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2013年12月 アーカイブ

2013年12月 1日

「超個人的ガイド to ロシア(文責:工藤なお)」 (2)

★「ペテルブルグ演劇案内②」
定番篇②「マールイ・ドラマ劇場」Малый драматический театр
演目:『悪霊』(9/22)、『人生と運命』(11/17)

もう一人のビッグネーム、レフ・ドーヂンによる驚異の9時間演劇『悪霊』(ドストエフスキー原作)です。
客層もやはりペテルブルグでも相当な演劇好きが多い感じ、しかし若者も結構いて驚きました。しかも脱落者はほとんどいません。
アレクサンドリンスキー劇場のフォーキンがより前衛的な演出方法による一方、ドーヂンの演出はよりクラシックな演出だと言えるでしょう。

『悪霊』の演出もオーソドックスな感じで、淡々と進んで行きます。9時間ともなると、俳優の側には「化けの皮がはがれる」ことのない正確で粘り強い実力が要求される、恐らくそのためもあると思いますが、配役はベテランが占めており、『悪霊』固有のあの「若気の至り」感には若干欠ける印象がありました。あとスタヴローギンの告白のところも、淡々としていてちょっとあっさり過ぎるかな、と思いました。こういった欠点を、しかし補って余りある力、のようなものは確かに存在するので、一生に一度の演劇としての価値は確実にあります。腰に問題を抱えていなければ、ぜひ。

また、『人生と運命』(グロスマン原作)を観て思ったのは、フォーキンによる演出が、人間の動きをカリカチュア化し「脱臼」させたような動きを志向するのに対し、ドーヂンは、例えば劇中で登場人物が「本当に食事をする」ように、人間の「生々しさ」のようなものに焦点を当てている、と言えそうです。それを支えているのは、俳優一人一人の確かな演技力でしょう。
『人生』のほうも舞台装置は、主にステージを二分する柵と家財道具だけ、というかなりミニマルな舞台です。

ドーヂンの演出は、余計なものを出来るだけ排除し、俳優を際立たせることに力点を置いているように思います。それは、「非言語的なことば」に多くを負うフォーキンの演出に比べ、わたしのような悪い観客(ことばをよく解さない観客)にとっては少しハードルが高いかもしれません。しかしそれを考慮に入れてみたとしても、やはり終劇後に否応無く襲ってくる強い感情が存在します。ぜひ一度訪れることをお勧めします。

http://www.mdt-dodin.ru/

『悪霊』休憩中(9/22)。上演中セットの大きな変更は無く、前部に机と椅子、後ろには空間を分ける(ギロチンを模したと思われる)可動式の壁があります。
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定番篇③「バルチースキー・ドム(バルトの家)劇場」Балтийский дом
演目:『巨匠とマルガリータ』(9/6)、『罪と罰』(9/24)、『スペードの女王』(10/25) など

バルチースキー・ドム(バルトの家)劇場は、自前の劇団はもちろんですが、演劇祭や客演、小ホールでの若手の公演にも力を入れています。
ロシアで最初に見た演劇は、ここでの『巨匠とマルガリータ』(ブルガーコフ原作)だったので、忘れようにも忘れられません。

『巨匠とマルガリータ』というさんざん演じられてきた演目、「ポスト的なるもの」と「ナチュラル」の間にあるような原作の性格から言って、「いま」「ここで」演劇にするにあたっては、誠実な演出家ならば、かなりの重圧に苦しむことになるでしょう。バルチースキー・ドム版の『マルガリータ』は、この重圧を真っ正面から受け止めている印象がありました(全部聞き取れたわけはもちろんありませんが)。何しろすごくよかったのです。他の劇場のヴァージョンも見てみなければ、と思います。

小ホールでの若手の公演、と言いましたが、いままでで唯一見たものが「ボリショイじゃない」劇団による『罪と罰』(ドストエフスキー原作)です。これは『罪と罰』をコメディにして笑い飛ばしてしまうという希有な劇で、わたしのような原作愛好者からすると最低!でした。それにしてもロシア人観客が一人も席を立たなかったのは一体どういうことなのか、理解に苦しみます。

