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ギュレシュ: トルコの伝統芸能


このページは、内田麻子によって作成されました。

いわゆる「トルコ相撲」として知られているオイル・レスリングについて説明しよう。

歴史

古代トルコでは、祭りや、結婚式、葬式、法事などのとき相撲が行われるという伝統があった。当時の相撲は、今日「カラクジャック(黒い胸)」といわれるアバ相撲(アバ=目の粗い粗末な厚手の毛織物)と同じである。その後、アナトリアへ定住するにあたり現地の相撲と交じった。エーゲ海とトラキア(特にデリオルマン)のオイルレスリング(ヤール・ギュレシュ=油をつける・レスリング)が、広く受け入れられた。オスマン帝国の皇帝は「スルタン」と呼ばれるがこの「ヤールギュレシュ」はスルタンたちに披露するための「宮廷相撲」として栄えてきたという経緯もある。

現在では全国大会として「クルクプナール(四十の泉)大会」が毎年七月に古都エディルネで開かれる。この大会にはエディルネ市長はもとより、現職のトルコ大統領までが招かれるビッグイベントとなっている。しかし、浸透度としては年配層が中心で、国民全体に人気があるというわけではない。

いでたち

裸の上半身に、膝下まである重い皮のパンツ、そして体中をオイルで光らせている。オイルを塗りたくるのはお清めのためでのあるが、「キスペット」と呼ばれる皮のパンツのせいでもある。これは、子牛、または水牛の分厚い皮でできており、あつくて融通のきかない形をしている。そのままで身につけると皮が皮膚にすれてしまいとても動けないので、オイルが必要なのだ。だが十分なオイルを塗ると、今度はオイルが漏れてしまうため、キスペットの腰とふくらはぎの所に革ひものベルトを巻く。このベルトが日本の相撲でいうまわしの役割をする。

決まり手

投げ技が中心で、キスペットの中に手を滑り込ませ、抱えあげるようにして投げわざをうつのである。そして、仰向けになって倒れたら負けになる。また、相手をつり上げたまま三歩進めば勝ちというルールもある。オイルで身体がすべり、相手を持ち上げるのが困難なためだ。あるいは、取り組みの最中、相手が劣勢を感じとり、「参った」と宣言する、逆に、優勢を感じとった方が「かった」と宣言し、相手が同意すると試合は終わる。時間制限はないので、長い勝負なら一時間、二時間はざらであり、日本でいう土俵もなく、草原で一度に何組もの取り組みが行われる。

勝者

クルクプナール大会の最高級での優勝者は「バシ・ぺフリヴァン(横綱)」とよばれている。バシ・ペフリヴァンには、金でできた大統領チャンピオンベルトが貸与され、三年連続優勝すると、ベルトは一生そのプヘリヴァン(力士)のものとなる。

階級は六つに分かれており、一つあがるためには大小を問わず何らかの公式大会で二回連続優勝しなければならない。

バシ・・・・・・刀の先端
バシ・アルトゥ・・・・・・刀の先端の下のところ
ビュユック・オルタ・・・・・・真ん中の太い部分
キュチュック・オルタ・・・・・・真ん中の細いところ
デステ・・・・・・刀の柄
テシウィク・・・・・・元気づけ

ヤールギュレシュも日本の相撲と共通するところがあるようだ。たとえば取り組みの前に行われる儀式(ペルシェヴ)は相撲の土俵入りとよくにている。ペシュレヴとは、対戦相手とペルシャ風の握手をし両手を交互に振り上げつつ、スキップのような踊りをするものである。


参考文献


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