2011年4月10日 第1回FINDAS研究会 「社会的弱者の子どもに対する教育の試み:プネー市からの報告」報告

掲載日 | 2011年04月14日

2011年度の第1回目の研究会を下記の日程で行いました。今回は研究協力者でもありますプラシャント・パルデシさんより、最近実施されました調査に関するご報告をいただきました。

日時:4月10日(日) 15:00~
場所:本郷サテライト7階会議室

発表者:プラシャント・パルデシ(国立国語研究所)
発表タイトル:「社会的弱者の子どもに対する教育の試み:プネー市からの報告」

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2011年2月11日 第5回FINDAS若手研究者セミナー 「南アジア系ムスリム移民・国家・ジェンダー」報告

掲載日 | 2011年02月18日

第5回FINDAS若手研究者セミナー 報告

FINDAS外大拠点では去る2月11日に今年度最後の若手研究者セミナーを開催しました。第5回目にあたる今回は斎藤紋子さんと工藤正子さんを招いて、南アジア系ムスリム移民について、それぞれミャンマーと日本をフフィールドにご発表いただきました。年度末の忙しい時期でしたが、多数のご参加を賜りました。来年度もFINDASをよろしくお願いいたします。以下、ご本人がおまとめになられた発表報告を掲載します。

テーマ:「南アジア系ムスリム移民・国家・ジェンダー」
期日:2011年2月11日(金)
時間:13:00~17:00
場所:東京外国語大学本郷サテライト7階会議室

コメンテーター:萩田 博(東京外国語大学)/粟屋利江(東京外国語大学)

発表者:
斎藤紋子(東京外国語大学)
発表タイトル:「ミャンマーにおけるイスラーム教徒の位置づけ:法律・制度の運用実態から」
報告まとめ:

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2010年12月9日 第4回FINDAS研究会“Domestic Workers in India: Feudal Contracts or Flexible Workers?”報告

掲載日 | 2011年02月07日

第4回FINDAS研究会

期日:2010年12月9日(木)
発表者:Rajni Palriwala (University of Delhi)
発表タイトル:“Domestic Workers in India: Feudal Contracts or Flexible Workers?”
コメント:押川文子(京都大学)/ 幅崎麻紀子(山形大学)
場所:本郷サテライト7階会議室

デリー大学のRajni Palriwala教授をお招きして研究会を開催しました。詳細の報告は準備ができ次第UPします。

2010年11月20日 第4回FINDAS若手研究者セミナー「女性・政治参加・エンパワメント」報告

掲載日 | 2011年01月27日

第4回若手研究者セミナーのご報告
FINDAS外大拠点では去る11月20日に和田一哉さん、菅野美佐子さん、幅崎麻紀子さんを発表者としてお招きし、今年度4回目の若手研究者セミナーを開催しました。以下、ご本人がおまとめになられた発表報告を掲載します。

期日:2010年11月20日(土)13:00-17:00
テーマ:「女性・政治参加・エンパワメント」
場所:本郷サテライト5階セミナー室

コメント:八木祐子(宮城学院女子大学)/上杉妙子(専修大学文学部兼任講師)

発表者①:
★和田一哉(東京大学大学院人文社会系研究科次世代人文学開発センター・研究員/人間文化研究機構地域研究推進センター研究員)
発表タイトル:「女性の地位と婚姻:インドの家計データの実証分析」
報告まとめ: 