モスクワのマールイ劇場による『スペードの女王』(プーシキン原作)は忘れがたい客演でした。2012年の新しい演出ですが、これぞ!というようなクラシックな感じ、俳優は安定の実力があり、もはや何の文句も出ませんでした。

劇場は、大きい公園の中に建っていて、夜遅くても劇場-メトロ間を歩くのに心配は要らないと思います。

http://baltic-house.ru/

バルチースキー・ドム国際演劇祭期間中の劇場の外観(10/8)
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2013年12月 2日

卒論ゼミ

今年度の卒論ゼミは(例年そうだが)バラエティに富んでいて、テーマもアプローチもさまざま。
2度の中間発表を経て、仲間たちが出してくれたいろいろな意見や提案を受け、卒業予定のゼミ生のほとんどがテーマ・方法・プロット(目次)をほぼ固めた。

どんなテーマがあるかご紹介しよう。

・20世紀前半のアクメイスト詩人ミハイル・クズミンの生涯と作品
・20世紀ロシアを代表する女性詩人アンナ・アフマートワと全体主義体制
・日本に長く滞在した画家ワルワーラ・ブブノワと日本の「創作版画」
・劇作家アレクサンドル・ヴァンピーロフの『鴨猟』
・ドストエフスキーの『分身』
・ソ連随一のコメディ映画監督レオニード・ガイダイの作品における喜劇性
・画家で思想家で探検家でもあった知の巨人ニコライ・レーリヒの絵画
・ボリス・パステルナークの『空路』
・現代ロシアの児童作家リヤ・ゲラスキナ
・ソヴィエト・バレエの変遷
・1990年代ロシアの低予算映画プロジェクト
・フィンランドの民族叙事詩『カワレラ』
・グルジアの作家ヴァジャ=プシャヴェラとコーカサス表象


卒論提出までいよいよあと約1ヵ月。
集めた文献を読み込んで、ひとつひとつ丁寧に論理的に自分の主張を展開しよう。
引用を効果的に用い、説得力ある繊細な文章で、自分だけの解釈の光をたとえ一筋でもいいから世界に持ち込むこと。
自分が思っている以上の力がどこからともなく湧き上がり、閃きとときめきの瞬間が必ず何回かやってくるはず。
さあ、ゴール目指して頑張ろう!

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ヴァジャ=プシャヴェラ(1861-1915)

2013年12月 4日

留学アンケートご協力のお願い

現在、沼野ゼミでは、田中翔子さんと鶴田さおりさんが中心になって、ロシア語圏への留学に関する留学情報冊子を作成しているところだ。

面倒くさそうな手続きはどうやって進めたらいいのか、到着したその日はいったいどう過ごしたらいいのか、留学先ではどんな授業がおこなわれているのか、寮はどんなところか、留学中ってどんな毎日になるのか...。
これから留学する人にとってはいろいろわからないことばかりだと思うが、意外にも、ロシア語圏留学に関して詳細な情報やアドバイスを提供してくれる情報誌がない(!)のが現状である。そこで今回、後輩たちに有益な情報をきちんと伝えようと 『ロシア語圏留学マニュアル(仮題)』 を企画した次第である。完成は2014年2月を目指している。

そこで、お願いです。
ロシア語圏に留学したことのある人、アンケートにご協力くださいませんか。
以下のフォーマットに必要事項を記入して送信してください(個人情報の取り扱いには充分留意します)。
どうぞよろしくお願いします!

