社会文化学会

第16号


社会文化通信





documenta11に出展されているFabian MarcaccioのMultiple-Site Paintantという作品。高さ3m、幅は両面で70m
になる大作で、グローバル化した現代資本主義世界を表現=記録している。                       
          (文・写真:谷和明)
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<Contents>
1.第5回全国大会「自治としての社会文化」(案内)
2.夏季研究集会  中部部会主催「芸術文化の公共性の現在を問う」
3.各部会活動報告 西部部会「デンマークにおける福祉政策とジェンダー」
         東部部会「社会福祉法人かがやき会『街』を見学して」
4.研究交流委員会(1)ドイツ・ハンブルグ報告
        (2)韓国訪問 「韓国文化の家の現状」
5.組織報告
6.特別寄稿「―変わってる、しかも良い―シュタットハウス・ホテルとカフェ・マックスBの客として
―」
 


1. 社会文化学会第5回全国大会:「自治としての社会文化」(案内)
   (1)開催テーマの趣旨

全体シンポジウム:自治としての社会文化−分権と参加の展望−について

 
 グローバル化の進む現代において、国民国家の相対化が進み、ローカルな枠組み、リージョ
ナルな制度の復権がみられる。しかしその一方で、資本のグローバル化は、ローカルな生活
世界の資源を搾り尽くす世界システムを形成しており、私たちの生活の場(ロケーション)は各
個人の職場、学校、ショッピングセンター、住居といった点の機能的結合にまで解体され、豊
かな広がりを奪われている。ローカルな生活世界を私たちが共に「学び、働き、暮す」場として
再形成し、活性化するにはどうすればよいのか。「地方分権」の時代におけるその可能性と方
向性とに関わる問を、「自治としての社会文化」という形で今研究大会のテーマとする。
 自治とはシステムの権力を分権化することであり、分権化されたサブシステムの運営に市民
が参加することであり、市民によって自主管理される公共空間の創出である。それは市場(貨
幣)、国家(権力)というシステムの力に対抗・鼎立する市民的連帯の力(Habermas, J.)の形成
でもある。そのような自治=自主管理を実現する政治・経済的枠組みのありかたと、それを担
う市民の政治文化の成熟を問うことは、社会文化研究の核心的課題だといえる。本学会が着
目してきたドイツ社会文化(Soziokultur)運動もまた、新しい市民自治の実験であった。

 新旧憲法の顕著な相違点は地方自治の章が新たに盛り込まれたことだといわれるが、アジ
アの多くの国で未だ地方自治が制度化されていないことを考慮するならば、日本は地方自治
制度の面でもアジアの「先進国」であることを再確認することができる。とはいえ、権威主義的
官僚支配と利益誘導政治により、戦後地方自治は「三割自治」といわれる状態にあった。
 このような中央集権型システムの打破を唱える地方分権法が2000年4月から試行され、地方
分権法が施行され、「第三の改革」としての地方行革が進行している。機関委任事務廃止、自
主財源への弾力化、特例市制度導入などにより自治体の自己決定権を拡大し、国際化、高齢
化などに対応した行政サービスを可能にするというのである。これは、国際的な地方分権化の
流れに対応したものだといえる。
 とはいえ、これは新自由主義的な規制廃止・民営化論による公共サービス供給への市場原
理の本格的な導入をも意味する。財政合理化のための事業民間委託が進められる一方で、
自治体間のサービス格差・競争も激化するだろう。この自治体サバイバル競争の鍵として政府
が推進しているのが、明治期、戦後期に続く第3次の大規模市町村合併である。今日3200余
ある――日本より人口の少ないドイツには16000以上の、フランスには3万以上の市町村があ
るのだから、3200余しかないというべき、――市町村を、2005年を目標に1000まで減らそうと
いうのである。さらに500とか300という数値も挙げられている。
 ここでの最大の問題点は、いうまでもなく、自治体の巨大化により現在でも不充分な市民が
その政治的意思決定に参加できる機会、住民自治の可能性が決定的に狭隘化することであ
る。現在の地方行革では市民・住民を公共サービスの受益者・消費者ととらえる視点が支配
的であり、住民参加といってもそのサービス提供へのボランティア的協力が期待されていると
いってよい。事実、市民参加の一形態といえる既存の審議会などは、「形骸化」や議会が住民
の意思を代表していることなど理由に、それに変わる参加制度を導入することなく、廃止される
方向にある。このような状況のもとで、市民自治の可能性はどこに求められるのか?
 グローバリゼーションに対応した統治システムの合理化・再編成という性格が色濃い現在の
地方行革・「地方分権」に対し、市民自治、市民の政治参加の実現を可能にする分権型社会
のあり方を構想・提起していく必要がある。
 今大会の全体シンポジウムでは、以下のような視点から自治としての社会文化に関する検
討を深めていきたい。
 第1は、分権型社会の形成が必然的な歴史的課題であるという認識を踏まえつつ、現在日本
で進められている地方行革の現状と問題点を明らかにし、それが市民自治の発展に対してど
のような可能性を孕んでいるかを見ていこうというものである。
 第2に、地方自治体における代議制に基づく住民自治の形骸化、制度的疲弊が、現在進行
中の地方行革=大規模合併によって、致命的な段階に至るという危機感を踏まえつつ、地方
自治体内部での分権化、権力分散など直接民主主義的な市民自治の可能性を、外国の事例
を参考にしつつ検討してみたい。
 第3は、地方自治体における市民による政治参加、市民自治への試みの事例の検討であ
る。今回は実際に合併を経験した東京多摩地域の自治体において、市民としての議会活動を
実践してきた立場から、市民運動、市民参加制度の変化、およびその下での今後の展望につ
いて報告してもらうことにした。
 
 今回の大会は、本学会としては初めての東京で開催される大会である。会場へ交通の便も
よい。師走にかかる日程ではあるが、多くの会員・非会員の皆さんが参加され、「自治」をテー
マにしたシンポジウムに相応しい、活発な討論が展開することを期待したい。 (谷和明)   
                

 


 

お知らせーその1「社会文化学会大会での展示等希望の受け付け」
第5回大会では、社会文化研究に関連した作品を展示できます。
希望者は、@作品のタイトル、A内容(XX運動の記録etc)、B展示・表現形式(図・画の壁面
掲示、図書の机上掲示、ビデオ上映etc)C所要スペースと必要な器具を記載して、10月10日
までに大会実行委員会まで申し込んでください。
なるべく、email( soziokultur5@tufs.ac.jp)でお願いします。




 

 
   (2)プログラム等
 
日程:11月30日(土)・12月1日(日)
会場:東洋大学白山校舎 新1号館6F/7Fおよび新2号館16Fスカイホール(本誌 裏の地図
参照)
〒112-8660東京都文京区白山5-28-20。都営地下鉄三田線「白山」駅あるいは営団地下鉄南
北線「本駒込」駅から徒歩5分  
第1日目:11月30日(土) 13:00〜20:00
◎全体シンポジウム(13:00〜17:00) テーマ:市民自治としての社会文化 ―分権と参加の展望

司会 石井伸男(高崎経済大学)、大西弘子(住民投票立法フォーラム)
報告;(1)分権型社会と「公共空間」の創出(仮題)
 神野直彦(東京大学)    (2)都市内分権・近隣自治と市民参加の可能性
〜日本とドイツの比較から〜               名和田是彦(東京都立大学)
(3)市民運動と市民自治 森輝雄(西東京市市議会議員)