   途上国の開発を考える際、社会における著しい不平等の存在が重要な問題の一つとして指摘されるようになって久しい。民族間の不平等や社会階層間の不平等など、様々な形でそれらは存在するが、中でも開発においては男女間の不平等が最も大きな課題の一つであると考えられている。深刻な事例の一つとしては、財産所有にまつわる男女格差が挙げられよう。いくつかの発展途上国では、実質的に女性は財産相続権を持たず、男性に対し従属的な立場をとることを余儀なくされ、それが様々な男女の不平等を生み出すこととなっている可能性がある。
  特にインドの文脈では、女性が男性に比して不当に抑圧される理由の一つに、結婚持参金(dowry)の存在が指摘されている。女性の結婚相手は、女性の両親が準備可能な結婚持参金の額によって選択の幅が決まり、また結婚後、女性が相手の家族から受ける扱いも決定される。結婚持参金の額が少ない場合は、結婚相手の社会的地位は低くなり、また男性とその家族から暴力を受けることが多くなるなど、家計内でも負の影響がきわめて大きいとされている。また、何らかの血縁関係のある相手との婚姻が比較的多いとされる地域では女性の発言力や自律性が高く、他の地域に比べて女性の地位が相対的に高い、と言われている。
  以上のような観点から、本報告では、家計内における女性(妻)意思決定への関与の程度(発言力)に対する婚姻慣習の影響について、検討を行う。本報告で利用するIndia Human Development Survey(IHDS)は、約4万家計の情報を有する大規模ミクロデータで、家計の様々な属性に関する情報が含まれている。他に類を見ないユニークな情報が多いのだが、中でも結婚持参金に関連すると思われる慣習についてのデータや、相手男性との血縁関係の有無、両家の経済状況に関する情報は、上で述べたような理由から特に興味深い。またIHDSには、National Family Health Surveyと同じように、女性の家計内における意思決定への関与の程度を表す情報も豊富に含まれている。IHDSのこのような特長を活かし、その他の影響をコントロールしたうえ、家計内における女性(妻)意思決定への関与の程度に対する婚姻慣習の影響について、実証分析を行った。概要は以下の通りである。
  夫と何らかの血縁関係がある場合、女性の発言力は低下する傾向が幾分見られる。婚姻時の両家の経済状況に関しては、女性の実家の経済状況が良い場合に女性の発言力が強まるとは限らず、経済状況が同程度である場合に強まる傾向がある。そして婚姻時の贈り物(結婚持参金に関連)が多いからといって、女性の意思決定への関与が強まるとは限らない。以上が分析結果の概要であるが、分析手法にはいくつかの課題が残されている。中でも最も大きな課題として、結婚持参金関連のデータは贈り物の「品数」が中心であり、金額換算できていないという点が挙げられる。これについては今後の課題としたい。

研究会←和田一哉さん

発表者②
★菅野美佐子(日本学術振興会・PD特別研究員(東京外国語大学))
発表タイトル:「村落議会と女性の政治参加―パンチャーヤット選挙から見えるもの―」
報告まとめ:

〈発表目的〉
 本発表の目的は、北インド、ウッタル・プラデーシュ州農村社会における村落議会(パンチャーヤット)の概況および村落議会政治への女性の参画の状況を概観するとともに、女性の政治参画の背景となる農村開発プログラムや近年のインドの経済成長やグローバリゼーションの動きにともなう農村の社会変容との関連性について検討することである。

〈発表内容〉
 本発表では、まず、2005年(-2010年)に発足した村落議会における女性議員の参画状況や村落議会における立場、位置づけについて言及した後、女性の村落政治への参画を促す政府系の女性のエンパワーメント・プログラムの女性の政治参画への影響について考察を行った。
 北インド農村社会は、女性規範の強い地域として知られており女性の外出が厳しく制限されてきた。しかし、低カースト層の貧困女性を中心にエンパワーメント・プログラムが展開され、これまで接触が制限されてきた女性たちが集まり、接触する機会が与えられたことで、女性どうしのネットワークを形成し始めている。近年ではそのネットワークを通じて、村落議会選挙において女性の立候補者が集票活動を展開する動きがみられる。とくに、以前はカースト・コミュニティ内でのネットワークに強く依拠していた票獲得のための協調体制が、エンパワーメント・プログラムを通じて形成された女性ネットワークでは、カーストの枠を超えた相互関係のもとで行われている。本発表では、こうした状況を明らかにするために、発表者が対象社会での現地調査で収集したいくつかの事例を紹介しつつ、女性ネットワークの特性などについて考察を行った。
 また、女性の政治ネットワーク形成や政治参画を可能にする要因としては、エンパワーメント・プログラムのような直接的影響のみでなく、近年の社会変容にともなう農村社会の人々のジェンダー観、女性規範の変化も重要な要因であると考えられる。そこで本発表では、メディアの普及や教育の向上、通信技術の発達(携帯電話、インターネットなど)といった複数の要因との関連性について検討を行った。
 発表後の質疑応答を含めた総括としては、近年の政治、経済、社会的な変化により、村落議会における女性議員の数は年々増加する傾向にあり、女性議員の発言力も増しつつあるが、こうした動きが村落、ひいては州、国家レベルでの政治や政策を大きく転換するまでには至っていない現状が明らかとなった。女性の政治参画が今後、ミクロ、マクロ双方のレベルでインド社会にどのような影響をもたらすのか、さらに、女性が政治に参画することが真のデモクラシーの実現へと結びついているのか、といった根本的な問題について究明することが研究上の課題として残された。

研究会←菅野美佐子さん

発表者③
★幅崎麻紀子(山形大学男女共同参画推進室 助教)
発表タイトル:「夫を亡くした女性たちの「人権」運動と日常的実践」
報告まとめ:

   本発表は寡婦という属性を、状況に応じて巧みに使いながら、社会の変容に結びつけているネパールの女性たちの実践を事例に、変容のポテンシャルとしての「寡婦」と、その「交渉の場」としての「寡婦グループ」に着目し、社会と交渉をするための戦略的なカテゴリーとしての「寡婦」の実践を、社会変容の視点から捉えることが目的である。
   近年、寡婦に課せられた状況を変化させようと立ち上がった女性たちがいる。それがエッカルマヒラ(単身女性)を自称するグループである。「ビドワ(未亡人)」に込められた寡婦への規範や認識を一掃するために、「エッカルマヒラ」と自称し人権運動を展開している。現在、ネパールにおいて最も活発に活動しているのがNGO団体「Women for Human Rights(WHR))である。1994年にカトマンズで設立された同団体は、2007年現在、38郡に140のグループ、延べ人数14,000人のメンバーが加入するネパール最大の寡婦グループである。活動内容は、政府・自治体への寡婦の権利のためのロビー活動、人権教育、マイクロクレジット、職業訓練等である。ネパール国内のみならず、国際的にも寡婦人権団体としてアピールし資金を集めている。
 同グループに参加することは、個々人の日常生活を大きく変えつつある。ネパール近代法の知識、特に財産相続についての知識を学ぶことにより、寡婦による財産権の主張を可能にした。そして、寡婦としての痛みを分かち合う友人との出会い、「(社会を)怖がらなくなった」り、人の前に出ることを避けていた女性たちが「笑うようになった」等の変化が見られる。寡婦には身につけることの許されなかった「赤い色」を身につけられるようになったことも大きな変化の1つである。そして、「力(シャクティ)を得た」「何かできるのではないか」と考えるようになるなど、個々の生活に変化が見られる。
 個々人の生活の変容のみならず、寡婦グループは社会に向けて様々な働きかけを行っている。西部ネパールの一郡では、寡婦グループのための行政予算の獲得と自治体からの土地の無償譲渡によって寡婦グループのための事務所を設置し、そこを拠点に活動を行っている。また、かつて赤い色を身につけているだけで誹謗中傷を受けていた寡婦が、寡婦グループのメンバーとして行動することによって誹謗中傷が軽減しつつある。寡婦の生計手段として小商いを行う際に邪魔をされることがあったが、今は逆に商売の話を持ちかけてくるようになるなど、寡婦グループとして活動することで、彼女らへの社会の見方が変容しつつあることを感じつつある。
 寡婦たちの日常的実践は、「寡婦」であること、言わば「社会からの押しつけのアイデンティフィケーション(識別)」の解体が目的であった。その意味では、寡婦グループによる実践は、自分たちの生活を変容したことと社会の見方を変容させた点から考慮すると成功したと言えよう。それはカーストも経済的社会的背景の異なる女性たちが「寡婦」というカテゴリーにこだわることで、現状の打破を実践しているのである。しかし、それと同時に、従来の価値観の枠組みの中での実践(夫を亡くした女性を「寡婦」としてカテゴライズすること、夫のいる女性と同じ赤い色を身に着けること等)であり、逆に、その価値観を保管することとなってしまっているという矛盾を抱えている。すなわち、寡婦の女性たちの「交渉」とは、アクター(寡婦)が状況に応じて、時に寡婦であることを用い、時にそれを否定しながら、社会に於ける「寡婦」の位置づけ・見方を変容させていく実践であると共に、その矛盾と葛藤に悩みながら交渉する「生」の姿と言えるだろう。

研究会←幅崎麻紀子さん

2010年11月13日 第3回FINDAS若手研究者セミナー「文学とメディア」報告

掲載日 | 2011年01月25日

第3回FINDAS若手研究者セミナーのご報告

FINDAS外大拠点では11月13日に東京外国語大学の博士課程で研究されている安永有希さんと村上明香さんを発表者に、本年度3回目の若手研究者セミナーを開催しました。以下、ご本人がおまとめになられた発表報告を掲載します。

期日:11月13日(土)13:00-17:00
テーマ:「文学とメディア」
場所:本郷サテライト7階会議室
コメント:石田英明(大東文化大学)/ 井坂理穂(東京大学)

●安永有希(東京外国語大学博士後期課程)
発表タイトル:「ヒンディー娯楽小説と印刷・出版」
報告まとめ:

 本報告では、北インドにおける商業出版の発展において、1880年代以降に急成長したヒンディー娯楽小説がどのような役割を果たしていたのかを検討した。
 ヒンディー娯楽小説には、主にデーヴキーナンダン・カトリー(Devakīnandana Khatrī, 1861.7.18-1913.8.1)やゴーパールラーム・ゲヘマリー(Gopālarāma Gahmarī, 1866-1946)、キショーリーラール・ゴースワーミー(Kisorīlāla Gosvāmī, 1865-1932)などのヒンディー作家らに代表される、ティラスミー・アイヤーリー(Tilasmī Aiyārī)小説、探偵(Jāsūsī)小説、そしてロマンスがある。なかでも「幻術使い」や「迷宮」が平易なヒンディー語で描かれているデーヴキーナンダン作品は、ヒンディー小説の分野で初めて一般読者の支持を得ることに成功しており、読者層の確立においても重要な役割を担っている。さらにこれらの娯楽小説は、職業作家・文芸雑誌・読書習慣の確立という役割も担っていると考えられる。
 一方、16世紀中頃にヨーロッパからインドへ渡った印刷技術が北インドに広まったのは1830年頃である。しかし、北インドにおける印刷・出版は当初、ペルシャ語やウルドゥー語を中心に行われており、ヒンディー語による印刷・出版が本格的に発展しはじめたのは1860年代以降であった。その背景として、まず1860年代にみられる出版ブーム(publishing boom)が挙げられる。そして、1870年代にはバーラテンドゥ・ハリシュチャンドラ(Bhāratendu Hariścandra, 1850-85)が精力的に活動し、他の作家へ大きな影響を与えた。さらに1880年代以降にヒンディー娯楽小説が多くの読者を生み出し、ヒンディー小説全体の作品数も大幅に増加した。このように、1860年代以降に見られるこの三つの段階を経て、ヒンディー語による商業出版は活性化されたといえる。

〈主要参考文献〉
Kṛsña Majīṭhiyā, 1978, Hindī ke Tilasmī va Jāsūsī Upanyāsa [Jayapura: Pañcaśīla Prakāśana].
Orsini, Francesca, 2009, Print and Pleasure, Popular Literature and Entertaining Fictions in Colonial North India [New Delhi: Permanent Black].
Pritchett, Frances W., 1985, Marvelous Encounters: Folk Romance in Urdu and Hindi .
Stark, Ulrike, 2007, An Empire of Books: the Naval Kishore Press and Diffusion of the Printed Word in Colonial India [New Delhi: Permanent Black].
Vimaleśa Ānanda, 1990, Hindī ke Kutūhalapradhāna Upanyāsa [Naī Dillī: Anurāga Prakāśana].

←安永有希さんの発表模様

●村上明香(東京外国語大学博士前期課程)
発表タイトル:「ヒンディー映画詩(Filmii Shaairii)―文学と大衆文化―」
報告まとめ:

 ウルドゥー演劇が映画に及ぼした影響と、ウルドゥー語詩人の映画界参入とその背景を追い、今後の映画ソングの歌詞研究の必要性について検討する。
 「ヒンディー映画」はウルドゥー演劇の流れを汲み、その影響を色濃く残している。特に19世紀中葉、ムンバイーやコールカーターを中心に興った「パールスィー劇団」の影響は大きい。パールスィー劇団は当時のリンガフランカであったウルドゥー語の演目を中心に上演するようになった。興業価値の有無を第一義としたこれらの劇団では、芸術性や台本の優劣よりも娯楽性の高さが重視された。当時の文学者の記述から、文学界のパールスィー劇団に対する評価の低さが伺える。20世紀に入り映画という新しいメディア媒体が登場すると、演劇に携わっていた人々が映画界へと移行していき、これまでの演劇伝統が映画界に色濃く反映されることになった。初期の映画に対する文学界の評価も低かった。
 映画界と文学界を結ぶ上で大きな役割を果たしたのが1942年に発足したインド共産党系演劇集団Indian People’s Theater Association(以下、IPTA)であった。IPTAは進歩主義作家運動と密接につながり、二組織一体となって進歩主義文化運動を展開した。IPTAが活動の一部として映画製作に着手し、より多くの進歩主義を支持する文学者や詩人が映画界に参入、脚本家や作詞家として活動するようになった。 詩人たちが映画のために作詞をするのは経済的理由からであるという見解が一般的であるが、彼らの残した手記を参照すると、特にその運動の性質から、進歩主義作家運動に与していた詩人たちは映画の民衆に与える影響力に注目しており、映画を通して社会の諸問題に対する民衆の覚醒を図ろうという目的を持っていたこと、また、映画の歌詞には音楽や表現法の縛りがあるため「純文学」のもつ芸術性の高みに届かないことを自覚したうえで、詩人としてより優れた歌詞を提供しようとする葛藤があったことなどが確認できる。
 近年、映画に関わった詩人の研究書では映画ソングの歌詞への言及が不可欠となっていること、歌詞の選集や英訳本の出版などから、映画ソングの歌詞のもつ文学性が重要になりつつあることが伺える。こうした流れは現在のグルザールやジャーヴェード・アフタルといった詩人たちにも受け継がれており、歌詞の文学的価値を改めて考察する必要があると考える。

←村上明香さんの発表模様

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