フェイスブックのイベントページ→https://www.facebook.com/events/403787466420199/

アンケートフォームのアドレス→https://customform.jp/form/input/1743/


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ミンスク国立言語大学

2013年12月 5日

「超個人的ガイド to ロシア(文責:工藤なお)」 (3)

★「ペテルブルグ演劇案内③」
小劇場篇①(前半)

1、マルイシツキー小劇場 Камерный театр Малыщицкого
演目:『フトゥリズムズリム』(9/15;未来派の詩篇を原作とするアンソロジー劇)、『魔法使い』(10/10;ハルムスの短篇『老婆』が原作)、『君たちかい、天使たち?』(10/27;ヴェネヂクト・エロフェーエフ『モスクワ発ペトゥシキ行』が原作) などすべて「自由芸術家工房」劇団の作品

ペテルブルグに来て、初めて見るなら間違いないのはアレクサンドリンスキー劇場ですが、ちょっと別なのを観たいな、と思った時に、数ある小劇場の内で外れがないのはこのマルイシツキー小劇場でレパートリーを持つ「自由芸術家工房」劇団だ、と断言できます。
この「自由芸術家工房」劇団は、今年の夏、プラウヂンなる人物による俳優・演出のマスターコースを卒業した若手によって結成されたばかりの劇団です。
演出の特徴としては、身体の運動性の高さ・緊密な演出・音楽のセンスの良さが挙げられるでしょう(それらが有する意味合い・方向性に関しては相違があるにしろ、身体・音楽の重視という点でフォーキン率いるアレクサンドリンスキー劇場の演出と通底するものがあります)。その運動性の高さは、日本で言えば「マームとジプシー」ほど(だが緊密さの点でそれ以上だと個人的には思っています)。
やたら走るししょっちゅうアクロバティックな動きがありますが、その下敷きには確かな肉体的鍛錬と緊密な設計があり、非常に無駄がなく、安心してみていられます。笑いどころのタイミングも考え抜かれています。

とりあえず見に行くなら、今年10月に初演があった『魔法使い』(ハルムス原作)がおすすめです。なにしろ先ほど挙げた劇団の性格が特徴的に表れています。笑いどころを正確に捉えた登場シーンから音楽を「作り」始め、その高揚感のなか本筋になだれ込む、という感じで、最初から持って行かれます。
この劇の中で一番ゾクッとするのは、ソ連時代のパンを求める「行列」のシーン。ここで劇団は、いかにも自然に、いかにも軽々と、「地場を逆転する」という荒技に出ます。これがすごい。ぜひ目撃してください。
どの作品も、最後にソワッと感動できるのが、何よりすばらしい。

チケットは劇場で予約出来ず、事前購入は街の黄色い「劇場カッサ」で、または取り置きが電話でできます。が、だいたい直前に行っても席は空いています。直接買うと学割あり。劇場の周りは、夜になると人通りが少ないので、速やかにメトロに向かうのが吉。公演日は開演30分前くらいから、劇場のショーウィンドウや路上でパフォーマンスをやっているので、劇場を探すのに苦労はしないはずです。

www.vmtheatre.ru/

『フトゥリズム・ズリムФутуризмЗрим』開演前の劇場ロビーの様子(9/15)
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2、ドストエフスキーの家博物館附設演劇ホール Театральный зал музея Ф.М.Достоевского
演目:『13番目の使徒』(9/14;タコイ劇団によるマヤコフスキー『ズボンをはいた雲』が原作のモノローグ劇)、『「やって来た人々」がやって来て』(11/24;ソコロフ『馬鹿たちの学校』を原作とするモノローグ劇)

昼は観光客向けの「ドストエフスキーの家博物館」、夜は附設の演劇ホールで演劇公演、という希有な博物館です。
演劇公演は、タコイ劇団のようなゲストを招聘するほか、自前の劇団(ФМД劇団)もあるようです。博物館内で定期的にやっている展覧会(例えば11月現在現行の『出来事とモノ―ダニイル・ハルムスとその周辺』展)も含め、キュレーター的な人がいるのか、センスはかなり高いです。

このタコイ劇団も相当能力は高いと思われます。ぼくの観た『13番目の使徒』は、奇しくも「自由芸術家工房」劇団による『フトゥリズムズリム』と同じユーリイ・ワシリエフ演出になるモノローグ劇だったのですが、これも緻密に考え抜かれています。ぼくなどは涙を流してしまうほど。これについては別のところで詳しくエッセイを書いたので、そちらに目を通していただく機会があれば、ぜひお読みください。