◎総会(17:10〜18:10) ◎懇親会(18:20〜20:00) 第2日目:12月1日(日) 9:30〜17:00 
◎自由論題(9:30〜12:10)

第1セッション   司会 重本直利(龍谷大学)
9:30〜10:20 植民地とアイデンティティ--パラオにおけるフィールドワークを基にして   岡
山陽子(テンプル大学院生)
10:25〜11:15 国民体育大会のメカニズムと政治性
 権学俊(横浜市立大学院生) 
11:20〜12:10 新しい社会的連帯を創出する『運動』の可能性をめぐって〜祝祭としてのゲ
イ・パレード(プライド)の社会学的分析〜                 紀葉子(東洋大学)



第2セッション   司会 中川秀一(明治大学)

9:30〜10:20 職場コミュニティの理論と実際
三宅正伸(龍谷大学院生)、塩見博樹(龍谷大学院特別専攻生) 
10:25〜11:15 比較の試み〜ドイツ社会文化運動と生活クラブ運動     石倉祐志(生活ク
ラブ生協)  
11:20〜12:10 文化権の法的性質
稲木隆憲(立命館大学大学院研修生)
第3セッション    司会 山田正彦(三重大学)
9:30〜10:20  社会文化運動とJoseph Beuysの社会芸術
――documenta11に出展されたPark Fictionに即して――
谷和明(東京外国語大学)
10:25〜11:15 写真の発見――刻印と外傷――
小屋敷琢巳(一橋大学院生)
 
11:20〜12:10 共通感覚概念をめぐる問題 
吉田正岳(大阪学院大学) ◎課題研究(13:00〜17:00)
 A.共生のためのワークシェアリングとは何か
司会; 中村共一(岐阜経済大学)、竹内真澄(桃山学院大学) 報告;(1)「日本型ワークシェア
リング」の現状と問題点
 -連合のワークシェアリング構想の視点から-
龍井葉二(日本労働組合総連合)
(2)オランダのワークシェアリングから学ぶべきもの(仮題)         中野麻美(弁護士)
 
(3)日本におけるワークシェアリングの進展状況について    遠藤壽行(日本経済団体連
合会) 
B.「サブカルチャー」の再検討・おたく少女と生きにくさ
司会 小川直美(大阪経済大学) 報告;(1)キャラクターとグローバリズム
小山昌宏(サブカルチャー研究)
   (2)未定         鶴亀未都(東洋大学院生)
 
 


2.夏季研究集会報告

社会文化学会中部部会 西濃社会文化協会共催              2002年6月29日於 
東邦学園大学 
「芸術文化の公共性の現在を問う」

 
 社会文化学会の全国的な研究集会は昨年度から毎年1回開かれることになり、今年度は、
西濃社会文化協会の後援や会場校の会員の協力を得て、「芸術文化の公共性と文化権」をテ
ーマに、6月29日に東邦学園大学(名古屋)で開催されました。当日は会外の出席者を含め、
18名の方々が参加されました。 今回は、昨年11月に唐突なかたちで「芸術文化振興基本法」
が制定されたことを機に、「公共性」と「文化権」を視点に、改めてこの国の芸術文化の現状や
課題を明らかにし、そしてその発展方向を探ることを目的に企画されました。そして下記の2つ
の報告をもとに進められました。 1.「芸術と福祉のコラボレーションによる市民活動──NP
O福祉芸術文化研究会と   福祉の店『わくわく』での取り組み」浅井清貴氏(現代美術造形作
家) 2.「芸術文化の公共性と文化権」小林真理氏(静岡文化芸術大学)  浅井氏は、ご自身
も中心になって進めている「芸術文化と福祉の融合」を理念にした障害者の芸術活動を支援
する取り組みである、喫茶とギャラリーを結合した福祉の店「わくわく」を基点とした三重県桑名
市での「留美寝参寿久波奈」の活動や、とくに障害を持ったアーティストたちの国際交流展を
1999年以来毎年開催しているNPO福祉芸術文化研究会の活動について報告しました。その
中で、障害を持った人々の美術作品や、その人々が海外にも出かけて生き生きと交流する姿
も紹介されました。  この浅井報告は、一方で障害を持つ人々の芸術活動の可能性を示すと
同時に、他方でそれを正当に評価しないこの国の芸術や文化の視野の狭さや貧困さを明るみ
に出しました。この可能性は、報告と論議の中で、2つの側面から示されました。それは芸術と
しての可能性と、障害を持つ人々自身にとっての可能性の2つだと言えます。浅井氏は作品を
制作する障害を持つ人々を「作家」と語っていましたが、それらの作品は芸術として魅力があ
るだけでなく、一般の美術にもインパクトを与える質をもち、今後の芸術の方向性を考えるうえ
での重要な契機に生み出しているのです。したがってこれらの活動は芸術の新しい可能性を
開くという重要な意味を持っているといえます。 他方で、このような作品を制作している人々の
多くは施設で生活しています。ところがそのような施設の多くでは、生活と労働の自立を求める
あまり、芸術活動は否定的に理解されたり、余暇活動としてしか受け入れられていないのが現
状です。この報告は、そうではなく芸術活動も障害者の正当な活動なのであり、障害を持つ
人々が「自らの活動を自らが選ぶ」という当然のことを進める可能性と必要性を示唆していまし
た。このように浅井氏の報告は、障害者の芸術活動という領域から、この国の芸術文化の現
状とその公共性の質を問う問題提起でした。  小林氏の報告は、「芸術文化振興基本法」の
制定過程に直接コミットした経験をふまえたたいへんヴィヴィッドな報告でした。小林氏は、今
回の「振興基本法」に対して、・法としての目的や性格があいまい、・誰が文化の主体なのかが
あいまい、・分権化の流れに反して国が文化支援の主体になっている、・国民に文化権を真に
保障していくシステムが未確立といった問題を指摘してきました(当日配布資料「欠ける『国民
主体』『市民協働』の視点」『地方行政』2002年6月17日号参照)。  当日の報告では、制定過
程で、「この法律によってようやく芸術文化の公共性が認められた」といった著名人の発言に
見られるように、推進する芸術関係者のなかに国家によって「お墨付き」をもらうことを公共性
を獲得することだとする発想が見られたり、さらに国会議員の間でも、地方自治体の役割が財
政的にも非常に大きくなっている現状を知らなかったり、「文化の自由はすでに獲得されてい
る」という認識をもっているなど、芸術や文化の実状を十分に理解せず論議が非常に不十分な
なかで法制化が進められたことを強調するとともに、成立した法が関連団体の保護に傾いて
いるとともに文化庁色の強い内容になっていることも指摘しました。そして小林氏は、文化政策
の基本的な考え方を示し、人々が表現する自由と可能性を広げるのが文化政策なのであり、
戦前の文化統制のような国家が主体となった文化政策が、国民主体の文化政策へと転換され
る必要があり、その根拠になるものが文化権に他ならないと指摘しました。総じて今回の法制
化を通して、文化権という考え方がメジャーになっていないことがわかったといいます。今後の
課題として、文化の自由と多様性を保障する自由権的側面と、それを社会的に保障する社会
権的側面という文化権を構成する2つの側面のうち、とくに社会権を保障する方法を探ること、
それと関連して文化政策や行政に民意を反映させていくシステムを構築していく必要があるこ
とが強調されました。  論議の主な中心は、自由権と社会権との関連でした。つまり社会権を
強調すれば、ともすると国家が全面に出てきたり、他方で自由権のみでは権利が奪われる
人々が生まれる可能性があります。それに対して小林氏は、自由権と社会権の両者がバラン
スがとれた形で保障される必要があるという基本方向を示しました。さらに参加者から、今日
求められるのは多様な個々人を念頭に置いた「繊細な社会権」であること、また芸術文化の公
共性や権利は国家が与えるのではなく市民自身がつくり、その認知は国ではなく自治体や市
民自身が行っていくという視点が求められることなど、貴重な意見も出されました。  総じてい
えば、社会文化運動とは、ある意味で、既成の芸術文化のあり方を問いながらの、障害を持っ
た人々を含む多様な市民自身による文化権の創造と獲得の営みだといえます。今回の研究
集会は、社会文化運動のそうした側面に光を当て、その現状と可能性と課題を全体的に議論
できたといえましょう。     (山田康彦)
 



