻生の一人として入学し、西ヶ原キャンパスで4年間の大学生活を過ごしました。その後、97年に卒業と同時に三菱石油(現・新日本石油)に入社し、現在に至ります。
入社直後は、仙台にある製油所で現場管理の仕事を3年間行いました。その後、本社へ異動となりましたが、突然、外務省への出向を命じられ、WTO(世界貿易機関)を専門に扱う課に2年間勤務しました。ここでは、公務員とは5時に退社できるものという想像に反して、かなり忙しい思いもしましたが、国際会議に出席して発言する場を与えられるなど、貴重な経験もさせてもらいました。
外務省勤務後は、新日本石油に戻り、原油・ガスの採掘、生産を行う部門に勤務し、昨年4月からは、当社が操業するベトナム沖油田のオペレーション事務所に勤務しています。現在の仕事は、プロジェクトの経済性評価や、数多くの契約の管理、また契約締結の交渉を、国営石油会社や、共同出資する米国石油会社を相手に行っています。
石油会社というと、アラビア語を活かした仕事を目指したのかと思われがちですが、私は熱心に学んだ学生ではありませんでした。学生時代にもっと勉強しておけば、と思うことが年を追う毎に増え、そのたびに読み慣れない専門書を開き格闘する日々ですが、多くは、財務経理、法律、など、大学時代には楽に単位が取れることだけで選んだ一般教養に関することが殆どです。
卒業後社会に出た後も、アラビア語に携わりそれを生業とできれば素晴らしいことですが、実際には全員がそのような道に進むのは難しいと思います。また、私のように、卒業後10年経ってベトナム語を学んだりと、社会に出ると予想しなかったことも色々と起こります。在校生の皆さんには、アラビア語はもちろん、それ以外のことにも視野を広げ、色々な事に関心を広めてみることをお薦めします。

澤畑剛さん(1998年卒業 日本放送協会勤務)
*1998年日本放送協会入社。2007年6月からカイロ支局。

アラビア語の強み
中東報道に携わって3年。大学で学んだアラビア語がいかに強力な武器であるかを実感するとともに、もっと真面目に勉強しておけばよかったと後悔の日々を送っている。
アラビア半島の南端イエメンで、テロ事件の裁判を取材した際、鉄格子の向こう側でわめき散らすアルカイダの被告達に対して「タアールー!」と呼び寄せて、格子の間にマイクを突っ込んで話を聞く。また、アラブ各国の指導者に単独インタビューする際は、通訳を介さないが故に、相手が独裁者であろうが構わず、話し途中にビシバシ突っ込みを入れる。
英語のメディアはもちろん、指導者の演説の垂れ流しが多いアラブメディアでは不可能な取材ができているのかも知れないと時折思う。要するに、報道におけるアラビア語のメリットは▼庶民から国家元首まであらゆる人々に接触できること▼通訳を介さずにたっぷりと話が聞けること▼アラビア語の新聞テレビ等、翻訳されない無数のアラビア語情報にアクセスできることだと思う。
なぜアラビア語を選んだのか?
この問いは、アラビア語専攻者がどんな進路に進もうとも、ずっとまとわりついてくる。アラビア語というだけで、世間からは奇異の目で見られ、問い詰められるケースも少なくない。私の場合は「高校時代に湾岸戦争があって、当時、アラブはすごくブームだったから」と答えることにしている。すると、たいていの場合「えっブーム?物騒なだけでしょ」と冷たく反論されるので、「アラブの面白さ」をじっくり語ることにしている。
皆さんが卒業後、「なぜアラビア語を選んだのか?」と問われたときに、はつらつと語れる自分がいるのかどうか、頭のほんの片隅に置いて、頑張ってください!