今年の11月末にはそのワシリエフが10つのモノローグ劇を演出する「一人芝居の空間」という演劇祭が、同博物館で開かれました。そこでは先に述べた『13番目の使徒』をはじめハルムスやナボコフの短篇、ジョイスの『ユリシーズ』などを原作とした一人芝居が連日上演されたのですが、わたしはその中で『「やって来た人々」がやって来て』という、サーシャ・ソコロフの『馬鹿たちの学校』を原作とする劇を見に行きました。
劇はひとりの知的なハンディキャップを負った少年が発することばによって進行するのですが、そのことばは時にあまりに過剰で論理に欠けるため、物語は錯乱し炸裂し分裂し、しかしその度におもしろさは倍に倍になり、観客の笑いを誘います。ことばの怪物とも言えるような作品を、よくここまで忠実に --しかも一人劇という手法で-- 造り上げたものだと思います。そのおもしろさは驚異的です。次の回で述べるプリユート・コメディアンタ劇場の『Proトゥーランドット』と同じ、「ことばの演劇」と言えるでしょう。

どちらともすばらしかったのですが、どちらも同じ演出家の手になる演劇であり、「タコイ劇団」の力量を定めるにはもう少し別なのを観る必要があると思っています。が、この2つの演劇、さらにマルイシツキー劇場での作品から判断するに、ユーリイ・ワシリエフという演出家はとんでもなく力のある演出家だ、ということが断言できそうです。

http://www.takoy-teatr.ru/

ドストエフスキー博物館外観(9/14)
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2013年12月 8日

ロシアの児童文学

ロシアの児童文学作家グリゴリー・オステルが来日するのに際し、近くシンポジウムがおこなわれる。
児童文学というカテゴリー設定自体に疑問を投げかけ「大人向けの文学」と「子供向けの文学」との間に境界はあるのかを問う。

オステルは、1947年、旧ソ連オデッサ(現ウクライナ)生まれ。ゴーリキー文学大学卒業。「良い子を描く児童文学」という常識をくつがえした『悪い子のすすめ』で有名になる。算数の文章題をもじった『問題集』、大人の世界を子供の眼で描いた『パパママ研究』、自在な筋の発展が特徴の『いろいろの話』などがある。2012年すぐれた児童文学作家に与えられるチュコフスキー賞を受賞。


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シンポジウム「おとなの文学?こどもの文学?」
  
日時:2013年12月21日(土) 15:00~17:00 (14:30開場)
場所:国際交流基金JFICホール(東京都新宿区四谷4-4-1)

http://www.jpf.go.jp/j/about/outline/contact/map.html

メインゲスト:グリゴリー・オステル
パネリスト:青山南、ひこ田中、毛利公美
司会:沼野充義
主催:国際交流基金 (共催 東京大学文学部現代文芸論研究室)
   予約不要、当日先着順、ロシア語通訳つき

2013年12月11日

東京外国語大学にピーター・フランクルがやってくる!

去る9月某日、ロシアは初めてという同僚をモスクワの赤の広場に案内したときのこと。
右手にずっとクレムリンの壁が連なり、左手にはこの「グム」。
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これは通称「グム」というデパートです。あら、今年が創立120周年なんですね。などと言いながら歩いていたら、むこうから、どこかで見たことのあるような人がやってきた。
通り過ぎてしまう瞬間に、あ、ピーター・フランクルさんだ、と思い出して振り返ると、フランクルさんも振り返って「日本の方ですか?」と声をかけてくださった。