 
3.部会活動報告
 
社会文化学会西部部会研究会                     2002年5月25日 於 龍
谷大学
「デンマークにおける福祉政策とジェンダー」
大塚陽子氏(立命館大学非常勤講師)報告
 
 大塚さんは、2000年2月から2002年2月までの、約2年間デンマーク国立社会研究所に
滞在され、先頃帰国されたばかりである。最新のデータにもとづいて、表記テーマについて報
告していただいた。
  *  
 デンマークについては、会員である小池直人さんの好著『デンマークを探る』があって、彼(出
版社?)が「理想国家」だと持ち上げたこともあって北欧といってもスウェーデンだけでなく、デ
ンマークも独自の価値を持つことが次第に承認されつつある。
 今回の大塚さんの報告は,ジェンダーの視点から福祉政策を分析するものであった。ここで、
大塚さんの興味は、「個人単位制」のもとで「ジェンダー的平等」はどこまで保障されるか?に
ある。ということは、デンマークはジェンダーからみてどの程度理想国家なのか?ということでも
ある。
 デンマークの「個人enlige単位制」とは、経済的に自立した/就労実績のあるあらゆる個人に
親休暇制度の権利を与えることによってジェンダー的平等の進展を期待するデンマーク政府
の社会政策思想の制度化である。ちなみにデンマークには、クオーター(割り当て)制は存在
するのであるが、父親クオータの取得率は2001年で22%程度にとどまっているということで
ある。この背後には、男や女にだけに関わる特別の制度を強化することは、人間を「個人」とし
てよりも「性」として見ることになるがゆえに好ましくないという発想が存在する。言い換えると、
人間は、たまたま男や女であるにすぎず、その前に「個人enlige」ではないか?というのがデン
マーク政府の「個人単位制」の裏にある政策思想であると思われる。
 しかし、大塚さんによると、デンマーク政府のように人間を「個人」と見ることはジェンダー的
平等の実現に対して十分積極的だということにはならない。というのは、ケア義務をサポートし
ても家庭内労働の男女間シェアをあまりサポートしたことにはなっていないからである。だか
ら、大塚さんによれば、企業を巻き込んで男性に対して「ケアの義務」を促す必要がもっとあ
る、ということになる。
 デンマークには、2000年にジェンダー平等省が設立され、北欧諸国の政策協調のもとでデ
ンマークの「へこみ」を是正する課題を位置づけてきている。たとえば、そこでデンマークは労
働市場での性別偏りが激しいと指摘されているのである。
 まさしく、その点に北欧諸国間の差異は残っている。すなわち、大塚さんによると、「デンマー
クを除く北欧3国では国家主導の人権政策が多いのに、デンマークではそうではない」というこ
とになるのである。すなわち、デンマーク風の「個人単位」制は、「男女同様の扱い」をおこなう
ことを意味するが、これは「男女別の扱い ポジティブ・ディスクリミネーション」を強調するスウ
ェーデン、ノルウェイなどと対照的である。
 それゆえ大塚さんは、スウェーデン風の「男女別扱い」の政策を採用すれば個人enligeが後
退し、デンマーク風の「男女同様の扱い」を採ればジェンダー・ブラインドに陥るというジレンマ
を強調し、実際的にはスウェーデン・モデルの積極的な意義を語られたように思われる。
 以上、大変つたないまとめで要領をえたかどうかはなはだ自信がないが、私見を追加して締
めくくっておきたい。ここには、福祉国家における「個人」という問題が露呈している。個人と
は、デンマーク語でenlige、singleのことで、ドイツ語ではEinzelneである。enligeとは、普通の表
象としては、子供のない人、未婚非婚の単独の人をさすものだ。ただ、もし同棲とか結婚し子
供を持つとしても、そういう人をまさしくいつでもシングルになれる身軽な人として承認し、サポ
ートしていこうではないかという配慮がデンマークの「個人enlige単位制」の裏にある思想なので
ある。enligeの可能性をどこまで生かせるか?というのが、デンマーク福祉政策が提起している
問題なのである。難しいのは、他者と結合したり別れたりすることの自由な、身軽な人としての
enlige,single,Einzelne、その意味での個人は、確かに気楽かもしれないが、現実の資本主義で
はisolatedされ、分断された個人、すなわち疎外された個人になりやすいという、リスクを負うて
いるという点である。男女を、区別なく、この疎外された単独の個人に仕上げるという思想は、
誤解を恐れずに言えば、おそらく資本主義の枠内では最良のヒューマニズムであろう。運悪く
母子世帯の母になっても泣かせはしないというデンマーク福祉政策は、男性ばかりか女性を
enligeにする努力なのだ。デンマークは、北欧の中では最もenligeの色彩が濃い社会なのであ
る。
 これにたいして、スウェーデンとノルウェイでは、個人enligeよりもジェンダー・イクオリティのほ
うに力点がかかっている。だから、両国は「積極的差別政策」をとる。両国は、子持ちの夫婦の
個々人enligeの自発性に委ねておけば、家事育児労働は結果的に女性に偏差することを熟知
しており、自発性で不足するものを国家の政策でカバーすることを躊躇しない。
 ここがポイントである。スウェーデンやノルウェイはデンマークよりも個人を軽視しているのだ
ろうか?ジェンダー的平等と個人enligeのどちらを重視するか?という問題が、そもそも本当の
問題なのであろうか?
 違うだろうと私は思う。平等か個人の自由かというのは、偽の問題である。問題は個人の質
ではないか?
 デンマークは、やはり、キルケゴールの国だ。デンマークが追求するのはenligeとしての個人
である。全体に従属しない単独の個である。国家による積極的差別政策は、この個にとっては
外在的な暴力のように見えるのだ。「個の真の自由」を先取りするな!個の自発性という原理
に優先するような国家政策を持ち込むな!とデンマーク政府は言うだろう。
 これにたいして、スウェーデンとノルウェイ政府は、ジェンダー的平等によって保障されようと
しているのは、まさに、個人としての女性の価値なのだと主張するだろう。
 すると、デンマークとそれ以外の北欧諸国の政策の違いは、「個人か平等か」ではなく、「形
式的な個人の自由か実質的な個人の自由か」という違いだということになる。言い換えると
「enlige,single,Einzelneの自由か、それとも人種や階級や性の全社会領域での差別を乗り越え
たindivid,individual,Individuumの自由か」だということになろう。enlige,single,Einzelneとしての個
人とindivid,individual,Individuumとしての個人の、どちらの価値をどの程度重視するのかという
対立がここにある。
 この対立は、おそらく、現代思想の根幹の問題なのである。前者のような、抽象化された主
体enligeの限定的なボランタリズムから出発することこそ、急がば回れで、けっきょく最も民主
的な道だと言うべきなのか?それとも、目の前の明白な矛盾を乗り越えるためには、「フェアプ
レイはまだ早い」と魯迅のように考えて、国家政策を使ってでもindividの値打ちを強靱に押す
べきか?
 どちらの価値をどの程度採用するにせよ、北欧は、カップルの間に子どもが生まれたときジ
ェンダー平等が壊れやすいことを直視している点では共通している。
 そのうえで私自身は、いまは、前者の含意を汲み取りながら、やはり魯迅に近いところを求
めるほかないだろうと思う。だが、会員のみなさんはどうお考えになるだろうか?
 以上述べたように、大塚さんの報告は、根源的な問題をなげかけていると思われる。日本で
は、相変わらず「自立した個人が欠如している」というたぐいの議論は少なくないのだが、それ
は北欧が内包している個人論の豊かな重層性と闘争水準には到底届いていない議論である。
北欧の豊かさは、暮らしだけでなく、思想にも及ぶのだ。          (竹内真澄)
 