落合一郎さん(1998年卒業 清水建設勤務)
*1998年清水建設入社。現在、シンガポールに駐在。

私は、平成10年に中東語学科(アラビア語専攻)を卒業し、同年、清水建設に入社しました。入社以来、何度となく「なぜ外語大を出て(しかもアラビア語!)、ゼネコンなのか」と問われました。実は就職活動中にいろいろな産業の面接を受けていたのですが、一番肌に合っていそうな会社が今の会社というのが一番の理由だったと思います。あとは、特に発展途上国といわれる国々でのインフラ整備に携わりたかったという思いもありました。当時はインフラ整備=建設会社と考えていましたが、考えてみると、どのような産業でも関わることができるということが分かりました。今となっては後の祭りですが。
入社直後に横浜支店に配属され、主に現場を中心に3年程横浜で勤務しました。この3年程度の短い間に仕事を覚えるのは勿論ですが、いろいろな人たちと会えて、本当にいい経験ができたと思っています。職人さん達と呑んで暴れて、その後叱られたりと社会人として最低限して良いことと悪いことを教えてもらいました。貴重な3年間だったと思います。
その後は海外土木支店という部署に配属されました。この部署は海外の橋梁、ダム、港湾等、土木工事を施工する部隊です。最初の2年は東京の本社で海外土木工事の経理部署にいて、その後マレーシアのクアラルンプールで発注された下水処理施設工事(総工費300億円程)の事務を担当しました。クアラルンプールで3年ほど勤務した後、2007年2月にシンガポールに異動となり、現在に至ります。
これまで、出張を含め、いろいろな国で仕事をしましたが、成績は別として一番時間を割いて勉強したアラビア語やアラブに関する知識を活用する機会にはあまり恵まれていません。ただ、大学で学んだ知識、経験は今でも物事を考える際の基礎となり、支えとなっていると感じます。できれば、近い将来、中東で仕事が出来ると良いのですが。
ところで、この前、出張でヨルダンのアンマンに行きました。現地のスタッフに得意のアラビア語を披露したのですが、あまりに下手で笑われてしまいました。皆さん勉強頑張ってくださいね。
高野洋子さん(2003年卒業 日建設計勤務)
*日建設計勤務。

ほんの数十年前は全くの砂漠と漁村だったUAEのドバイが、昨今の不動産開発・投資ブームに乗ってビルの建設ラッシュが続いています。アッラーをも恐れない(?)世界一高いタワーの建設競争、海岸線を完全に変えてしまうほどの埋め立てリゾート開発、一方で全市民の90%の外国人、主にインドやパキスタンからの労働者によってそのブームが支えられているという状況は、インド経済の向上を受けて帰国する人が増加、これから徐々に様変わりをしていきそうです。
昨年4月から日本の設計会社でドバイや他の中東の案件を担当しています。それまではアラブとは全く関係ない仕事を転々としていましたが、これもナイル川の水を飲んだからでしょう、アラブの世界に戻ってきました。所属の部署では顧客との契約交渉・折衝、現地業者とのやりとりなどを担当しています(まだまだ見習いですが)。また昨年は弊社を含め日本企業11社でアブダビとドバイで日本の環境技術を紹介するイベントを開催、その業務で2ヶ月半ほどドバイに滞在しました。
ここにきて在学中にあまり勉強しなかったのが悔やまれます。アラビア語はもとより、その背景になる文化や慣習、発想の仕方等の全てが、先方の考え方や交渉の戦略を知るために重要なものだからです。値段の出し方や契約の条項の入れ方、またその解釈、一歩間違えば大損害を被る中で、先方がどの見地から対象を見ているのかを知ることがいかに大切かを日々痛感しています。
なぜアラビア語を勉強するのか。すぐに答えが出せる方もいれば、私がそうであったように卒業間近になっても見つけられない方もいるかも知れません。でも何かの縁でアラビア文字を目の前にしてその世界を学んでいるという機会を、また「言語」という普遍の学問に触れている貴重で贅沢な時間を、是非楽しんでくださいね。これから先さまざまな場面で、きっとその経験は生きるはずです。
(2008年8月記)
小澤祥子さん(2004年卒業 日本学術振興会勤務)
*東京大学大学院修士課程に進んだ後、2006年より独立行政法人日本学術振興会研究事業課に勤務

生きたアラビア語にふれてほしい~留学のススメ~
大学でひと通り文法を学んだものの、いまいちアラビア語の勉強に身が入らなくて悩んでいる人がいたら、ぜひ現地に留学してみることをおすすめします。
私は2005年10月から翌年の3月まで、シリアはダマスカスに留学しましたが、その時に日常で話されているアラビア語の豊かさを知ったことが、細々ながらも現在までこの言語を学びつづけているきっかけとなりました。新聞記事や論文を読むのにつかれたら、ぜひ、毎日アラブ人たちが交わしているあったかい挨拶や、市場でのおばちゃんと八百屋の真剣値引勝負などのいきいきとした部分にふれて、アラビア語のあらたな魅力を知ってほしい。そう思うのです。
