レポートをどう書かせてはならないか ─ 書評論文の効用

 

歴史学者の安丸良夫氏はある論文の中に、氏自身が経験した次のようなエピソードを紹介している。少し長くなるが引用しておこう。

私は、自分の勤務する大学で一般教育課程の「日本史」を講義している。この講義の聴講生は、名目上はきわめて多いが、平常の出席者はそれほどでもない。つぎに引用するのは、一九七六年度の学年末試験におけるA君の答案の書き出しの部分である。

「名もない足軽の身分から、全国を支配するまでに至った秀吉には、男のロマンが感じられるし、おさないころから秀吉にあこがれていました。立身出世の完全な見本のように思われます。彼の歴史をたどってみると、人間はやろうと思えば、努力しだいで何んでもできるのだと深く感じられます。やはり人間、努力がだいじだなと改めて思い知らされます。」

講義についての感想も書くようにと指示しているので、A君は感想の方からはじめたのであろう。以下、一行あけて本論にはいり、太閤検地・刀狩り・宗教政策など、豊臣政権の政策が論じられている。内容はだいたい有斐閣双書の『日本経済史』(永原慶二編、一九七一年)によっているが、自分なりに整理し、たとえば一地一作人の原則や「作あい否定」なども的確に述べられている。私の見た答案のなかではよくできている方である。だが、こうした本文と引用した感想は、どのように結びついているのか、私にはまったくわからない。というのか、私の試験の答案に有斐閣双書『日本経済史』をタネ本にして答案を書く人が、こうした素朴な感想を記しうることに、私はすっかりうろたえてしまう。もちろん、この学生は、私の講義をじっさいにはほとんど聴講しておらず、『日本経済史』も試験に関係ありそうな箇所だけ拾い読みしたのかもしれない。それにしても、どう読み返しても、素朴で正直で、どこにも身がまえたごころがないだけに、私はいっそううろたえる。せめて、教師のものの考え方について想像力をめぐらし、もうすこしひねって書けないものだろうか。マルクス主義歴史学の精髄をスケッチした『日本経済史』と「通俗日本史」のなんという共存?! もっとも通俗的な歴史観に、カスリ傷ひとつあたえることのできない教師である自分のピエロぶり!!」(安丸良夫「民衆史の課題について」『<方法>としての思想史』校倉書房 1996年 165-166ページ)

おそらく、こうした状況はきわめて広汎に見られるのではなかろうか。

これまでゼミで学生を指導してきた経験からいうと、学生のレポートでもっとも顕著に見られる傾向には2つのタイプがある。

第一のタイプは、内容が講義や資料・文献の単なる要約(あるいは複数の文献の切り張り)に終わってしまっていて、執筆者の視点・立場・見解が不在のレポートである。これは「よくできている」レポート、「よくまとまっている」レポートにおいても見られる傾向である。こうしたレポートにあっては、レポートをまとめる作業が結局のところ、講義ノートや資料の内容を縮めるだけの単なる肉体労働になってしまっていると言えよう。  

第二のタイプは、それとは逆に、資料・文献には依拠することなく、ただただ自分の感想を書き連ねることに終始したレポートである。資料はほとんど読まずに、自分の頭の中にあることだけを絞り出して仕上げてしまうわけで、結論はだいたいのところ、いわずもがなの常識的な線に落ち着くのが普通である。

(この二つのタイプのレポートの混合型として、第一のタイプのレポートの末尾にきわめて常識的でありきたりのコメントがつくこともある。)

ここで問題にしたいのは、第一のタイプである。というのも、第二のタイプはだいたい「可」ないし「不可」の評価に落ち着くはずであるのに対して、第一のレポートでは「よくできている」、「よくまとまっている」ということで「優」がつくこともあるからである。

だが、こうしたレポートに無条件に「優」をつけてもいいものだろうか。

たとえば、上に引いた安丸氏の学生の例で、この学生が「感想」を書かなかったらどうであろうか。試験の答案の書き出し部分にああした感想がなく、『日本経済史』の「的確」な整理のみであったとしたら、安丸氏も「よくできている」答案として迷わず「優」をつけだであろう。