社会文化学会東部部会(第1回首都圏社会文化運動調査)                    2
002年5月25日
「社会福祉法人かがやき会『街』を見学して」

 
その周囲にはマンションやビルが立ち並び、目の前には放水路のようなコンクリートで固めら
れた川が流れていた。樫や桜の大木に包まれ、大きなガラス窓から明るい光をいっぱい取り
人れたレストラン風のそのお店は、明らかに誰が見ても街の「パン屋さん」である。更に言え
ば、そのお店は、喫茶室でもあり談話室でもあり画廊でもあり、更にはミニコンサートホールで
もあった。その建物の3階には、周辺の住民も利用できる会議室やホールも設置されている。
そこは、都会の中のオアシスであり"くつろぎと語らいの空間"であり、一つの社会文化空間に
もなっていた。しかし本来は、そこは精神障害者の働く場(就労センター)であり、社会復帰をめ
ざす「施設」なのである。
東部部会では第1回首都圏社会文化運動調査として、5月25日(土)、東京の新宿区中落合に
ある社会福祉法人かがやき会の就労センター「街」を見学した。多少とも長く福祉運動をしてき
た者からすると、この「街」の第一印象は大変強烈であった。そこは、これまでの私の「施設」と
いうイメージを完全に覆すものであった。外見は全くの普通の(否、それ以上の)しゃれたレスト
ランという感じなのだが、中では看護士資格を有する職員や福祉や精神障害の教育を受けた
スタッフたちが、利用者とともに普通の店員のように働いている。テーブルに客が座れば、その
誰かが極あたりまえの店員のようにオーダーを取りにくる。誰が利用者で誰がスタッフなのか、
聞かなければよく分からない。こんな「施設」が、かつてあったであろうか。
今回の見学会では行けなかったが、社会福祉法人かがやき会では、この「街」の他にも、精神
障害者の生活支援センター「まど」や共同作業所「麻の葉くらぶ」、福祉ホーム「諏訪ハウス」、
グループホーム「落合ハウス」などの多彩な事業を展開している。沿革によれば、精神障害者
の自立と社会参加に向けて、住まう場、仲間と集う場、自己発揮のためのプログラム参加の
場、新しい体験を積み重ねる場、セルブヘルプグループ活動のための場等々をつくり、小規
模、多機能な地域生活支援の拠点として、地域に開かれた施設づくりから地域交流をめざして
事業・活動を展開してきている。まだまだ閉鎖的な目本の精神障害者福祉の現状の中にあっ
て、この地域への志向性を一貫して有する事業展開は大変特異なものなのではないかと思
う。
埋事長の外口玉子さんのお語しは、そうした事業を展開する時に起こった地域の住民との諍
いや軋轢にも触れ、運動や経営の困難さから未来への希望にまで及んだが、その口調と表情
は「その時々に、何を大事にし、何を優先しなければならないのか、その場その場で何を選び
とっていくのか、それがはっきりしていれば、譲るところや守るところが見えてくるわけだし、今
は対立していてもいつかはこの人たちがお客になり理解者にもなるんだと思えば、我慢すると
ころは我慢して主張すべきことは主張できるわけだし、-----、障害をもつ人たちの困難さや必
要性に素直に目を向けて地域で活動してきたら、こんなものができてきた」と、どこかあっけら
かんとしていた。また一方では、利用者の多くは「周囲の動きに脅かされやすく、傷つきやすい
人たちです」として、一人ひとりへの気遣いや地域の人たちとふれあうための細かい配慮もの
ぞかせていた。そこには、これまでの活動と経験に裏打ちされた精神障害者へのやさしい眼差
しと堅い決意・闘志とが同居しているようにもみえた。今回の見学会では改めて、福祉運動が
社会文化運動の一環としても重要な意味をもっているということを痛感させられた。今なお偏
見や差別の激しい精神障害者の問題であったからこそ感じた面もあるが、どんな分野であれ、
これからの福祉は地域への志向性を強くもたざるを得ない。そうであればこそ、既存の制度や
考え方ばかりでなく歴史的文化的な因習や常識などともぶつかり、何らかの社会変革を辿らざ
るを得なくなるであろう。だからこそそこに、新しい価値観や文化が生まれる可能性を有してい
ること。新しい文化の芽が潜んでいること。そんなことを、漠然と学ばされたと同時に、何か大
きな元気を頂いた思いにもなった。「街」の見学を終え皆で帰ろうとした時、先程まで福祉を熱く
語っていた外口さんが一階の画廊スペースにいらっしゃり、街の画家と次に飾る絵画の語題に
花を咲かせていた。今でも忘れられない光景である。  (2002.8.25.記) (麓正博)


 