さて、もちろん外大生でなくても留学はできるわけですが、交流協定制度や豊富な留学情報、また中東各地に散らばる同窓生人脈は、留学生活を何倍も円滑かつ豊かにしてくれる頼もしい存在です。
自分のケースを振り返っても、渡航前に留学生活のイロハや現地での知り合いを教えてくれた先輩方、滞在中に住居から学校の手続きまで、あらゆる局面で手をかしてくれた同級生や在学生の後輩たち、これらの同窓生なくしては、半年間にあれだけ充実した時間を送ることはできませんでした。“最先端の研究設備”のように見てすぐわかるものではないですが、創設以来築かれてきた人のネットワークや情報の蓄積は、アラビア語専攻のほこるべき財産だと思います。
現在の仕事
現在私は、日本学術振興会というところで働いています。私のいる研究事業課では、研究資金の助成事業の審査(どの研究グループに助成するか)や評価(採択されたグループの研究の進み具合はどうか)を行っています。残念ながら職場でアラビア語を使う機会はありませんが、これまで縁のなかった理系分野を含め、いまの学問の全体図を見渡すことができるたいへん興味深い仕事です。
最近、アラブ世界や中東に関係する研究プロジェクトやシンポジウムを目にする機会が多く、とてもうれしいです。中東に対する関心の高まり、これは学術の世界だけではなく、文化や経済など様々な分野に共通する傾向だと思うので、中東やアラビア語にかかわる仕事がしたい!という人は、「そんな仕事、なかなかないよ」と水さす周囲の声に負けず、粘り強く夢を追求してください。心から応援しています。
私も近い将来、中東との学術交流にかかわる機会を得られることを願いつつ、その時のために、日々アラビア語の鍛錬を忘れないようにしたいと思います。

高橋友佳理さん(2005年卒業 朝日新聞社勤務)
*2005年朝日新聞社入社。現在奈良総局員。

アラビア語科に入学したこと、それは私にとって新しい世界の始まりだったと思っている。考古学が好きで、中でも特に古代エジプト文明にひかれていた私は、ただ「なんとなく」、当時話題になることの少なかったアラブ世界の門戸をたたいた。そして学んでみて、「世界で最も難しい言語の一つ」と聞いていた言語の難しさ、美しさ、そしてその深い精神世界に目を見張った。
アラビア語の勉強に四苦八苦していた大学2年のとき、2001年の9月11日がきた。世の中が見てこなかった世界にスポットが当たり始めたのを感じる。02年夏からは1年間、カイロ大に留学。学生のデモで街中が騒然となる中、米国によるイラク攻撃が始まる。人々の怒りを、肌で感じた。 新聞社に入社してからは3年間、青森に赴任し、この4月から奈良で働いている。入社してからは残念なことに、アラブ、アラビア語にかかわる仕事は全くできていない。青森では他の多くの記者がそうであるように、警察担当から始まり、青森市政、選挙、教育などさまざまな取材をした。大雪の中、帰宅する警察官を何時間も家の前で待って凍えそうになったり、他社との競争のなか、「特ダネ」がとれずに苦しい日々を送ったり。 だが苦しいときにいつも思い出すのは、アラビア語の勉強で苦しんだことだ。「あの勉強に耐えたんだからこれしきのこと……」と何度雪の中で歯を食いしばったことか。そしていつかアラブの報道に携わりたいという夢が、私をこの仕事にとどまらせている。 最後に。大切にして欲しいのが、この語科で出会った友人たちだ。社会に出れば、特定の職業を除いてアラブの話題で盛り上がることは少ないだろう。孤独を感じることもたびたびだ。そんなとき、たまに会った友人の「アラブトーク」に、涙が出そうになるほど懐かしさを覚えるのは私だけではないのではないか。日々の仕事に追われて、恥ずかしながらアラビア語の勉強はできていないが、そんなとき、「もう一度学び直したい」と真剣に思うのだ。(2008年8月記)

寺嶋直之さん(2006年卒業 外務省勤務)
*2006年4月外務省入省。現在、カイロにて研修中。

私は、大学在学中にエジプトのアインシャムス大学に一年間留学。卒業後、外務省に入省。一年間の本省勤務を経て、現在アラビア語研修生として在エジプト大使館に所属し、日々アラビア語の研鑽に努めています。
アラビア語専攻に所属すると『アラビア語をやって仕事に就けるのか』と誰もが一度は考えます。しかし、直接仕事に結びつくか否かは、大学時代それ程重要な事ではないと思います。
アラビア語を獲得する過程で、私達はアラブやイスラムといった異質なものの内側に入り込んでいきます。その世界はどんな所でしょう?砂漠ですか?石油臭い戦場ですか?