問題なのは、一見「よくできている」答案を書いた学生の多くが、「的確に」「整理」された資料のまとめとはまったく切れたところで、通俗的な歴史観、社会観を「カスリ傷ひとつ」負わずに保持し続けているかもしれないということである。そして多くの教師がそのことに気づかぬままに、自分の「ピエロ」ぶりを意識すらせずにピエロを演じ続けているのではないのか。これこそ悲喜劇である。

こうした事態が起きるのは、教師の側で、学生の歴史観、社会観を揺さぶるような形で教育を行っていないからである。誤解しないで欲しいのは、「学生の歴史観、社会観を揺さぶる」と言ったとき、教師が(自分では批判的だと思っている)自分の歴史観、社会観を学生に注入することを意味しているのではまったくないということである。問題なのは、学生が読む文献で書かれていることと学生の歴史観・社会観が切り離されたままで終わっていることなのであるから、問題の解決は、この両者を真に対決させること以外にはない。つまり、学習の過程において学生が文献と(フィールド調査の場合にはフィールドでの現実と)自らの歴史観、社会観を対決させるような形に追い込んでいくよう教師の側で意識的に指導していくことが求められているのである。

そのためにはどうすればいいのだろうか。

これまでの経験からいえば、まず、学生が文献や資料を突き放して論じるようにくどいほど何度も何度も要求することである。具体的には、ゼミの発表などで文献の内容を紹介させる場合、「著者によれば」との限定を常につけさせる。そうすることで、文献で展開されている議論を学生がいつのまにか自分の議論として(無批判に)展開しているという非常によく見られる現象を防止できる。(小生はこうした現象を「霊媒」と呼んでいる。他人の言葉を自分の口を通して語っているだけだからである)。やってみると分かるが、何度要求しても、いつの間にか学生は「霊媒」を演じている。自己の思想との対決なしに与えられた知識を無批判に受け入れストックするという、小学校以来12年間にわたる教育のなかで肉体化させられてきた学習法の「成果」である。

あるいは、文献や資料の内容紹介の際に必ず学生のコメントを付けさせることである。学生はコメントを付けることが非常に苦手である。教師の側で執拗に要求しないと、やるのは要約だけでコメントがまったく付かないことがしょっちゅうである。コメントを付ける場合でも、きわめて常識的な感想であることが多い。自分の視点から論じるという習慣がないのである。

さらにレポートの場合には、あるテーマについて論じさせることをせず、文献の書評をさせることである。テーマについて論じるレポートを要求すると、十中八九、学生は数冊の(場合によっては1冊の)タネ本をもとにそれを切り張りしてあたかも自分の見解であるかのように書く。またもや「霊媒」である。

書評を要求するとこうはならない。学生が自らの視点を基準にその書物を評価しなければならないからである。書評をさせるとは、いわば、一次資料を読む訓練である。文献は、そこで扱われているテーマとの関係では二次資料であるが、書評の対照となった瞬間に評者にとっては一次資料となる。文献の議論の仕方自体が検討の対象となるからである。書評を要求することによって、教師は学生が独自の主体として文献に相対せざるをえない状況に学生を追い込むことができる。

それゆえ、ゼミでの指導においては、

1.毎週の発表において、「著者の」議論を紹介するという形で発表するように常に要求し、同時に、必ずコメントを付けさせる。

2.学期末のレポートにおいては、必ず「書評」の形を取らせる。

というのが筆者の方針である。

なお、卒論においても同様のことが言える。筆者の考えでは、卒論の段階で学生があるテーマについて独自の知見で論じることはまず無理である。テーマを軸に卒論を執筆した場合には、レポートで見られた傾向の拡大再生産に終わる場合がほとんどであろう。それゆえに、筆者の指導する卒論演習においては、3年次のゼミの続きを学生に課すようにしている。すなわち、3年次で選んだのと同じテーマについてできるだけ多数の文献を読ませ、これらを比較検討した書評を卒論とするのである。学生の熱意次第では、選んだテーマに関する研究動向論文になる可能性もある。そしてそれが卒論としては望むことのできる最大限度ではないかと思う。

この方法は、学生が大学院に進学する上でも有効である。研究動向を押さえることによって、どのような研究テーマがありうるかが見えてくるからである。卒論での土台を基礎として、大学院では一次資料を用いた研究に乗り出すことができる。

筆者の経験では、他の大学から本学大学院に入学してきた学生の多くはこうした訓練を受けておらず、そのために、筆者が3年の演習でやっていることから出発しなければならないことが非常に多い。