4.研究交流委員会
(1)ドイツ・ハンブルグ報告

 
 ドイツ研究・交流委員会の主催で6月6日〜15日、本学会として3回目のドイツ調査旅行を実
施した。参加者は5名であった。今回は昨年に引き続きハンブルク市の地域市民文化祭典
altonale 4を体験すると共にカッセル市で開催中のdocumenta 11をも訪れ、文化・芸術と街づく
り、市民自治、政治とを結合しようという試みの具体的諸相を調査することができた。以下にそ
の概要を報告する。
1 日程と訪問先
【6月6日】
 午前便で、成田および関空を出発し、ソウル、フランクフルトを経由して23時過ぎにハンブル
ク市アルトナ区の宿舎Stadthaushotelに到着。
このホテルは、知的障害者の労働と共同生活の場として、彼らの両親たちが開設した施設で、
現在は麻薬問題解決市民団体「青年が青年を助ける(jugend hilft jugend. e.V.)」が経営してい
る。滞在中、客としてこの施設の実際を体験すると共に、2名の指導職員から説明を受けた。
【6月7日】
 10:00 ハンブルク市(州)文化局を訪問し社会文化担当ヴェルナー・フレミング(Werner 
Fromming. Dr.)から、市の地域文化(=社会文化)政策の近年の特徴につき説明をうける。フ
レミング氏はモッテとならび有名な市内の社会文化センター「ゴルドベクハウス」の館長を長年
勤め、前任者が退職した昨年この職に就いた。市政が保守化(昨年、戦後一貫して「法治国家
党」という極右政党していく中で、社会文化運動の発展のために孤軍奮闘している様子が窺え
た。 
 12:00 「1765年の愛国者協会Patriotische Gesellschaft von 1765」を訪問し、事務局長マティ
アス・シュヴァルク(Matthias Schwark)氏から、昼食も共にしながら、その歴史と現在の主要な
活動内容、特に社会文化運動との協力事業について説明をうける。愛国者協会は18世紀の
啓蒙期に結成された市民団体で、2世紀以上にわたり教育、文化、福祉、産業、金融などの分
野で次々に先駆的事業を実施してきた伝統をもち、現在も市内の市民運動を援助する活動を
展開している。
 15:00 ハンブルク市エイムズブッテル区青少年課地域文化担当ブレッツBrettz氏から区行
政のレベルにおける社会文化振興策の具体的方策について説明をうける。
 18:30 アルトナ区庁舎中庭で開催されたアルトナ祭開会式に参加。    
【6月8日】
 終日アルトナ祭を見学、体験する。
【6月9日】
 日中はアルトナ祭見学。
 19:00 アルトナ祭実施責任者で、社会文化センター「モッテ」館長のヴェント氏を囲んでの夕
食・交流会。彼は自称アナーキストで、議会・政党政治の形骸化という状況の下での社会文化
運動の政治的な意義、可能性など、昨年に続き興味深い話が聞けた。
【6月10日】
 8:00 上述のホテルと隣接した喫茶食堂Cafe maxBで朝食をとりながら、指導職員ルイ・オリ
ヴェイラ(Rui Oliveira)氏から説明を受ける。ここは、やはりjugend hilft jugendが経営する元薬
物依存者の職業訓練・社会復帰施設であり、ホテルとペアで、ヨーロッパでも唯一のプロジェク
ト(知的障害者と薬物依存者の共同労働を通じての社会参加)として運営されている。
店内では3名の青年(うち女性1人)が我々の朝食の準備と片付けをしてくれたが、彼らは薬物
使用から立ち直り社会復帰を目指す見習い従業員である。思い切ってルイ氏に薬物経験があ
るかと聞いたら、若い頃依存者であり、その経験が現在の仕事に役立っていると答えた。

 11時過ぎの特急でカッセル市に(13:30過ぎ着)。午後はレクリエイション。
  
【6月11日】カッセル
 10:00 docmenta11展示鑑賞
第1会場の Kultur Bahnhof(文化駅)を出発点に市内5会場のうち4会場を駆け足でまわる。

 18:30 カッセル市内の社会文化センターのひとつWerkstatt Kasselを訪問。職員カルメン・ヴ
ァイデマン(Carmen Weidemann)さんや常連客からこのセンターの歴史と活動の重点につき説
明を受け、館内見学。
 【6月12日】カッセル→フランクフルト
 10:00 ドクメンタの第5会場 Bindingビール工場で展示鑑賞を続ける。
 13:40 社会文化センターSchlachthofに行き、広報担当職員ウド・ケアスティンク(Udo 
Kersting)氏から、センターの歴史と事業について説明をうけ、館内見学。
 16:10 ICEでフランクフルトへ。夕刻市内散策。
 
【6月13日】
 10:00 エコ・ハウスに行き、その内部にある社会文化センター「カ・アインス」職員ビザーム・
アルカンアーン(Bizham Alkanaan)氏−イラン出身のクルド人−と再会し、雑談。
 11:00 ユダヤ博物館
 午後 自由行動
 19:45 フランクフルト空港からソウルへ
【6月14日】
 13:30 仁川着。釜山民主抗争紀念館の李相録氏が出迎えてくれる。驚き、恐縮する。
 15:30 延世大学キャンパス内サンナム経営学研究所ゲストハウスに到着。
 17:00 新村の街へ出て、居酒屋で李相録氏と意見交換。
 19:00 文化政策開発院主任研究員Choung,kap-Youngが加わる。
 20:30 ワールドカップに盛り上がる街の屋台でマッカリを飲みながら議論。
 22:00 李相録氏の提案で喫茶店が閉店するまで討論を続ける。文化の家の可能性あるい
は運営形態(公営か民営(市民自主管理)かをめぐり、Choung氏(政府機関)と李氏(民衆運動)
の間に鋭い対立があることがわかり、興味深かった。
【6月15日】
 10:30 李相録氏の案内で独立公園(西大門刑務所歴史館・独立門)見学
 13:00 韓国民族芸術人総連盟(民芸総)事務局員で文化の家全国協議会事務局長でもある
安成培と会い、昼食後民芸総本部を訪問し、説明をうける。
 15:30 宿舎に戻りタクシーで仁川空港に向かう
 19:45 帰国便へ搭乗(出国手続きまで李、安両氏が同行し質疑に答えてくれた)

2 成果
 今回の調査旅行の成果を箇条書きしてみる。
(1)第4回目を迎えたアルトナーレが、不況下で行政側、企業側からの援助が後退するなか
で、市民主導による地域文化祭として確立しつつあることを確認できた。Wendt氏は、アルトナ
ーレを単なるイベントとして惰性化させたくないという意志、「政治文化」活性化の場にしようと
いう意志を昨年同様強固にもち続けていた。
(2)Haus DreiおよびGWA St. Pauli SudというMotteと協力関係にある二つの近隣社会文化セ
ンターの活動について、さらに知ることができた。特に後者がエルベ川沿いの社会問題地区で
展開していた2つのオールタナティブ運動(沿岸の最後の空き地の再開発計画に反対しそこを
住民の公園にしようとするPark Fiction運動および閉館された市民病院を占拠しそれを新しい
健康・保健施設にしようとする運動)が、両方とも実現していることには、驚かされた
 さらに驚かされたのは、Park Fictionの詳細な活動記録が芸術作品として、カッセル市の
documenta11に招聘・展示されていたことである。公園作りは単なる抗議政治運動ではなく、市
民の共同的な創造(芸術)活動だったのだ。社会文化の意義を改めて教えられた思いである。
(3)宿舎であったStadthaus Hotel と隣接するCafe Max Bのプロジェクト、つまり知的障害者と
薬物依存者の職業訓練および社会参加の実験を体験することができたのも思わぬ成果であ
る。
(4)カッセル市ではdocumenta11を観賞するとともに市内の2つの社会文化センターを訪問で
きた。興味深いのは2つのセンターが共に第6回documenta(1977年)を機縁にして、具体的に
はJoseph Beuysの国際自由大学運動への協力を通じて設立され、現在もその原点を大切に
していることである。Beuysの「社会芸術」「万人が芸術家」が1970年代の社会文化運動に大き
なインスピレーションを与えたことはしばしば指摘されることであるが、それを具体的に体現す
るセンターがあったのだ。
カッセル市内の社会文化センターや上述のPark Fictionにより、Beuys、ドクメンタ、社会文化
運動、アルトナーレを結びつける赤い糸を見出したように思える。Park Fiction はまさにBeuys
が1983年にハンブルク市で着手した社会芸術プロジェクトの一結果といってもよいのではない
か。(谷和明)                 
 