もちろん砂漠や戦争を抜きに中東は語れません。しかしシャルカーウィの『大地』という小説を読んでみてください。そこには活き活きとした農民生活が描かれています。ナギーブ・マフフーズの『バイナル・カスライン』、そこには活気溢れるカイロの下町生活が描かれています。砂漠や戦争でないアラブが、そこにあります。
これは一つの例に過ぎません。中東を知るということは、同時に、私たちが普段何気なく持っている“イメージ”が如何に正確でないかを知ることでもあるのです。幸か不幸か、この世界は日本人に馴染みが薄いため、このような体験を山ほどします。そのうち私達は既成概念に囚われず、人とちょっと違った視点で世界を見る人になっているでしょう。そしてこれは、必ず私達の 大きな“魅力”の一つとなるでしょう。
大学時代に重要なのは、“魅力”を自分の中に創り出すことです。自分が所属する集団(ゼミ、サークル、会社、社会etc.)に“Contribution”ができる何らかの“魅力”。これを獲得できるなら、アラビア語に拘る必要はありません。しかし、日本と地理的・精神的に遠いアラブを学ぶことは、“魅力”を獲得する一つの近道ではないかと思います。 アラビア語を始めて早6年経ちますが、未だにアラブの奥深さを実感する毎日です。一緒にがんばっていきましょう。(2007年10月記)

卒業生のみなさまへ
2012年度、東外大は大きく変わりました。外国語学部はなくなり、国際社会学部と言語文化学部のふたつに改編されました。その大きな変化の中で、「アラビア語」も大きく変わりました。先の改編ではアラビア語学科であったものが、「専攻語」としてのアラビア語に変わりましたが、今回は「地域言語」としてのアラビア語になりました。
組織の改編や名称の変化はさておき、最大の変化は学生の数が倍増したことです。今年は両学部を合わせて、32名の学生が入学し、今、アラビア語の初歩と格闘しています。30名を超す学生の並ぶ教室というのは、「アラビア語学科」誕生以降の歴史で初めてで、世界におけるアラビア語の重要性と比べてあまりにも小さかった外語大での「アラビア語」の存在感がようやく少しだけ是正されたという感じです。
残念ながら、専任の教員の数は増えてはおりませんが、非常勤の先生方に応援をお願いし、授業の数は大幅に増加しています。会話など小規模のクラスが求められる授業では、2クラスに分けて授業が行われます。また旧・副専攻語(一般外国語)としてアラビア語を学ぶ学生も着実に増え、なかには専攻の学生よりできるようになる、うれしい(困った?)例も出るようになりました。
またここ数年、本学の本郷サテライトにおいて、一般向けのアラビア語のコースを開講しています。このオープンアカデミーでは、本学の非常勤講師が指導にあたり、初級および初中級のアラビア語を教えています。もしみなさんの周りにアラビア語に関心のある方がいらっしゃれば、ぜひご紹介ください。(2012年5月記)
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みなさまのなかには震災の被害を受けられた方はいらっしゃいますでしょうか。被災地の一日も早い復興を心より祈っております。
幸いなことにアラビア語専攻に関しては、スタッフおよび在学生のなかにはとくに甚大な被害を受けた者はいない模様です。
卒業式、入学式ともに、例年とは異なり、学内のプロメテウスホールで二部制にして、規模を縮小して行われましたが、教員と学生の距離が小さくなり、かえってよかったという声もありました。
アラビア語専攻ではこの4月、新しいスタッフを迎えました。6年間アラビア語教育に力を尽くしてくださったハナーン先生が任期を終えて帰国され、その後任として同じくカイロ大学のイハーブ先生が着任されました。
ペルシャ語およびトルコ語専攻といっしょに運営している「日本語で読む中東メディア」というサイトはご存知でしょうか。メディアでも取りあげられ、関心を集めております。トップページにリンクが張ってありますので、よろしければ後輩たちが頑張っている様子を見てやってください。(2011年4月記)
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今年も新しいメンバーを迎えました。初々しい1年生が15人、現在、なんとかアラビア文字を制覇し、複雑な文法の世界に足を踏み入れたところです。最近は一般入試で入ってくる学生の背景も多様化・国際化してきました。さらにアラブ世界からの留学生も以前より増え、大学にいながらにして、国境線をまたいでしまうかのようです。
4年生は就職活動に励んでいます。去年の4年生とは大違いに厳しい状況での活動となりました。卒業生の皆様には、お話を聞きに伺ったり、相談に乗っていただいたりと、すでにお力添えいただいている様子。心より御礼申し上げます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
学生にとって有益な情報などありましたら、ぜひトップページ下に記したアドレスまで、お知らせください。HPに掲載させていただきます。また「卒業生からのメッセージ」にも文章を頂ければ幸いです。(2009年4月記)