数学者にして大道芸人。マスコミにもよく登場しているし、『ピーター流外国語習得術』(岩波ジュニア新書)、『美しくて面白い日本語』(宝島社)など著書もたくさんある。

それから立ち話が20分ほども続き、たいへん楽しいひとときを過ごした。
フランクルさんは、イタリア文学者とはイタリア語で、ドイツ文学者とはドイツ語で、私とはロシア語で話すという「大道芸」をさっそく披露して私たちを喜ばせてくれた。モスクワには、数学のレクチャーをしに来たという。「もちろんロシア語で講義しました」とのこと。

1953年ハンガリーで生れ、18歳にして国際数学オリンピックで金メダルを受賞。アメリカ人数学者の影響でジャグリングを始める。パリ大学に留学、ハンガリーではサーカス学校に通う。1979年フランスに亡命し、イギリス、アメリカ、スウェーデン、日本、インドなどを旅し、1988年日本に定住。
使いこなせる言語は母語のハンガリー語のほか、ドイツ語、ロシア語、スウェーデン語、フランス語、スペイン語、ポーランド語、英語、日本語、中国語、韓国語、タイ語!!
ポリグロットなので、「前から東京外国語大学に興味があったんです」とおっしゃる。
こうして赤の広場での出会いがきっかけとなり、来月、本学で講演をしていただくことになった。

ピーター・フランクル特別講演会
「僕が11か国語を話す理由(わけ)」

2014年1月24日(金)17:40-19:10
研究講義棟 115教室

  こちらに変更になりました!! 
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2014年1月31日(金)17:50 -19:10
アゴラグローバル

総合文化研究所主催

いろいろな言語を習得した経緯やエピソード、多言語習得の秘訣(?)について自由にお話しいただく。
大道芸も披露してくださるとのこと!
入場無料。こぞってご参加ください。

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2013年12月13日

「超個人的ガイド to ロシア(文責:工藤なお)」 (4)

★「ペテルブルグ演劇案内④」
小劇場篇②(後半)

3、マステルスカヤ劇場 Театр ≪Мастерская≫
演目:『やさしい女』(10/20)

ドストエフスキーの短篇に思わずグッと来てしまうのは、何よりも主人公のダメさがぼく自身のダメさだからです。そういう意味で主人公とのシンクロ率が抜群で高いのは、特に『地下室の手記』『白夜』『やさしい女』だと言えます。
そのうちの『やさしい女』の演劇。男女2人というミニマルな舞台ですが、何を付け加えることがありましょうか。これ以上はないというくらいの感動を得てしまいました。演劇は見終わったあとメトロの中、あるいはベッドに入ってから「あ、よかったなー」と思うこともしょっちゅうなのですが、これは速く効きました(翌日即座に原作を買ってしまったほど)。

マステルスカヤ劇場は、マルイシツキー劇場と同様マスタークラスを卒業した若手によって2010年に出来たばかりの劇場です。中心部からかなり外れたところにあり行きにくいのに加え、周辺も結構錆びれた感じなので頻繁には行けないと思いますが、お気に入りの演目を見つけてしまえば通いたくなるはずです。

http://www.vteatrekozlov.net/

マステルスカヤ劇場外観(10/20)。川のすぐ側にあります。
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4、ボリショイ人形劇場 Большой театр кукол
演目:『ロミオとジュリエット』(10/15)、『ポトゥダニ川』(11/30)

ここはマルイシツキー小劇場から近いので、ぜひ一度。この劇場はまず、施設そのものが良い。そもそも子ども向けの劇場なので、客席の背もたれからデフォルトで子ども用シートが出るようになっていたり、こちらではなかなか見ないバリアフリー設計(車いす用エレベーター)などがあり、ちょっと感動しました。