(2)韓国訪問
 
「韓国文化の家の現状」 
 
 1 今回の調査旅行でのソウル訪問は、帰国便のイムチョン空港での待ち時間が余りにも長
い(6時間)ので、それならいっそ一泊して時間を有効利用しようという想いつきから生じた。しか
し、予期以上の収穫があった。それは、ワールドカップ(対ポルトガル戦)に沸く金曜日の午後
と土曜日という、およそ不適切な日程であったにもかかわらず、3名の韓国の友人が本当に親
切に対応してくれたからであり、さらにそれを桔川純子会員が流暢に通訳してくれたからだ。
 残念だったのは、ドイツでの強行軍の疲労と時差とが重なっていたため、この機会を充分に
生かす余力が残っていなかったこと。常に睡魔に襲われ、眼を開けているのが精一杯で言葉
は右から左へといった状態がしばしばだった。それでも、韓国の社会文化運動の状況、とりわ
け「文化の家」に関して、対立する立場からの非常に興味深い話を聞くことができた。
 2 まず3名を簡単に紹介する。
(1)李相録さん:釜山市にある民主抗争祈念館民主主義社会研究所運営委員(前副所長)。
男性、40代後半。80年6月の釜山の民主抗争に参加して政治犯として2年間刑務所生活をし、
出獄後も身分証明書を偽造して別人に成りすまして労働運動に身を投じ、再逮捕・獄中生活。
軍事独裁体制化で国禁思想であったマルクス主義の可能性を信じていただけに89年の社会
主義体制崩壊後は3年間ほど呆然自失状態で酒浸りの日々を送った。現在は、90年代以降脚
光を浴びてきた市民運動の潮流とは一線を画しつつ、マルクスの再検討を踏まえた社会運
動・変革の理論・実践を模索している。
(2)鄭甲永さん:韓国文化観光省・文化政策開発院主任研究員。男性、40代後半。80年代後
半、7年間ドイツに留学して社会学で博士号を取得して現職にあり、「文化の家」の構想立案、
その後の開設・運営指導や職員研修などに深く関与。ドイツ社会文化センターに関する知識も
深く、親近感を抱いている。
(3)安成培さん:韓国民族芸術総連合(民芸総――1988年、既成の韓国芸術人総連合(芸
総)の保守的・官許的性格に批判的な芸術家たちによって結成された団体)事務局員かつ文
化の家連絡協議会事務局長。男性、30代前半。大学院で文学を専攻。そこで社会人学生であ
った金B均さん(詩人。光州市北区「文化の家」の常任委員で現在は文化の家連絡協議会会
長)と知り合い、その斡旋で現職に。 
 3 「文化の家」
韓国では1990年代中期以降地方自治制度が導入されるようになり、その自治の内実を形成
する一方策として住民の文化活動、地域文化活動の振興が図られるようになった。そのため
の新しい施設として地方自治体により設置されるようになったのが「文化の家」である。1996年
から始まり、現在までに全国で119の「文化の家」が設立されている。
(1)文化の家は多目的・多機能的な地域住民施設として、日本の公民館と同一類型に属する
といえる。施設、設備に関しても、むろん大小多様であるが、平均して3名弱の専任職員が働
いている点を含めて、公民館に類似している。
(2)文化の家は、その名が示すとおり、文化行政に属する施設である。設置に際しての指導、
補助金助成を文化観光省(韓国の文化担当官庁の名称はいくたびか変更されてきたが、現在
はこう称される)が行い、自治体の文化行政部局が設置・運営する。
(3)文化の家の制度化には、当時文化省の次官(担当局長?)であったK氏が非常な熱意を
もって取り組んだ(公民館発足時の寺中を彷彿させるエピソード)。しかし後任(現在)の次官は
それほどの熱意と見識がなく、それが「文化の家」の停滞の一原因となっている。
(4)文化の家の構想に当たっては、参考事例としてドイツ、アメリカ、スウェーデン、英国、イス
ラエル、日本、フランスの地域センター施設を研究した。ドイツなどヨーロッパの事例をモデル
にしようという意見もあったが、最終的には日本の公民館をモデルにして制度化が実施され
た。つまり公設・公営方式である。
(5)ほとんどの文化の家は館長を含め数名の地方自治体職員によって運営されている。光州
北区など数ヶ所では例外的に、住民団体に運営が委託され、市民自主管理方式が取られてい
る。
(6)昨年3月には文化の家の総数は50余ということであったから、一年間で倍増したことにな
る。とはいえ、絶対数は少ないし、今後順調に増加していくと予測もできない。というのも、文化
の家は、そのあり方をめぐって当事者・関係者からさまざまに批判されており(文化の家批判
の代表的論客は、という質問に対し鄭さんは、職員を含め皆が批判していると回答した)、いわ
ばアイデンティティの危機に直面しているからだ。
4 文化の家の問題点をめぐって(李さんと鄭さんの意見の相違)
(1)文化の家の問題点
@多くの場合、地方自治体は政策理念のないままハコモノ行政的に文化の家を設置してい
る。
A特に公営方式の場合、配置されている職員のほとんどが「文化」領域での見識・経験のない
公務員であり、また人事異動も多く、住民にインスピレーションを与えるような創造的事業展開
をなしえていない。どんなプログラムを提供すればよいのかわからない状態。
B上記の状態では、他の行政部門が設置している類似した地域センター施設との相違が不明
確であり、文化の家の存在意義が問われることになる。
(2)文化の家の類似施設には、@住民自治センター、A地方文化院、B青少年文化の家など
があり、施設の形態や実施事業プログラムは文化の家を含め大同小異だという。その限りで、
各自治体があえて文化の家設置へと踏み出す理由が弱くなる。他方で住民自治センターは自
治行政が管轄する施設だが、すでに1000以上設置され、2〜3000にまで増加すると見込まれ
る。
 (3)文化の家が直面するアイデンティティ危機を解決する方策として、李さんによれば、2つ
の異なる見解がある。
@一方は文化政策開発院に代表される見解で、文化の家の内部的問題の解決が第一だとす
る。換言すれば現行の公設・公営体制の下でも、職員・当事者の努力により個性的・魅力的な
プログラムを実現していくことが文化の家の発展につながるという見解。
Aそれに対して、民芸総など批判的勢力は法的・制度的問題の解決なしには前進はありえな
いと主張する。公設・公営では創造的・個性的な事業展開は不可能だから、民衆運動団体へ
の経営・運営の移管を実施するべきだという見解。
(4)Aの立場から李さんは以下のように述べた。
1)文化の家の本来の政策意図は、上から設置するが住民の自主的な活動を促進することに
あったはずだ。しかし、光州、ソウル、全州などの数ヶ所の例外を除いて、うまくいっていない。
@公設・公営型の文化の家では館主導的で住民が受動化させられている。
Aほとんどの文化の家で画一的な事業が実施され、多様性がみられない。
2)民芸総や文化連帯などの市民団体は、文化の家の運営に参加できると考えていた。またそ
の力量は充分にある。にもかかわらず、政府・行政はそれをためらい、文化の家を不活発にし
てしまっている。
(5)それに対して鄭さんは以下のように答えた。
1)現状認識では李さんと同じだ。
2)運営主体の多様化が必要で、民芸総の運営する文化の家もありえる。韓国では民衆運動
のポテンシャルが高いのでそれを活用できる。
3)ただし運営委託には団体の法人格取得が必要(法人化の要件は厳しいという)。また、公的
施設なのだから団体委託に際しては民芸総などの政治色が障害になるだろう。
4)例外としての光州などの事例は、むしろ現行制度下でも努力次第でうまくいくという実例で
はないか。
(6)この鄭さんの意見に対して、李さんは、民衆の運動を不信視(敵視)している政府側の本
音が現れたと、厳しく指摘していた。運営を民芸総に委託さえすれば、非常に少ない予算で多
大の成果を挙げることができるのに、そこに政治党派的なハードルを持ち込んで、問題の解決
を不可能にしているというのである。
5 文化の家連絡協議会
文化の家の運営をめぐる文化政策開発院(文化・観光省)と民芸総との間の見解の相違を、
李さんはしかし、敵対関係ではないと説明した。それを具体的に示すのが、文化の家の上部
団体である文化の家連絡協議会の会長が金B均、事務局長が安成培さんという共に民芸総
側の人物によって担われている事実である。民芸総はこのようにして、文化の家に協力し、か
つ影響力を行使しているのである。
 文化の家連絡協議会の構成員は各文化の家である。文化・観光省の認定・助成基準には、
文化の家の設立要件のひとつに連絡協議会に加盟することが掲げられているという。その意
味で公的な組織だといえる。役割は、文化の家の利益・要望を政府・行政に対して代表すると
共に、文化の家の経験交流や事業・運営に関する提言・助言をおこなうことである。年1度の総
会のほか研究会や協議会を開催している。職員以外に市民運営委員や自治体の監督部局職
員らが参加する。熱心なのは30名ほどで、その大部分は市民運営委員の立場の人物だとい
う。
6 文化の家との交流
 安さんは日本の公民館にかなりの関心を示して、交流を希望していた。
文化の家が公民館をモデルとしていたということ、そしてそのポイントである公設・公営をめぐり
批判と論争が起こり、アイデンティティの危機に直面しているということ。これだけをとっても、日
本の公民館の現状と照らし合わせて考えると非常に興味深い事実である。公営施設としての
公民館の多様な経験の蓄積を韓国の関係者に伝えること、同時に活発な民衆運動に支えら
れて主張されている韓国での民間委託(自主管理)の実験を学ぶこと。日本の公民館と文化
の家の研究者および職員・実践家レベルでの交流は双方にとって非常に有意義なものとなる
のではないだろうか。      (谷和明)                                
 