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藤田先生の後任として、4月1日に青山弘之准教授が着任しました。アラビア語専攻は、八木、ラトクリフ、青山+特任外国人教員の4人の体制で今後やっていくことになりました。
4月9日、入学式が行われ、アラビア語専攻でも新しいメンバーを迎え入れました。全17人中、10人が男子学生で、3~4年ぶりに「西ヶ原時代」を思い出させる状況です。まだ見慣れぬアラビア文字と、驚くような文法に悪戦苦闘していますが、すぐに慣れることでしょう。いろいろな場でみなさまにお世話になることもあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。(2008年4月記)
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トップページに「最終講義および送別会」のご案内を載せておりますが、この3月をもちまして、長年本学アラビア語学科、現アラビア語専攻で教鞭をとられた藤田進先生が定年を迎えられ、退職なさいます。
1974年に助手として着任されて以来、これまでたくさんの学生を指導してこられました。これを読んでくださっている方の中には、まだ若かったころの「兄貴」のような藤田先生にアラビア語の手ほどきを受けた方もいらっしゃるのではないかと思います。
21日は平日ということもあり、なかなか時間をとるのが難しいかもしれませんが、藤田先生の講義を外語大で聞くことのできる最後の機会です。どうぞ、万障お繰り合わせの上、ぜひご参加ください。その後の送別会だけのご参加でも、もちろん結構です。
学生たちが名乗り出て、今、準備を進めている最中です。在学生ともども、大勢の皆様のお越しをお待ちしております。(2008年2月記)
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4年生の就職活動がほとんど終わりました。今年はかなり状況がよくなり、多くの学生が希望をかなえることができたようです。みなさまにはいろいろとご支援いただき、ありがとうございました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
外語祭まであと1ヶ月ほどとなり、1年生は料理店、2年生は語劇の準備に励んでいます。先日、学内の留学生を中心にラマダン明けのパーティ(イードゥル・フィトゥル)が開かれたのですが、1年生は料理の練習のよい機会を得たようです。語劇は21日14時40分から行われます。平日ですが、もしご都合が会えばぜひ後輩たちの練習の成果を見てください。
外語祭開催中、23日に高校生を対象にしたオープンキャンパスが開かれます。その際、体験授業を行いますが、今年は藤田さんが担当です。周りにアラビア語の受験を考えている方がいらっしゃいましたら、ぜひ参加するようお勧めください。
なお、藤田さんは今年が最後の年で、3月で定年を迎えられます。藤田さんのいる外語を訪れる数少ないチャンスです。卒業後、足が遠のいていた方も、今年はぜひ、外語祭においでください。(2007年10月記)
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今年も17名の新しいメンバーがアラビア語専攻に加わりました。新歓コンパ、新入生オリエンテーション旅行を終え、すでにアラビア語専攻のメンバーとして、すっかり馴染んでいます。
来春卒業する予定の4年生の就職活動が終わろうとしています。さまざまな形で、卒業生の皆様にはお世話になりました。卒業後の進路については、なかなか教員の限られた知識では適切なアドバイスができないことが少なくありません。どうぞ今後とも、後輩の学生にとって迷うことの多い、この決断の時期にアドバイス、そしてできるだけのご支援をお願いいたします。
アラビア語専攻の新しいHPでは「卒業生からのメッセージ」というページを設け、みなさんから後輩へのメッセージを掲載しています。今のところ、こちらから連絡できる方にお願いして書いていただいたものを掲載、あるいは「外語大ニュース」に掲載されたものを(了承をいただいた上で)こちらにも載せいます。ですが、これからはできるだけ多くの方の文章を紹介したいと思います。お忙しいこととは思いますが、よろしければ、こちらへメッセージをお寄せください。お待ちしております。
在学生へのメッセージだけでなく、他にも卒業生としてこのHPに載せてほしいという情報がありましたら、ご連絡ください。対応が遅くなること、ご希望にすぐに添えないことがあるかとは思いますが、よろしくお願いいたします。 (2007年6月)
藤田進教授最終講義
2008年2月21日、今年度をもって定年を迎えられ退職される藤田進先生の最終講義が行われ、その後、先生を囲む会が開催されました。平日の午後であるにもかかわらず、多くの方に参加していただきました。講義のタイトルは、「『パレスチナ難民』を軸に現代世界を考察する試み」。藤田先生のこれまでのお仕事の集大成といえるようなお話を伺うことができました。
最終講義
タイトル:「『パレスチナ難民』を軸に現代世界を考察する試み」
場所:研究講義棟 107教室