「人形劇場」ですが、この『ロミオとジュリエット』は人形を用いない演劇です。演出は、開幕前のギリシア劇を思わせる静かな洗い場の情景から始まり、水(と、広く"液体")とその音響を非常に効果的に使っていました。前半は、やかましい現代的な「若者の」ロミジュリから始まったので、あーこんなもんかーなどと思ってしまいましたが、一回休憩を挟んで始まる後半では、俳優の実力が剥き出しになり、まさに火花が散るような気迫で迫ってきます。演技のうまさは言うまでもなく、前述したように水を用いた演出がかなり巧みで、舞台全体が引き締まってきます。
芝居の進行としては「死」のメタファーとも言えるだろう黒い衣装の女性が芝居回しの役を受け持つのですが、出過ぎてしまえば過剰・引っ込みすぎても足りない、この人物の難しい役どころをうまく演じていました。ロミオとジュリエットのベッドシーンは、やはりその「液体」が重要であり、かなり衝撃的な用い方がなされるのですが、大変エロティックなのでぜひ生で目撃してほしい。

『ポトゥダニ川』(プラトーノフ原作)は、ポトゥダニ劇団による小ホールでの人形劇です。ただしこれを「人形劇」と言い切ってしまうことには抵抗を感じます。確かに人形を用いた劇であり、物語は人形によって進行されるのですが、人形が動くにつれ、また物語が進行するにつれ、次第に露わになってゆくものは、人間の身体の生々しさなのです。それは劇の最初と最後で、人間の手だけが舞台に現れ絡み合うシーンに最も効果的に現れています。
人形劇はなるほど、人間の手(と手が動かす人形)だけが主要な役割を果たす演劇の形態ですが、そうであるからこそ、その「手」にすべてを凝縮させて作られねばなりません。それがうまくいったときには、あるいは一般的な演劇を超えた表現を獲得できてしまうのかもしれません。この舞台は、確かにそういった領域に達しているようです。
戦争から帰還した青年ニキータが痛みと苦しみをもって父や恋人リューバとの新しい関係を模索する物語が、人形と(黒子である)俳優の協働、照明の用い方、幻想的な夢のシーンを通して切実に迫ってきます。そして何より物語のシンボルである「ポトゥダニ川」の鮮烈な現れ方。無駄がなく緊密で、人形劇という形態でしか表現しようの無い、まったく独特な舞台になっています。1時間に満たない小さな劇ですが、実際の時間感覚をはるかに凌駕するものが心に残されます。

劇場は、マルイシツキー劇場近くです。たまに運がいいと、チケットが半額になります(劇場カッサ限定)。

http://puppets.ru/

『ポトゥダニ川』終幕後の舞台装置の様子
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5、プリユート・コメヂアンタ劇場 Приют комедианта
演目:『Proトゥーランドット』(10/14)

前述『ペテルブルグ舞台芸術の魅力』にも紹介されていた、奇才アンドレイ・マグーチーによるコメディです。
メタのメタというか、ポストのポストというか、そういう方向を、3人の主人公による過剰な発話でもって塗りつぶしていくことで目指して行こうという試みだと言えると思います。一般的に言って「メタ的なるもの」「ポスト的なるもの」が「ネイティヴ的なるもの」を標的としているように思われる以上、逆説的ながら、当然ロシア語の「ネイティヴ的なるもの」が必要とされているわけですので、いまの段階でついて行くのには無理がありました。おもしろいところはおもしろいのですが。ロシア語力に自信があれば、絶対楽しめるのでおすすめです。

劇場はセンナヤ広場の近くなので、観劇の際は十分気をつけて。

http://www.pkteatr.ru/

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2013年12月17日

神戸市外大大学院との合同セミナー

12月14日(土)本学で神戸市外国語大学大学院との合同セミナー「現代文学の潮流」がおこなわれた。
神戸からは総勢8名の代表団が本学に来てくださり、本学からは院生・大学院進学が決まっている学生・大学院志望者を含め10数名の参加があった。

司会は岩崎務研究科長。
まず、神戸市外大の西条万里那さん(博士後期)がメキシコの作家カルロス・フエンテスの長編『澄みわたる大地』における映画的手法を具体的な例とともに紹介した。面白かったのは、フエンテスの描く都市には「見えない境界」があり、その境界を越えようとすると失敗するが、映画的手法はその都市空間の性質を補完する役割があるのではないかという指摘。それに、描写のし方がカメラのように視点を移動させるものになっているという指摘も説得力があった。