 


 
5.組織報告−会員異動
 
 
お知らせーその22「社会文化学会連絡用メーリング・リストの設置について」
運営委員会から会員への、ならびに会員相互間のコミュニケーションの手段として学会員の連
絡用メールリストの立ち上げを計画しています。このメールグループは1)現在各会員に郵送し
ている「社会文化通信」では対応しきれない随時の連絡、情報提供をおこなう。2)各会員が得
た、社会文化研究に有意義な情報(研究会開催、出版物、文化・芸術公演、社会運動、文化
事業などに関する)の提供・共有の目的に使用します。このメーリング・リストは、あくまでも社
会文化研究・運動に関わる催しものや事件の情報交換を目的とするものであり、意見表明や
討論を行うことではありません(そのような場に対する要望が多い場合は別に準備します)。メ
ールを利用できる会員に限定されますが、このようなメールリストの活用により、学会内のコミ
ュニケーションの発展が期待されます。
以上の趣旨をご賢察のうえ、メールを使用している会員がこぞって連絡用メールリストに登録
されることを呼びかける次第です。
登録の方法:社会文化学会連絡用リスト担当者(メールアドレス socul-org@tufs.ac.jp)あて
に、次の要領でメールを送信して下さい。送信メールの件名は「リスト登録」とするAメールの
通信欄には氏名、居住都道府県名、登録メールアドレスを記載する。B上記のメールにより、
担当者がリストに登録する。リストは10月中旬から発足の予定です。質問等は上記アドレスま
で。
 

 


6.特別寄稿
変わってる、しかも良い
――シュタットハウス・ホテルとカフェ・マックスBの客として――

 
  ハンブルク市西部の中心駅であるアルトナ(アルトナーレはこの駅から半径500メートルほど
の地域で開催される)から北東にのびるマックス・ブラウアー通り(Max Brauer Alee)を10分ほ
ど歩くと、ホルステン通りという広い道路と交差している。そこを右折して10メートルほどでシュ
タットハウス・ホテルの玄関に着く。アルトナーレ名物のパレード出発点となる社会文化センタ
ー「3番館Haus Drei」のすぐ近くである。
この付近には、1階部分が主に店舗や事務所に、2階以上が主に住居に利用されている6階
建てほどの建物が通りに面して並んでおり、シュタットハウス・ホテルもそのような建物の1階
部分で営業している。実はホテルの客室はほかにもある。今来た道を引き返し、左折して再び
マックス・ブラウアー通りに戻ると、左側に赤い外観の喫茶店「カフェ・マックスB」(後述)があ
る。やはり6階建てビルの1階の半分くらいで開店しているのであるが、残りの半分がホテルの
別館として使用されている。この二つの建物は、交差点角の建物を挟む形で、正面は別の道
路に面して離れているが、裏側では隣接している。中庭を通って簡単に往来できるのである。
本館、別館などと言ったが,両方合わせてもシングルルーム4室、ダブルルーム8室、ファミリ
ールーム1室、それに会議室としても利用される朝食堂とプロ使用のランドリー室からなる小規
模ホテルである。
ドイツの都市のどこにでもある家族経営のプチホテルのようだが、このホテルのモットーは「変
わっている、しかも良いAnders und Gut!」である。どこが変わっているのか?それは、滞在す
ればすぐにわかる。ここでは職員(Mitarbeiter)と呼ばれる人が7人働いているが、全員がダウ
ン症などの障害者なのである。このような、障害者が働くホテルは、ドイツでもあと2ヶ所が知ら
れるのみだから、非常に珍しいといってよい。変わったホテルなのだ。
モットーの後半の「良い」というのは、ホテルとしての機能・サービスの良さを意味する。つまり、
このホテルの目標は、世間から福祉施設としてではなく、あくまでもホテルビジネスの水準で評
価されることであり、それを通じて、職員が人間的な自信と誇りを持って社会生活を営むことな
のである。
とはいえ、彼らだけでホテル業務を遂行することはできない。朝食の準備・給仕、清掃といった
基本的なルーティンワークは習得し、実に几帳面にこなすことができる。それは、一般ホテルで
時々経験する慇懃無礼な対応や手抜きとは無縁の、さわやかでぬくもりのあるサービスだ。け
れども宿泊客の突発的な、しばしば無理難題を含む依頼や質問を即座に理解し、対応する能
力は彼らにはない。もちろん体力も弱い。だから例えば、チェックアウト時には、勘定、タクシー
依頼、荷物預かりといった作業が短時間に集中するが、それを臨機応変にさばくようなことは
できない。そのために、このホテルには「指導員Anleiter」といわれる職員が2名いて交代で勤
務している。30歳ほどの男女であったが、ともにホテル業の職業訓練を受け、職業経験をもつ
プロである。指導員の役割は、福祉職員としての援助ではなく、ホテルマネージャーとして、職
員の仕事を指導するとともに、彼らのできない作業を処理することである。ホテルでは5名の障
害者はあくまでもホテル従業員として働き、処遇されるのである。

