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以下の文は1992年のコロンブス500年の際に書いた文章です。今読み返してみると、現在、小生が主要な努力を払っている多言語・多文化教育研究センターの活動につながることを書いています。ということで10年前以上の文章ですがあらためてアップすることにしました。

 

「コロンブス500年:平等のなかで差異を生きる」

(『Al Sur』 Vol.1 1992年)

 

「コロンブス500年」って,いったいどんな意味があるのだろう。

コロンブスの「新大陸発見」なんて,はるかむかし小学校の歴史の時間で教わったはずの出来事だ。世界史年表の中にはゴチック体で載っている歴史的事実。小学校時代の教科書の「地理上の発見」と題された教科書のページが,黄色ばんだ紙質の質感とともに,今でもまだ記憶に残っている。つまりは,コロンブスの事業など僕にとってはすでに化石化し,確定した歴史的事件の一つにすぎない。もうとっくの昔に新鮮味を失ってしまい,常識と化した知識。なにしろ,ずっと昔の話である。それこそ500年も前の出来事である。そんな昔のことを今さらあらためて取り上げることに,果たしてどんな意味があるんだろうか。

でも,今年は,そのコロンブス500年にあてこんで(といって悪ければ,500年を記念して),各方面でそれなりにいろいろな色々な動きが見られた。スペインではセビリヤ万博が開かれたし,コロンブス映画が米国とフランスで製作され日本でも最近封切られたし,本屋の店頭にはコロンブス関係の書籍が何冊も平積みされていたし,コロンブスが航海したあのサンタマリア号を復元し,大西洋ばかりか,勢いつけて太平洋まで横断させちゃた話もあったし,どこかのデパートでは「コロンブス生誕(!)500年記念セール」をやったということだし。もちろん,まじめな学問の世界でもあちこちで記念シンポジウムが開かれたということですが,よくは知りません。もちろん,わがラテンアメリカ交流グループでも「コロンブスの卵焼き」を食べました。

でも,ラテ交の企画は多分例外として,それぞれ盛り上がりは今ひとつだったのではなかったでしょうか。ま,そうだろな,と思います。いったい,いまの私たちにとって,「コロンブス500年」がどれほどの切実な意味を持っているんだろうか。

確かに,もっともらしいことを言おうとすれば言えないことはない。アダム・スミスを引き合いに出して,「アメリカの発見と喜望峰を迂回して東インドにいたる航路の発見とは,人類史上に記録されたもっとも偉大でもっとも重要な二つの出来事である」(『国富論』),なんて言ってみたり。マルクスを引っぱりだして,「アメリカにおける金銀産地の発見,土着民の絶滅・奴隷化・および鉱山への埋没,東インドにおける征服と略奪の開始,アフリカの商業的黒人狩猟場化,・・これらは,資本制的生産時代の曙光をしめす」(『資本論』第1巻),とか言ってみたりして。まあ,一応かっこうはつくけれど,でも,やっぱり二番煎じ,三番煎じ,という感じ。

だいたいのはなし,コロンブスの取り上げられ方は完全にパターン化してしまっている。ある程度のバリエーションはあるものの,結局のところ,褒めるか貶すか,その二つに一つのどちらかだ。彼の勇気と世界史的偉業を言葉をつくして褒め讃えるか,もしくは,「北」の国々による「南」の国々の搾取と収奪の歴史を生み落とした張本人として告発するか。ざっと見渡して見ると,スペインや南北アメリカの為政者たちはだいたいコロンブス万歳派であり,それに対して先住民族,エスニック・マイノリティは告発派である。

それではお前はどちらの立場につくのか,と言われるとやはり困ってしまう。あえて言えば,後者の側か。しかしそれは,別にコロンブス本人に対してどうこうというのではなく,今現在コロンブスを持ち上げている人たちにいやらしさを感じるからだ。いったい,国際会議の場で,「コロンブスは偉大だった」とかなんとか,500年前の人のことをもっともらしい顔して褒め上げるなんてうそっぽいと思いません? なんか下心があるに決っている。

かといって,コロンブスはけしからぬ,と拳を振り上げる気もしない。まあ,気持ちは分かるけど,というところ。

コロンブス500年をきっかけにして僕が考えていることは,結局のところ,「他者」とどう付き合うか,ということだ。つまり,今の世界に生きる僕たちの問題。コロンブスから500年たった現在,僕たちがどのようにして地球上のさまざまな人たちとつきあっていくのか,という問題。つまり,われらがラテンアメリカ交流グループの掲げる「交流」とは何ぞや,ということなわけ。

ここで少々理屈っぽい話をさせて下さい。

ブルガリア生まれの記号学者トドロフは,その著書『他者の記号学』(法政大学出版局)において,コロンブスがどのようにインディオ(つまりヨーロッパ世界から見た他者)を見ていたかを分析している。

コロンブスは,一方で,インディオを肉体的に美しく,精神的に善良だと称賛する。彼の筆にかかると,「この土地の者は男も女も,(……)これまで出会ったうちでもっとも美しい人だち」であり,「この世でもっとも善良で穏やかな人々」だということになってしまう。だが,まもなく,彼の評価は正から負へと文字通り180度転換する。ジャマイカ島で難破したとき,コロンブスは「残酷で,われわれに敵対するおびただしい数の未開人に取り囲まれている」と書いた。「もっとも美しく善良な人々」から「残酷な未開人」への大逆転である。

