母語とは、その人が子供のころから使っていて、もっともスムーズに感情を表現することのできる言語のことである。
それに対し、母国語という言葉は、母国の公用語という意味であり、母国語=母語という関係が成り立つのは、日本のように国民のほとんどが同じ言語を話すという特殊な事情を持つ場合のみである。
母語以外の言語の育成は、早ければ早いほうが良い。一般的に10歳までなら環境さえ与えてやれば、バイリンガルになることは容易であるといわれる。
関係の問題その一方で、母語の習得がままららないうちに、母語以外の習得を開始すると、どちらの言語も中途半端になってしまい、豊かな表現ができなくなるという問題もある。
これは、母語の言語能力が確立されている子供は、母語の助けを借りて第二言語の発達を促進させることができるのに対し、母語の習得が不十分な子供には、それができないためである。
今後、グローバル化が進む中で、国際結婚や海外移住などにより、このような事象はますます増加していくことが予想される。
また、日本人の英語力の低さは、アジアでも最低の水準に位置していて、早急な対策と実践が求められている。
日本人の英語力のなさは、大部分が教育制度にあり、会話能力やリスニング能力を伸ばす教育がほとんど行われていないのが実態だ。
対策政府・文科省は、すぐに教育制度を見直し、実践的な英語力を身につけることのできる教育制度の確立に踏み出す必要に迫られている。
公的に実施されている熟達度テスト、あるいは学校単位におけるテストは、その結果が、学習者にとっての対外証明機能としての成績にむすびつくであろうし、当面の学習目標となりやすい。
また、こうしたニーズが教育カリキュラムに反映されることもある。
問題問題は、これらの基となっている言語能力観がいかなるものであるのかという点である。
また、そのテストが何のためにおこなわれているのかという点である。
実施されているテストが測ろうとしている言語能力が何なのか、あるいは何のためのテストなのかという視点を見失うならば、テストそのものが目的化し、言語教育がめざすべき方向性を見失うことにもつながりかねない。
測定方法言語能力の測定方法は、大きく分けて2つある。
ひとつは「文字・語彙・聴解・読解・文法」という内容をペーパーテストで測るものである。しかし、この方法は、その結果が「点数」としてしか把握できないことや、実際のコミュニケーション能力の評価が困難であることが指摘されてきた。
そこで、「『コミュニケーションの重要な手段として』の『会話能力』を、的確に・客観的に評価するための画期的方法」として、後者の言語テストが用いられるようになってきた。この試験は、受験者の「機能・タスク遂行能力」を,、場面・話題」「テキストの型」「正確さ」の3 観点をもって評価するものである。
これによって、より「自然な言語語使用場面」に立脚した測定を行うことができるようになった。
言語教育が目指すべき方向性これからは、学習者の能力を客観的にただ「測定」し、そのデータを言語教育研究の理論につなげることばかりに終わらせるのではなく、個々の学習者の固有性、そして、それぞれのもつ背景の多様性、言語のもつ協働的・相互的な作用をとらえながら継続的に指導にむすびつけていくような評価が望まれるのではないだろうか。