時間:16:30~18:00






藤田先生を囲む会
場所:大学会館 円形ホール
時間:18:15~17:45
















二次会は多磨駅前の「なにわ」で。入りきれない人もいて申し訳ないことをしました。でも「居酒屋の藤田先生」には今後ともお目にかかれることでしょう。
以下に懇親会参加者の写真をいくつか載せておきます。(もしも掲載がまずいという場合はご連絡ください。すぐに下ろします。)懐かしい顔があるかもしれません。探してください。












(最後に)藤田先生、長い間、ありがとうございました。
高校生のみなさまへ
体験授業、オープンキャンパスなど
東京外国語大学では、毎年二回オープンキャンバスを行っています。オープンキャンパスでは、体験授業のほか、二年生による相談会も行う予定です。現役の学生から外語での生活について、そしてアラビア語専攻で学ぶということについて、生の声を聞くことができます。例年7月と11月に開催されています。11月の方は外語祭期間中ですので、1年生によるアラブ料理店、そして(日程が合えば)2年生のアラビア語劇を通して、アラビア語専攻での学生生活をのぞいて見ることができます。
なお2012年のオープンキャンパスは7月28日(土)と11月23日(祝)に予定されています。ぜひこれらの機会に、外語大までお越しください。詳しくは、こちらをどうぞ。
なお、本学で行われる体験授業以外に、アラビア語専攻の教員が高校に出向いて授業を行うこともあります。
専任教員からのメッセージ
「アラビア語専攻」という名前から誤解してしまいがちなのは、ここがアラビア語の習得を目的とした場所だと考えることです。たしかにアラビア語を勉強することは絶対の条件。これをやり遂げないと、卒業できません。しかしアラビア語という言語を学ぶことは、アラブ世界について勉強するための道具を手に入れるということであり、それ以上ではないのです。日本語がまったく分からない外国人の学生が、日本研究を専攻していると言っても、相手にされないのは当然。英語が分からない人が、アメリカの現代政治を学んだと言っても、問題外なのと同じです。
ですから、みなさんに考えて欲しいのは、アラビア語を使って何を知りたいのかということです。アラブの小説を読んでアラブ人の内面を見たいのか、アラビア語の新聞を読んで日本では報道されないアラブ世界の現実を知りたいのか、それともアラビア語という言語について他の言語と比較してみたいのか。そういうことです。
アラビア語は日本語とも、そして多くの皆さんにとってこれまでに学んだことのある唯一の外国語である英語とも、全く異なる言語です。そのため、最初は驚くことばかりでしょう。とくに1年生の1学期は泣きたくなるかもしれません。しかしその分、得るところも大きい!なぜなら、、アラビア語を使いこなせる人は日本ではまだまだ少なく、アラビア語を理解し、アラブの文化に通じている人材は様々な場所で必要とされているからです。
アラビア語は世界の20カ国以上で使われている言語です。さらに世界の5人に1人という存在感を示すイスラム教徒にとって大切な言語でもあります。アラビア語によって開ける世界は、幅が広く、かつ奥が深いということですね。みなさんもぜひ、東京外国語大学でアラビア語を学んでみませんか?
客員教員からのメッセージ(日本語訳)
神の慈愛と恵み、そして平安がみなさんの上にありますように
アラビア語は世界でもっとも広く使われている言語のひとつです。アラブ世界という名で知られている地域で話されているだけでなく、イラン、トルコ、チャド、マリ、セネガルなど隣接する他の多くの地域でも使われています。アラビア語はアラブ世界のすべての国(22カ国)、そしてイスラエル、チャド、エリトリアで公用語であり、国連公用語のひとつにもされています。
それだけでなく、アラビア語は(イスラムの聖典である)コーランの言語です。つまり地球上のすべての場所にいるイスラム教徒にとって重要な言語ということです。ですからアラビア語を学べば、イスラム文明、イスラム教徒、アラブ世界などを身近なものとして知ることができます。
アラビア語は28の文字を持ち、右から左に書きます。しばしばアラビア語は難しいと言われますが、私は「人々が話すことばに難しいことばなどない」という説に賛成です。皆さんはこれについてどう思われますか?みなさんにアラビア語専攻でお会いできることを楽しみにしています。
(原文)
السلام عليكم ورحمة الله وبركاته
اللغة العربية هي إحدى أكثر اللغات انتشارا في العالم، ويتوزع متحدثوها في المنطقة المعروفة باسم العالم العربي، بالإضافة إلى العديد من المناطق الأخرى المجاورة كإيران وتركيا وتشاد ومالي والسنغال، فهي اللغة الرسمية في كل دول العالم العربي إضافة إلى إسرائيل وتشاد واريتريا، ولقد اعتمدت كإحدى لغات منظمة الأمم المتحدة.