障害者職員は昼過ぎまで5時間労働し(それが限度だという)、その後はホテルの上層階にあ
る彼らの住居に戻る。そこには彼らの仲間である2名の重度・多重障害者が待っている。この
9名の障害者たちは親密な友人として住居共同体(Wohngemeinschaft)で共同生活をしている
のだ(うち2名は夫婦となり、別個の住居で暮らしている)。彼らの親たちも、同じ建物のなかに
それぞれ住居をもっている。彼らが絵画、手工芸など創造活動を行うための工房もある。  こ
の住居共同体は彼らがまさに障害者として助け合って暮らす生活共同体であり、その介護・援
助のために福祉専門職員が2名配置され、交代で24時間生活を共にしている。
このような障害者の生活共同体を基盤にし、その構成部分――労働=収入の場――としてホ
テルが位置づけられていることも、シュタットハウス・ホテルの大きな特徴である。このホテルの
出発点になったのは、養護学校などを通じて形成された8名の障害者の親密な友情関係であ
る。彼らの両親たちは、成人後も子供たちがこの関係を継続し、相互に支えあいながら、自立
していくことを望み、その方途として子供たちの住居共同体と生業の場としてのホテルが一体
化した空間を作ろうとした。そのため、1987年にNPO団体「ハンブルク・ワークショップハウス
の会」を結成し、資金集め、場所の確保、子供たちの職業教育などに奔走し、1993年、現在の
本館だけのスペースでホテル開業にこぎつけた。とはいえ、通常なら家族が副業で経営できる
規模のホテルの売り上げでは、このプロジェクトを支えることはできない。もちろん公的な補助
金もあったが、財政的に行き詰まり状態となった。それ以外の面での両親の負担も大きかっ
た。
そんなときにこのプロジェクト運営の肩代わりをする団体が現れた。「青年が青年を助ける
jugend-hilft-jugent e.V.」という1970年代から麻薬問題に取り組んでいるNPO社会事業団体
で、現在では約230名の職員を擁し、市内の各所で薬物依存者のための治療・相談施設や共
同住宅、その子供のための保育園、さらに薬物問題の職員養成所などを経営している。実
は、この団体の事務局もマックス・ブラウアー通りにあるのだが、新しいプロジェクトとしてホテ
ルの近くにビルを新設し、上述の「カフェ・マックスB」を開業しようとしていた。そして、この「マッ
クスB」とトとホテルとを統合したプロジェクトとして経営しようとしたのだ。2000年の「マックスB」
開業とともに、その隣に客室が増設された。整備の改修や、経営体制の改善も進められた。
そして最終的は「ハンブルク・ワークショップハウスの会」は「青年が青年を助ける」に吸収され
ることになった。
この合併によってホテルは財政・経営困難を乗り切るとともに、客室の増加およびマックスBを
食堂(ホテルでは朝食しか出していないが、マックスBでは夕食まで可能)や会議室として利用
できることになり、ホテルとしてのキャパシティを充実できた。またホテルの指導員や住居共同
体の福祉職員は「青年が青年を助ける」の職員として、後述するカフェ・マックスBの指導員とと
もに単一のプロジェクトチームに属しているので、相互に協力・補完しあうことができ、効率的と
なっている。また、親たちのホテルへの援助や介護の負担は大幅に軽減されることになった。
障害者の親たちがホテルを作ったというのも快挙であるが、それが経営困難となったときにサ
ポートする市民団体が存在する事実にまさに社会的セーフティーネットワークという言葉を実感
できる。

「マックスB」は開放的な感じの50席ほどある喫茶食堂だが、やはり「変わっていて、しかも良
い」をモットーにしている。ここの変わった点は、10数名の店員が薬物依存者だったということ
である(若干の障害者もいる)。つまり、ここは薬物依存者だった人と障害者のための飲食業
分野の職業訓練施設なのだ。「青年が青年を助ける」やその他団体の相談・治療ネットワーク
の対象となった人で、現在薬物を使用しておらず、かつ就業意志のある人は、申請してここで
働くことができる。市や国の就労対策事業などからの補助金によるもので、期間は最大1年間
である。これを修了すると、飲食業の専門学校に進学して職業資格を取得することができると
いう。
ここにも「指導員」として飲食業・調理のプロが3名働き、実技の指導や生活の観察をしてい
る。なかには、薬物使用を再開することもあり、そんな場合には、すぐに団体が運営する相談・
治療所に送られることになる。でもそれは例外的で、開業以来2年間でのべ40名あまりが働い
ているが、ドロップアウトしたのは数名だという。そう説明してくれた40歳くらいの男性指導員も
かつて薬物依存者だったそうだ。だからこそ従業員(訓練生)の状況が良く理解できるという。
筆者たちはここで朝食を食べたが、きれいに並べられており美味であった。男女2名の青年店
員(依存者だった)の態度もフレンドリーであり、喫茶食堂として合格点の店だと思った。ここが
薬物依存者の職業訓練施設だと気がつく客はいないだろう。「変わっていて、しかも良い」。こ
の店は食事客がアルコール類を持ち込むことも認めている。住民が気軽に、しかもゆっくりと
過ごせる場所、そして従業員との間に自然なコミュニケーションが交わせる場所にしようとして
いるのである。
 
 「シュタットハウス・ホテル」と「マックスB」とは、ともに社会的不利益層に属する人々に社会
的に「良い」と評価される労働の機会を提供することを通じて自立能力を形成し、かつ客である
一般市民との間のコミュニケーション、相互理解を促進しようという目標の点で共通している。
けれども、両者には根本的な相違もある。薬物依存者の場合は健常生活に復帰できることが
期待されているのであり、「マックスB」はあくまでもそのための通過点(1年間の)であるが、「シ
ュタットハウス・ホテル」の場合はそうではない。障害者たちにとって、ホテルは障害を抱えたま
ま働き、生活していけるためのいわば終の棲家なのである。10年以上にわたって親密な関係
を形成してきた障害者たちの生活共同体とホテル運営は不可分なのだ。現在30歳前後の彼ら
は今後年を重ねつつ、症状の変化、両親の死そして仲間の死を経験しなければならない。新
しい仲間の加入もありうるだろう。それに応じて、生活共同のありよう、そしてホテル経営のあ
りかたも、彼らの生活を有意義にするという究極目標にあわせて変化していくはずである。

 障害者が運営するホテルそのものが筆者にとって新鮮な驚きであったが、それと薬物依存
者だった人々が働く喫茶食堂との統合というのは、眼にするまでは考えることもできなかった。
これはヨーロッパでも唯一のプロジェクトだという。まさに非常に「変わっている」のである。しか
し客として「良い」体験をすることができた。(谷和明) 


 
 
シュタットハウス・ホテル入り口(写真:谷和明、本文参照)


社会文化学会第5回全国大会:「自治としての社会文化」(会場案内)


大学へ:駅から徒歩の場合ご参照ください
駅へ:              
地下鉄「白山」または「本駒込」で下車。
都バス「東洋大前」が至近。               連絡先:社会文化学会第5回全国大会実
行委員会
〒112-8660東京都文京区白山5-28-20
東洋大学社会学部紀研究室気付
email: soziokultur5@tufs.ac.jp
     大会ホームページ
    http://www.tufs.ac.jp/ts/society/soziokulturtufs/

社会文化通信 16号
発行:社会文化学会
2002年9月17日
事務局:大阪外国語大学 小林清治研究室

会場へ:


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