かくも簡単にコロンブスのインディオ評価が逆転してしまったのはなぜか。トドロフは,それが,「(相手を)認識しようとする欲望にではなく,状況についての実用的な評価にもとづく」ところからきていると言う。つまり,コロンブスの関心が,他者を理解することにではなく,相手が自分にとってどのような利用価値があるかという点にあったということだ。

そのことは確かに彼自身の言葉からも見てとれる。『航海記』の中で,コロンブスはエスパニョーラ島(現在のハイチ島)の住民についてこう書いているからだ。

「インディオたちは武器をもっておらず,みんな裸のままであります。武器を扱う知識がまったくない上にひどく臆病なので,彼らの人数がたとえ1000人でもわが方の3人に立ち向かうことは不可能でありましょう。このように彼らインディオたちは,われわれが命令を与え,労働と農耕や,その他必要なことをすべて実行させるために,また居住地を建設させたり,衣服を着用させたり,われわれの習慣を教えたりするために,よく適した人たちなのであります」

このコロンブスの言葉を引用し,それに次のようなコメントをつけた人物がいた。コロンブスと同時代に生きたスペイン人の聖職者ラス・カサスである。

「ここで注目しなければならないのは,インディオたちの生来の温順さや,純朴で親切で謙虚な性質や,武器というものをもたず,裸のままという習慣が,エスパーニャ人たちを傲慢にしてしまったことである。その結果,彼らはインディオを軽んずるようになり,苛酷きわまりない労働に従わせ,抑圧し絶滅させるべく残忍にふるまい,事実あのように絶滅させたのである」(以上,引用はともにラス・カサス 『裁かれるコロンブス』(岩波書店)による)

ラス・カサスは,コロンブスやスペイン人たちの自己本位的なインディオ観を批判する。こうしたインディオ観こそが,その後のインディオ虐待へとつながっていったというわけである。彼は『インディアスの破壊についての簡潔な報告』のなかで,同国人スペイン人征服者たちの行動を厳しく弾劾した。そして晩年の大著『インディアス史』では「自然の法と人間の法の定める掟は,キリスト教徒と異教徒とのいずれを問わず,また宗派,法律,境遇,肌の色の何たるかを問わず,差別はまったく存在せず,すべての民族にとって共通なものである」として,インディオのスペイン人に対する反乱権を公然と認めている。

だが,インディオ擁護者として名高いこのラス・カサスについてもトドロフの評価は厳しい。

ラス・カサスの描くインディオ像はきわめて貧しい,とトドロフは言う。なにしろ,ラス・カサスによれば,どのインディオもすべて判で押したように「従順で温厚」なのである。トドロフは,つまるところその理由を,ラス・カサスがキリスト教の普遍性を確信していたことに求めている。ラス・カサスはキリスト教の普遍性を信じ,その論理の上に依拠しながら,すべての人々,民族のあいだの平等を論じた。だがそうすることで,ラス・カサスは,インディオを見る時に,自らの信じるキリスト教の精神をそのまま投影してしまった。つまり,善意からではあるが,あくまでも自分の世界観を他者に押しつける形で他者を理解した気になっていたのである。こうトドロフは指摘する。

コロンブスの場合には,優越感という偏見が他者を見る目を曇らせた。それに対してラス・カサスの場合には,平等という偏見が他者の認識を妨げた。ラス・カサスは普遍的真理(=キリスト教)の正しさを確信していたがゆえに,その真理をすべての人間に該当するものと考え,その結果,他者を自己の理想に似せて描き出すこととなったのだ。

これがトドロフの理解である。なるほどな,と僕も思う。

ところで,このコロンブスとラス・カサスのインディオ観に代表される他者を見る目,他者とのつき合い方は,500年後の今の世界にもほとんどそのまま見出せるのではなかろうか,というのがトドロフを読んで僕が感じたことだ。

まず。コロンブス型。他者を理解しようという気持ちなどさらさらなく,根拠のない優越感から他者を見下し,自己の利益のために相手を利用していく,というタイプである。これは海外,とくにいわゆる途上国で活動している企業人によく見られる型だ。

それに対置されるラス・カサス型。自己の理想を絶対的だと信じ,他者と自己との間の差異に鈍感なまま,他者と自己を安易に同一化して理解した気になってしまうタイプ。これは主観的には善意からであることが多い。たとえば,「善意にもとづく援助」なんていうのはこの型だろう。

そのどちらにも陥ることなく,どのようにして他者とつき合っていけばいいのか。

こうした問いは,実は,僕たちラテンアメリカ交流グループの出発点でもある。ラテンアメリカ交流グループの活動は,この機関誌を含めて,そもそもそうした模索の試みなのである。

トドロフは他者とつき合うことは,「優越性/劣等性に堕することのない差異」を求めること,「平等のなかで差異を生きること」だと書いている。彼も言うように,このことは,「いうは易く,おこなうは難し」だ。さしあたり,僕たちにできることは,他者のありのままの姿を知ることだろう。その上で,自分と相手との差異をしっかり認識しながら,その差異を越えた結びつきを創り上げていこうと努力すること。

トドロフは,同じことを次のような表現で言い換えている。

自分は,「個人的なものの特性を失うことなく,社会的なものの意味をもう一度見出したいと心より願う」と。

この言葉に出くわしたとき,僕は胸がきゅんとなった。僕にとって「コロンブス500年」が意味するのはつまりはそういうことだ。