علاوة على كل هذا فهي لغة القرآن الكريم، أي إنها لغة مهمة للمسلمين في جميع أنحاء الكرة الأرضية. عن طريق دراسة العربية يمكنكم التعرف عن قرب على الحضارة الإسلامية والمسلمين، والعالم العربي…إلخ .
تحتوي اللغة العربية على 28 حرفا وتكتب من اليمين إلى اليسار. كثيراً مايقال إن اللغة العربية صعبة، ولكني مع مقولة ” لا توجد لغة صعبة يتكلمها شعب”، ما رأيكم في هذه المقولة ؟ إنني اتشوق للقائكم في قسمنا.
在学生からのメッセージ
2008年入学
アクバル・タスミンさん
高校生のみなさん、こんにちは。
みなさんはアラブというとどのようなイメージを持ちますか?
私は高校生のとき、アラブ世界に対してとても漠然としたイメージを抱いていました。
アラブってどんなところなんだろう?そんな好奇心を持ってアラビア語科の一員となりました。
大学に入ってからアラビア語やアラブの政治、社会、文化、宗教などさまざまなことを勉強することは、私にとって本当にわくわくすることばかりでした。
大学での4年間は本当になんでもできる、貴重な4年間です。その4年間もしくはその後したいことを形にするための知識や意欲を、アラビア語科での日々が私に与えてくれたと思っています。
新しいことを学ぶ楽しさ、未知の世界を知るおもしろさ。そんなことを改めて感じさせてくれたアラビア語科での日々やアラビア語科でともに学んだ仲間に本当に感謝しています。
たくさんの魅力をもつアラビア語科でみなさんにお会いできることを専攻生一同心からお待ちしております。(2011年5月記)
栗原友美さん
受験生の皆さん、こんにちは。なにはともあれ、ここを訪れてくれてありがとうございます。
私が外語大のアラビア語科で勉強したいと思った最初のきっかけは、あの(よくミミズのようだと言われますが)大変美しいアラビア文字でした。しかしだんだんと、私たち日本人にとっては遠く異世界に感じられる「イスラム世界」「アラブ圏」に生きる人たちについて知り、接することができたら、という思いが強くなっていき、受験、入学するに至りました。
大学ではアラビア語の授業と、それとともにイスラム教やアラブ圏についての基礎知識の授業、また最近は日本メディアの中東地域に関する報道の問題点に関する授業などを受け、多くの分野に興味がわいてきました。外語大では、外国語だけでなく、文学、宗教、政治、経済そのほか多くを、狭く深くも、広く浅くも、自分次第で広く深くも学べます。また、何より外語大の素晴らしいところは、人数が少ないからやっぱり仲間意識が生まれるし、教授と接する機会がかなり多く持て、そういった人々と沢山話したり相談事をしたりできるというところにあると思います。
外国語(とくにアラビア語!)は難しくて忍耐力も必要とされるし、大学生って自由だけど自己責任で自分次第だし、ある意味すごく難しいと思います。でも、周りには親身になって相談に乗ってくれる人がいます、だから大丈夫。なんでしょう、うまく伝わってなかったら、と不安ですが、とにかく私は今の環境に大いに感謝しています。大学にこんな満足できるのって幸せだな、と思います。あなたもきっと入ればわかる、入らなきゃ分かんない、アラビア語科の面白さ。専攻生一同、あなたをお待ちしております!(2009年5月記)
2007年入学
受験生の皆さん、こんにちは。
僕はまだ19年しか生きていませんが、今が、人生で一番充実しています。
こいつは突然何を言い出すのかと思うかもしれませんが、ホントなんだから仕方ありません。語学はいかに継続するかなので、予習復習に追われ、一方で僕は部活にも追われ、忙しい毎日ですが、それでも日々を楽しんでいます。今している努力で、夢に向かって一歩一歩近けることを幸せに感じています。
「でも自分には夢がないし・・・頑張れるかわからない」という人も安心して下さい。『なんとなく』でアラビア語科に入った人も大勢います。大丈夫。それも大正解です。アラビア語科といっても、アラビア語だけを4年間学ぶというワケではありません。語学と同時に、アラブ世界についても学びます。これが、たーんのしいのなんのって!