続く本学の笹山啓くん(博士後期)はヴィクトル・ペレーヴィンの本質に迫る発表で、「ポストモダニスト」と言われてきたペレーヴィンだが、じつはポストモダニズムの流行に対しては冷笑的だったこと、むしろ実存の根拠を真面目に追及していること、つまり「モラリスト」なのではないかという論を展開した。

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休憩をはさんで、神戸市外大の成田瑞穂先生が、フエンテスの『われらの大地』の中で言及されているヒエロニムス・ボスの三連祭壇画『快楽の園』との関係について刺激に満ちた講演をなさり、私がペレストロイカから現代までのロシア文学の流れのなかにペレーヴィンとタチヤーナ・トルスタヤを位置づけ、トルスタヤの手法を紹介した。

どの発表にもたくさんの質問が出され、とりわけ院生ふたりの質疑応答は時間を大幅に超過しておこなわれた。本学の学部生たちから活発な発言があったのも嬉しい。
私はフエンテスの『アウラ』がとても気に入っているが、お話を聞いて『われらの大地』も読みたくなった。ぜひ翻訳を出していただきたい。

この後、場所を移し食事を楽しみながら、ラテンアメリカとロシアの熱い交流が夜まで続いたのだった。


2013年12月22日

ポスター展 「ユートピアを求めて」

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アヴァンギャルド・ポスターを見に神奈川県立近代美術館(葉山)の「ユートピアを求めて~ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム展」に行ってきた。
デザイナー松本瑠樹さんの収集したコレクションの一部を公開したもので、質量ともに充実していてとても楽しめた。
松本氏は2万枚以上のポスターを所蔵。1997年にはニューヨーク近代美術館で「ソビエト・デザイン革命の構築/ステンベルグ兄弟展」を開催して国際的な評価を得たという。たしかに今回も77点に及ぶステンベルグ兄弟の映画ポスターが最もインパクトがあったように思う。

斜めの線によって画面を大胆に分断していくつかのパートに分け、さまざまな直線、曲線と組み合わせることでリズムとスピード感を出す。人間の身体も一部だけ提示されていたり、さかさになっていたり、斜めになっていたり。意外な断片同士が並置されることによって不思議な浮遊感と新鮮さが生じている。これぞメトニミーとモンタージュに基く映画手法に通じるものではないか。

あるインタビューで松本氏は「ポスターは時代を映す鏡」だと語っている。
これらのポスターはまさに20世紀初頭ロシアの熱狂的な息吹を、ロシアの芸術家たちの果敢な実験精神を、彼らが脇目も振らずユートピアに向かって猛進した後ろ姿を今に伝えてくれる。


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2013年12月23日

チェーホフ的忘年会+新年会の予告

過日、卒論ゼミで卒業アルバム用の写真を撮った後、忘年会をした。
そこで披露されたのは、

100分の1だけ「馬主」になっているという話。
ソヴィエト製カメラに凝って9台も集めた話。
吉祥寺のお洒落なパンケーキ屋さんのアルバイトの話。
去年このゼミを卒業した仲間が書いた小説の話。
就職内定先から求められている研修の話。
病院の夜警バイトで経験した認知症らしきおばあさんの話。

どれもチェーホフだったら「ひねり」の効いた短編に仕上げそうだと思うような興味深い話だった。
その時の模様。
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さて新年には学年を越えての「合同新年会」を予定している。
2014年1月30日(木)16:00~ 7階ロシア語共同研究室
卒論を書き終えた4年生のお祝い会と、来年ゼミに入る予定の2年生の歓迎会も兼ねる。
ポットラック形式(それぞれが食べ物を持ち寄る立食パーティ)。
留学や就活の話を先輩に聞くいいチャンスなので、1年生でも興味のある人は参加していいですよ。

2013年12月25日

祝刊行 シニャフスキー 『ソヴィエト文明の基礎』

昨年の4年ゼミではシニャフスキーの 『社会主義リアリズムとは何か』 を読んだが、そのシニャフスキーのソルボンヌ講義、待望の日本語訳が今日ついに刊行された。素晴らしいクリスマスプレゼント!