あなたは小さい頃、普段行かない隣町の隣町まで探険したことはありませんか? 隣町はよく知っていても、隣町の隣町は知らない事だらけで、こんなところにお菓子屋さんがあるんだとか、ここのおもちゃ屋さんまた来ようとか、すごくわくわくしませんでしたか。アラブ世界を学ぶこともそれと同じようなものだと僕は思います。残念ながら、アラブ世界は、日本から最も遠い隣町のように感じます。もちろん、その最も遠い隣町でも、人々が僕達と同じように、面白ければ笑って、悲しければ泣いて、愛し合って生きています。アラブ世界を隣町のように知っている日本人は本当に少ないようです。しかし、そんなアラブ世界について学ぶことは、とても楽しく探険のようでわくわくします。
みなさんも是非、アラビア語科に入って一緒に学びましょう。専攻生一同お待ちしております。
戸川詩織さん
高校生のみなさん、こんにちは!
なんでアラビア語科なの?
両親にも友達にも学校の先生にも、飽きてしまうほど聞かれたこの質問。
入学してからもやっぱり聞かれちゃいます。
理由は何にせよ、あなたは自分の言葉でこの質問に答えられますか?
私がアラビア語科を選んだのは、日本のニュースで報道される事件だけではわからない、アラブのことやアラブの人々、イスラームのことを、知りたかったから。そうしてここに入学して1年。まだまだ知らないことの方が多く、毎日が勉強です。そんな中で、アラブやイスラームへの関心や疑問がより一層広がるばかり。そして時に、自分が何を勉強したいのかわからなくなってしまったり、何をすべきなのか迷い立ち止まってしまうこともあります。でも、そんな時、アラビア語科の頼りになる先生方や先輩方、一緒に考えてくれる友達がいつも私に何かヒントを与えてくれます。周りにこんなに頼れる人たちがいるのも、小語科だから、そしてアラビア語科だからではないでしょうか。
そんな貴重な出会いはもちろん、アラビア語やアラブ世界、イスラームについて学び体験したからこそ養われた、今までとは別の角度からの視点もここで得られた大きなものです。高校生のころは、イスラーム、アラブ、といわれても、世界史で得られる知識しか持ち合わせてなかったし、日本のニュースで得られるわずかな情報に満足していた部分もありました。そんな自分に疑問をもって、もっと知りたいと思って飛び込んでみたこの世界。そこには、とっても濃い、一度踏み入れたらやみつきになるような世界が待っていました。もしアラビア語科じゃなかったら…、今の私には想像がつきません。
だんだん入りたくなってきました? 絶対アラ科に入りたいあなたとも、まだ決めかねているあなたとも、大学でお会いできることを楽しみにしております。
2004年入学
鳥居洋介さん
受験生の皆さん、こんにちは。
私は2006年の春に初めてアラブを旅行しました。片言でもアラブ人と意志疎通できたことで、この旅が一層楽しいものになりました。ユーフラテス川の恵を頂くベドウィンの末裔、アレッポでひっそりと根強くイスラム教と共生するキリスト教少数派、ダマスカスの都会的な街並み、日本人に対する奇異の目、羊を丸ごと使って客をもてなす寛大な心、……(アラブと言ってもシリアにしか行っていないのですが、それでも)この地域の魅力や謎は枚挙に暇がないほどです。
言語を使いこなすことにも価値はありますが、習得するまでの地道な過程にこそ注目すべきだと思います。辞書で一単語ひくにも、載っているのに探し出せないこともありました。しかしそのような試練に耐えていくうちに単語を見つける時間も短くなり、単語を覚えていきます。新聞や本を辞書なしで読めるようになってそれまでの道のりを振り返った時の達成感は一入です。だからこそ文字も文法も発音も日本人には馴染みのないアラビア語を選んで、みっちり学んでみませんか!?
皆さんのやる気に満ちた挑戦をアラビア語専攻一同は心よりお待ちしております。
新谷美央さん
受験生のみなさん、はじめまして。
みなさんがアラビア語に興味をもたれたきっかけは何でしょうか。私はといえば、「なんとなく面白そう」と入学してここに至ります。今も楽しんでいます。
アラビア語を始めて最初の1ヶ月は、どう見てもみみずにしか見えない点と線を「これは文字だ」と自分に言い聞かせ、続く3ヶ月は文法の理不尽さに先生に泣きつき…といった状況でしたが、慣れとは面白いものです。現在では、中東地域の新聞を他と読み比べて報道の仕方の違いを感じたり、様々な地域の方言を勉強したりしています。アラビア語は広く使われている言語なので、色々幅がでてきますよ。
また、アラビア語専攻は学年で20人もいない上に、縦のつながりが強いので、同級生や先輩後輩、先生とまで仲良くなることができます。個人的には、外語大に来て大人数の専攻に入るのはもったいない、とさえ感じています。
こんな様子のアラビア語専攻、いかがでしょうか?
過去に掲載した写真