アンドレイ・シニャフスキー 『ソヴィエト文明の基礎』 沼野充義・平松潤奈・中野幸男・河尾基・奈倉有里 共訳、みすず書房、2013年。

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同じ亡命作家でも、作品は幻想的なものが多く思想的にはリベラルな態度を貫いたシニャフスキー(1925-1997)と、作品はリアリズムで思想的には民族主義的傾向が強かったソルジェニーツィン(1918-2008)とは、どこまでも対照的だ。
この著書でシニャフスキーが論じているのは、ソヴィエトという社会制度のなかで培われた「ソヴィエト的心性」とは何かという問題である。ソヴィエト国家がいかに疑似宗教的であり、ロシアの文学者たちがいかに強い宗教的志向をもっていたかということである。もちろん、社会主義リアリズムは一種の宗教だという彼の主張と響きあっている。

現代ロシア文化を学ぶ者には必読の書だと思う。
ちなみに、本書の表紙を飾っているのはエル・リシツキーの有名なポスター「赤い楔(くさび)で白を撃て」で、現在、神奈川県立近代美術館(葉山)で展示されている。お見逃しなく。

2013年12月28日

コンツェルト公演 『タレルキンの死』

12月28日(土)早稲田大学学生会館でロシア語劇団「コンツェルト」の第43回公演を観てきた。
アレクサンドル・スホヴォ=コブイリンの 『タレルキンの死』。

いろいろな意味で驚きに満ちた公演だった。
第1に、モスクワに演劇留学した本学4年生の守山真利恵さんによる素晴らしい演出に感心した。スピード感、場面転換の鮮やかさ、舞台空間の巧みな使い方、音楽のセンスのよさ。これまでも彼女の舞台は何度か観てそのたびに豊かな才能を感じてきたが、今日の公演であらためて輝かしい才気と素質を確認した。

第2に、その個性的な演出を支える俳優たちの演技とロシア語の発音のよさにも脱帽だ。コンセプトがどれほど優れていても、実際にひとつひとつの身体の動き、表情、セリフがそれを体現していなければ、芝居は成り立たない。その意味で、コンツェルトの公演は芸術監督ナターリヤ・イワーノワ先生の指導に非常に多くを負っている。
コンツェルトがこんなにレベルの高い学生演劇集団に成長したのは、創始者で私の恩師であるタチヤーナ・ボリーソヴナ・野村先生の遺志をイワーノワ先生がしっかりと引き継いでくださったおかげなのだ。


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第3に、本学の笹原秋くん、工藤真唯さん、早大の西川裕起くんら1年生の活躍である。
今年の4月にロシア語を勉強し始めたばかりなのに、こんなにたくさんのセリフを覚えられたなんてすごいことだ。主役のタレルキンを演じた笹原くんのネルギッシュな体当たりの演技に心底感動した。

第4に、戯曲の選択にも驚いた。
『タレルキンの死』はスホヴォ=コブイリン(1817-1903)の数少ない戯曲のひとつで1869年に書かれたものだが、作品そのものよりむしろ1922年にフセヴォロド・メイエルホリドの演出した芝居として知られる。アヴァンギャルド芸術家ワルワーラ・ステパーノワが装置・衣裳を担当し、機能を最優先させた構成主義的な舞台を作りあげたため(今回のコンツェルト公演はこのステパーノワの舞台とはまったく異なる独特なものだった)、ロシア・アヴァンギャルドの文脈で言及されることが多い。
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『タレルキンの死』は風刺的要素の強いグロテスクな作品で、人間的・肯定的な登場人物がひとりもいない残酷なダーク・コメディだ。怖ろしい逮捕・尋問の場面はスターリン時代の粛清を彷彿させ、メイエルホリド自身が逮捕され拷問を受けたあげく銃殺されたことを想起すると背筋が凍りつく思いがした。


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